Op.49 第8曲 ラクリモーサ(涙の日)

 高校二年の修学旅行を終えてしまえばあとは受験一色。

 神主の一族である古賀こがつづみは進路が決まっており、宗教系の大学に行くという。

 音羽おとわすずはと言うと、

「私は、特にやりたいこともないまま生きてきて、速水はやみ先輩に憧れてここに入学しただけで、きっと事故に遭わず美琴さんたちとも縁がなければそのまま速水先輩と同じ進路を選んでいました」

 言葉そのもので言えばキリクにとっては酷な内容に映るが、もはや過去の事として淡々と語る鈴の精神はこの上なく安定している。鈴はかのう美琴みことを見て心に秘めていたことを打ち明けた。


「今は美琴さんがやり残した事を経験したいですし、美琴さんだけでなくて誰かの役に立ちたいです。この体質を生かせないかと思ってるんです。進路でどうにかできるものじゃないかもしれませんけど。例えば、量子力学を専門的に学ぶのも悪くないかなって」


 前半では涙ぐみそうになった美琴も後半の言葉にヒュッと涙が引っ込む。

「鈴ちゃんそれ方向性合ってる?」



 ---


 進路など関係のないのは天使や悪魔たちだ。キリクは断固 鈴の傍を離れないと誓っており、シュリーは高卒後 生者としては一時撤退するがサクと共に天使の仕事をしながら二人を見守ろうと考えている。悪魔二体は言わずもがなヒマつぶしで音羽鈴に付いて行くつもりであるし、アースはもうしばらくこの地上で男を貪って楽しもうとしていた。

 上級悪魔である彼らが長く同じ場所に居続けるとその場の波長が歪んでしまうため周波数の高い天使と共にあるのがベストである。が、鈴と鼓の進学先は割れる可能性もあった。つまり鼓は神学のほうへ分かれるかもしれないのだ。


 ベルフもアースも当たり前のように鈴に便乗する気だったが、レヴィは同じ高級食材でも鈴より鼓を見ているようだ。あろうことか鼓もまんざらではない様子でレヴィを受け入れかけている。当然二人の間には各々の葛藤があるため一定の距離は保ち続けているが、鼓は巫女として神社を継ぐためにサクの姿が視えなくなってしまわないよう清く在らねばならない。レヴィも七大悪魔である自分が接触し続けることで鼓の純然たる魂がくすんでしまうことを懸念してギリギリの理性で寸止めしているようだ。


 時折、レヴィが鼓の第五層オーラ目当てに体に触れると鼓は頬を染めてレヴィの手を払い除け目を逸らす。明らかに淫靡いんびの境目で恥じらっているのがレヴィに伝わるため理性との瀬戸際で悶える日々が続いていた。

 レヴィとタッグを組んできたベルフにとってはレヴィが選択を誤ることが面倒でならない。そこで痺れを切らしてキッパリと問いただした。


「先輩はどっちに惹かれているんですか?」


「? 音羽鈴と古賀鼓の話か? 魂的にはどちらも捨てがたい」

「そうではなくて古賀さんの話です。彼女そのものか、魂か」

「ハ。下らない。答える価値のない愚問だ」

「気を付けて下さいね、心を奪われるというのは魂を奪われるということです。契約権限があの子に渡るんですよ、最悪のケースで例えるなら、彼女がもし先輩に『消えろ』と言えば先輩に拒む権利はなく……」

「下らないと言ってるだろ、冗談が寒すぎる。さすがは氷属性だな」

「そういう先輩こそ、自分の炎に焼かれないよう気を付けてくださいよ」


 教室のベランダで二人 物騒な会話をしていると、

「碓氷くん……」

 碓氷うすいよりに来客があった。家政科の女子生徒が手に何かを持っているようだ。モジモジと頬を赤らめている彼女は渡したいものを渡すに渡せず恥じらっている。鼓がレヴィに時折見せる表情と重なるものを感じたベルフは嫌悪感からメガネを中指で丁寧に整え心を閉ざした。


 鈴や美琴、鼓が「本気のやつだ」と目を見張っているが、ベルフはメガネ越しの茶色い瞳でじっとその生徒の魂を品定めする。そしてニッコリと微笑み、手を差し出した。

「僕にくれるんですか? 先ほどから楽しみに待っているのにじれったいなぁ。気持ちだけでも嬉しいです、その温かな真心、ありがたく頂きますよ」

(要約:早くしてもらえませんか)


「あ、えと、無理して食べなくてもいいから! 受け取ってくれるだけでもいいから!」

 女子生徒は慌ててジンジャーティークッキーをベルフに渡し、逃げるように教室を出て行った。その後ろ姿を見送ったベルフは浅い溜め息をつく。

「音羽さんを見慣れてるせいで美味しそうに見えないんですよね (魂が)。生者の食事を差し出されることさえ苦痛なのに」


 クズ男のような言葉を発しながら、無意識だろう、思わずクッキーを口に運んでしまう。あれほど断固拒否していた『生者の食べ物』に手を染めてしまった瞬間である。


「あ。食べるのは食べるんだ」

 美琴がポカンとして物珍し気に見ていると、ベルフの表情がみるみる変貌し、何やら固まってしまった。


 誰の目にも明らかに不自然なその様子に鈴や鼓が恐る恐る「碓氷くん?」「大丈夫ですか?」とベランダの出入り口から声をかけるとベルフはワナワナと震え始めた。


「こ、このサクサク感に反して口の中でほどよく溶けるショートニングの絶妙なバランス、しつこくない甘さと紅茶の芳香に加え、ほのかに感じるホットでピリッとした薬味、最後に鼻に抜けるスパイシーな香りはまるでバイオリン・ソナタ……!」


「番犬の味気ない食レポよりマシだな (※Op.41)」

 レヴィが冷静に食レポへの感想を述べるも、シュリーやアースから見ればそれ以前の問題である。


 ―― なぜ揃いも揃って自分の属性と反対の食べ物にハマるのか。


 生者の食べ物には中毒性があるという都市伝説が確信へと変わった。以来、ベルフは本分を忘れたようにその女子生徒にジンジャーティークッキーをねだるようになり、校内では碓氷依に渡すために量産されていくクッキーの香りが充満するようになった。

 なんとも平穏な日々が続いたものだ。



 しかし、その平穏も一瞬で崩れ去るときが来たようだ。


 きっかけは鼓の些細なひとつの表情だった。

 少しばかり濁った魂の男子生徒から腕を掴まれる鼓が頬を染めていた、ただそれだけのことだった。


 そのとき、地鳴りのような爆発音と共に炎の竜巻が構内のガラスを軒並み割っていったのだ。


 火災警報器が鳴り響く中、悲鳴が上がり多くの怪我人が出た。


「まさかこれって、レヴィさんの……」

 別の校舎からその騒ぎを見て立ち上がろうとする鈴をキリクとシュリーが止め、対するベルフは呆れかえっていた。

「はぁ。先輩、いつかやると思ってましたよ。面倒くさい展開にしてくれましたね」

 炎に対し風属性のキリクと植物属性のシュリーでは相性が悪い。更に雷属性のアースなど論外だ。


 レヴィを止められるのはベルフだけである。


 しかし二の足を踏んでいる間に炎が尽きたのが見て取れた。

 二通りの燃料切れである。一気に炎を起こしたために酸素が一時的に枯渇し疑似的に鎮火するというバックドラフト現象。もうひとつは、本人のエネルギー切れだった。


 燃えかけている炎はベルフが消火し、植物属性のシュリーが炭素と化した有機物を修復する。幸い多くの怪我人が出たにも関わらず重症者や死者は出なかった。まるでレヴィが意識的にコントロールしたかのようである。

 鎮火後、アースが設備に異常がないかを確認し、キリクやシュリーが治癒能力で負傷者の治癒に当たった。それからベルフの催眠能力で忘却させ、事態は鎮火した。


 その一連の操作は瞬きよりも速かった。『我々が肉眼で見ている世界はすべて過去』とは言うが、彼らは常に現在進行形で動いている。秒速 30万km で届いた 8 分前の陽光よりも、そしてそれが肉眼に映り脳の視覚野に到達して認識するまでの 15 秒などよりも遥かに速い。


「地球の時間が天使たちにとって一瞬というのはこういう意味もあるんですね……」

 鈴はこの光景にただ見惚れていた。


 この世の者ならざる存在たちに相対性理論への複雑な気分さえ覚える。彼らのスピードであれば反物質に対面してもそれが消える前に姿を拝める可能性もある、とワクワクし、いよいよ超弦理論に走り始めて

「来年の卒論テーマ、これにしよう」

 こんな悲惨な状況で何やら生きがいが爆誕したようだ。とは言え『創造主は存在した』などというテーマよりはまだ現実味を帯びている。


 一方で屋上に運ばれ仰向けに気絶したレヴィを眺めてベルフは溜め息をつき水の塊を用意した。レヴィの真上で止め、魔力を解く。凍る直前の冷たい水をバシャリと被ったレヴィは「ぶぁっ」悲鳴を上げて目を覚ました。


 ベルフは起きたばかりのレヴィの胸倉を容赦なく掴み上げ、

「気絶しないでもらえます?」

 柔らかな笑顔で脅迫する。まるでスパイの口を割るための拷問のようだ。しかし咳き込みながらレヴィも自嘲していた。

「ゲホッ。ちょっと暴走しただけだ。俺をみっともないと思うか?」

「先輩が嫉妬エンヴィを爆発させた要因は古賀さんですよね」

「だったら何だ」


「天使たちが彼女の魂をリーディングして教えてくれましたよ。彼女はただ、男子生徒から黒戸くろとほむらと付き合っているのかと聞かれたから頬を染めていたそうです。先輩が目にしたのは彼が古賀さんに交際を申し込み、古賀さんがちょうど断っていた瞬間ですよ。そして僕らは先輩の尻ぬぐいをしました」


 最後の一文だけ異様なほど強調したにも関わらずレヴィが耳に入れたのは前半のみ。

「……」

 複雑な感情を覚えたレヴィは舌を巻いてしまう。


「黒戸くん!」

 騒ぎが静まったため鼓は屋上に駆けつけた。この騒ぎを起こしたことを叱るでもなく、冷たく濡れたレヴィに抱き着く。そのことに戸惑い、レヴィはあたふたとたじろいだ。

「おい離せ。俺はいいがお前は風邪ひくだろ」

「エネルギー切れたなら私のをちょっとあげるから! 消えちゃ駄目だよ!」

「馬鹿なのか? 離れろ、今の状態ではお前の魂ごと吸い取りかねない」

「馬鹿はどっちよ! いつも遠慮なく触ってくるくせになんでこんなときだけ私のこと避けようとするのよー!」

「燃料切れの悪魔に近づくのは訳が違うんだ、死ぬぞ」

「死……ぬのは困るけど、いつもみたいに理性を利かせなさいよ」


 鼓は冷えたレヴィの頬を両手で覆い、口付けをした。唇を塞がれた瞬間、レヴィは自身の中で覚悟が決まる。鼓の魂を一切吸い取ることなく突き放した。据え膳を拒まれたような面持ちで鼓は叫ぶ。

「なんで補充しないの!?」


「お前なんかじゃなくても死者で充分だ」

 その言葉に鼓はしおらしく項垂うなだれた。


「……私以外の魂を食べちゃうの?」

 レヴィはその切なげな表情を前に奥歯をグッと噛みしめ、鼓の目を真っすぐ見つめてこう言い放つ。


「ああ。お前の魂は食わない。言っただろう、俺は次期魔王リヴァイアサンだと。一人前の巫女として生涯を遂げたあとにでも天使に回収される前に食らってやるから覚悟しろ」


 それは今生で決して交わらないという約束だった。


 レヴィは鼓を手放したのだ。傍で見ていたベルフも、あとから集まってきたアースや鈴たちも、皆傍観していた。


 ――(俺に出来なかったことをレヴィはやってのけたんだ)


 そのことに揺らいだキリクは放課後、波長を整えようとサクの本殿に上がった。


 しかしそのとき自身の周波数の異変に気付く。

 怪我人の修復にエネルギーを当てた今のキリクは生者で言えば体が重だるい状態である。

「? なんか、全然回復しないんだけど」


 そこでサクはハッと息を呑み、言葉を詰まらせる。その様子が明らかに異常だったためキリクも怪訝に思い尋ねた。

「サク? 今何考えてんだよ」

「キリク………状況が一変した。今すぐここを離れ、キミの護符のある鈴の家にいなさい」

「なんで?」


「天が、キミへのエネルギー供給を絶ったんだ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この愛しき隣人に捧ぐうた 洪 臾殷(HongYueun) @hong-yueun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ