Op.31 鈴の家族、キリクの暴挙
「ハッキリ聞こう、娘とは真面目に交際しているのか?」
冷えたイチゴ牛乳を前に。
なぜこのような事態になったのかは
高校初めての夏休みが始まってすぐのこの日、鈴の姉
「お姉ちゃん、バイトは?」
鈴が尋ねると、「仮病で休んだ」と言う。
夏休みシーズンかつ土曜日という稼ぎ時。たいていの飲食・サービス業界ではこのようにすぐに休もうとする大学生に対しての目が一層厳しくなる。
「これだから学生を雇いたくないんだ、アルバイトも雇用が生じる立派な社会人なのに学生気分で簡単に勤務を放棄する。穴埋めは誰がやると思ってるんだか。日数や給与の雇用形態が違うだけで同一業務同一報酬と伝えたのに。もういい、音羽には一切の業務をさせるな。給与と夏季手当は与えるが二度と仕事はさせない。どうせあいつは責任なんか感じてないんだ、契約内容は読めなくても空気を読める普通の人間なら自分から辞めるだろ」
水面下では玲の
正面玄関から堂々と乗り込んで来たキリクには鈴も含めて全員が驚いた。『乗り込んできた』と言うのはまさに言葉通りの意味である。
「靴! 靴を脱ぎなさい!」
土足で上がり込もうとしたのだから当然父親が真っ先に食い止めた。
「い、犬神くんはその、フランスから帰国したばかりで、に、日本にある自宅も土足文化なの」
鈴の説明も強引だったが父も母も『フランス』と聞くなりホッと胸をなでおろした。しかし当然そのような子供だましに玲は惑わされない、とかく目を光らせている。
「ふうううん、その家イコール『クラブ』なんていう話じゃないわよねええ。明治じゃあるまいしイマドキ土足の豪邸なんて住んでるのおお? それとも欧州文化アピールかしらあああ? なああんか怪しいわよねええ」
玲のキリクに対する因縁には今のところ歯止めがない。そのため母親が歯止め役に回った。
「もう玲ったら。犬神くんに失礼でしょう? 本当に立派な豪邸に住んでる天上人だったらどうするのよ」
実際に天上人ではある。ついでながら当の鼓の住居は土足厳禁、純和風だ。バレた時のほうがただでは済まないだろう。
ともあれこの金髪金眼の美青年を遠目からは認識していた両親は近くでそれを拝むこの機会に失礼なほどキリクを見つめた。特に、鼓と一緒に鈴を毎朝迎えに来ていた姿を見ながら母はいつも目の保養にしていた。
「近くで見ると本当に綺麗。K-POP アイドルみたいだわぁ」
それを聞いた浮幽霊の
「バレてるじゃないの。お母さますごい」
実際、服装などは鼓から見せてもらった画像でリサーチしてマネキン買いならぬマネキン
「あああサクさま、なんと麗しい! よくお似合いです!」
波長も下げたサクが写真に写るのをいいことに鼓はここぞとばかりに連写してあらゆる角度から撮影して保存していた次第だ。つまり恥をかいたのはキリクだけだった。
更に最先端ファッションで訪れてしまったがために尚更鋭く光る玲の視線まで浴びる始末である。
「お金あるのねええ、ここまで外見が良いと言い寄ってくる女の子は多いでしょう~、スカウトだって受けてるでしょうし話題にもなってるはずなのにねええ。じゃあやっぱり中身に問題が……」
「あー ぅるっせ。そうだよ『俺様』だよ、これで満足か
小蠅。鬱陶しいという意味の代名詞として放ったその一言が、大きな波紋を呼ぶ。
鈴と美琴が『もう駄目だ』と呆れる中、父が勢いよく立ち上がり怒声を浴びせかけた。
「なんて下品なことを言うんだ!」
それもキリクからは軽く跳ね返されてしまう。
「うるせえジジイ。くたばれ」
「年上に向かってなんて口の聞き方を……」
「(俺のほうが年上なんだよ) 次に俺に指図したら家族全員皆殺しだ」
「か、堅気の目じゃない……」
しばらく物騒なやり取りが繰り広げられた。その様子を玲が写真に撮って SNS にアップロードしようとする。
〈 妹の彼氏がチャラめ俳優タマゴかと思ったらチンピラだった件 〉
だがしかし、それは何故かうまく送信できなかった。
写真そのものがデータとして認識されないのかアップロード自体ができないのだ。文字だけは掲載されるものの、文字化けしている。狐につままれた気分でポカンとしている玲と目が合ったキリクは、意地悪そうに舌を出した。
「!?!?」
何が起きているのかは分からないにしても『それ』がキリクの仕業だということだけは把握したようだ。玲は怒るどころかポカンと口を開けて放心した。
仕組みはこうである。素粒子でノイズを作り出し、投稿しようとする瞬間だけ玲のスマートフォンの端末にのみ通信障害を起こさせているのだ。通常の人間が行なえばおそらくは犯罪行為とされる電波妨害である。
放心している玲をよそにこの騒ぎを止めたのは、当然、鈴。
「犬神くん、駄目ですよ。言葉遣いには気を付けて下さい。敬語に慣れてなくてもせめて私の家族ですから、同じように接してくださいね」
言葉を選ばないにしてもキリクが苛立っているわけではなく波長の高さから両親を軽くあしらっているだけであることを鈴は知っている。しかし示しをつけるためには言葉上だけでもキリクを牽制せねばならない。鈴がキリクの安定感を信じて頼むとキリクは一旦口を
『鈴と同じように接する』
それは至難の業ではあるが、キリクなりに頑張った。
「わ、分かったよ。お前がそう言うならそうする。頑張るよ」
ヘラッと頬を緩ませるキリクを見て両親は一気に警戒心を解く。
「あらぁ素敵。あ、お茶も出さずにごめんなさいねぇ」
そう言って茶を用意しようとする母を引き留め、キリクは無遠慮に要望を出した。
「あ、俺、イチゴ牛乳しか飲めないから」
再び空気が固まった。
この外見、そしてチンピラのような態度の青年から『イチゴ牛乳』という言葉が飛び出すことは想定外である。
「空耳って本当にあったのね」
そう呟く玲に対し
「何言ってんだ。イチゴ牛乳は、『神』だろ」
そんな返しまでがイカれて聞こえた。
中級天使が『神』と崇める、イチゴ牛乳。鈴も美琴も普段から『一体何が彼をそうさせるんだろう』と感じるほど不思議でならない。
しかしここで母は鋭く察するのだ。
「いつしかうちの冷蔵庫に鈴が大量にストックし始めたあのイチゴ牛乳は、あなたのだったのね……!」
鈴は母の言葉に頬を染めて俯いた。その謎の恥じらいに家族は思う。
―― (犬神くんは思ったより危険人物ではないのかもしれない……)
毎日お供えをするかのようにこのチンピラに貢いでいるのがイチゴ牛乳だけだったことを知り家族は安堵した。玲すらも今までのことがどうでもよくなるほどに。
そして冒頭に戻る。
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