Op.32 天使による神がかったイタズラ
「ハッキリ聞こう、娘とは真面目に交際しているのか?」
問われたキリクは冷えたイチゴ牛乳の紙パックにプスッとストローを差し、一口飲んでホッと顔を
「俗にいう男女の交際はしてない」
陰で聞いていた鈴の姉の
「じゃあ何か!? 遊びか!? もしくは今後交際を進めるということか!?」
「や。交際とかしないし そういう関係じゃないから」
「な、付き合ってもないのにあんな思わせぶりな態度を取るなんてあんまりだろう! 鈴の気持ちはどうなるんだ! キミを思い一生結婚できなくなったりするかもしれないのに」
「それは俺じゃなく鈴が決めることだ。鈴が今生において望んでいるなら必ず相手は現れる。俺はただ今生の間だけでもあいつやその大事な人たちを守ってやるつもりだ」
「(今生? フランスで学んだ言い回しか?) ま、待て、待て。じゃあつまり、鈴がキミ以外と結婚して子供が生まれても……夫になる男すらも守るというのか?」
「そりゃ当然だろ。天が (天使である) 俺に与えた役目であり『慈愛』の在り方でもあるんだから」
だいぶ
「キミはまだ若いんだ! そんなふうに自分を犠牲にして人生を棒に振るうな! うちは平凡な家庭で、鈴だって一般の高校生なんだ! そこまでの覚悟はまだ早すぎないかい!? もっと自分を大事にしなさい!」
そう、かなり拗れ始めた。
「(だから俺は何周も巡ってる年上なんだって。今生でやっと地球生二周目な赤ん坊のお前に言われたくない) 少し冷静になれ。人は動揺するほどにその不安思考が膨らむもんだ。もっと大局で全体を見据えろ。と言ってもまだせいぜい四十五年しか生きていないお前には何も見えないだろうけどな」
厨二病のような物言いに家族は皆硬直した。無論、鈴や傍にいる浮幽霊の
その心中すら全て見透かしたようにキリクは、少しだけ意地悪を仕掛けた。
「…………お前が小学生のころに好いていた
ゴトリ……
厚いグラスが鈍い音を立ててテーブルに落ち、それは畳の上に転がり落ちて麦茶が散乱した。傍で聞いていた玲や母も訳が分からないと言った表情で困惑している。
「何、何の話」
「和音って誰」
しかし父は青ざめていた。その内容は誰にも明かしたことはなく、更に言うならば和音はとうに学生時代に亡くなっているのだから。明らかに高校生が知るはずのないことだ。年代も、地域も、犬神吼とは全く無縁である。
キリクは続けた。
「まあ和音はそんな細かいことを恨むような奴じゃないから」
さも和音を身近で知っているかのような言い振りに父は震える声を喉の奥から絞り出した。
「な、なぜ、和音のことを……あの子はもう…………」
「ああそうだよ。今、別の生を歩む準備に入っている。あいつは役目を終えたから若くして死んだんだ。そして次の役目が決まったから生まれようとしている。たいてい過去生で縁した魂は次の生でも縁するんだ。稀なケースだが、お前が生きているうちに二度目の和音に会えるってことさ」
「ば、馬鹿な、そんな宗教みたいな話……」
ふぅ……、 キリクは浅い溜め息を漏らす。
「のちにこの家から六時の方角へ向かって三件離れた住宅にガキができる、予定だ。まだ受精卵の着床には至っていないけどできるんだよ。そんでそのガキが生まれて四歳になるときに尋ねてみりゃ言いよ。『花は好きか?』と。そうすればガキは『うん』と返事したあとにお前の目を見てこう言うだろう、」
天を指差した。
「『病気に勝てなくてごめんね』」
この驚愕の内容に誰もが固唾を呑んだ。張り詰めた空気の中キリクは続ける。
「転校して文通している間にその病気で手紙すら書けなくなってからは、ただその一言だけを伝えられずに死んだことを後悔してたみてーだよ。くだらねぇ話だ」
「そ、そんな内容まで…………」
「(担当したの俺だし。最初にコイツの魂を視たときには何の冗談かと思ったよ、和音にも催促されて鬱陶しかったんだよな) ほら あいつポジティブにしつこいじゃん」
声に出てしまった後に「あ やべ」と口を塞ぐものの既に遅く、和音の性格まで把握していることから父はようやく認識する。
キリクという『存在』を。
偉そうな振る舞いはともかく確かに魂に響いていたのだ、
「ああ、ありがとうございます、ありがとう、あいつが救われてよかった。後悔して苦しんでいた私を、怒鳴りつけてしまった私を、導いてくださってありがとうございます」
異様な光景である。しかし魂が発する無意識の言葉が止まらなかった父はひたすら礼を吐き出していた。この異様であるはずの光景を母も玲も受け入れないわけにはいかなかった。父のこのような姿を初めて見るからだ。キリクの気まぐれなイタズラはこの家を騒然とさせた。
『導く』とは本当の意味で『救い』を与えるということであるとその身をもって体感した父はその夜、鈴に真剣な面持ちで語った。
「彼を縛り付けるんじゃないぞ、鈴。何者かは分からないが、彼はきっと神の子だ」
言っていることは正しい。天使も人もこの世に生きる全ての者たちは皆、神の一部を宿した御子であることは古来より語り継がれている。そのため鈴も困惑しながら「何を言ってるのお父さん、私たちもみんな神の子よ」と宗教じみたことを言う。
以前はそのようなことを言わなかった鈴が当然のように言い放つことにも驚いたが、それ以上に今はその言葉すらも受け入れられる自分がいる、そのことに一番驚いていた。
「お前がそんな悟りを開く日が来ようとは。まだ高校生に入ったばかりのお前が……」
きっと事故のせいでそのような世界に片脚を突っ込んでしまったのだと誤解した父はを抑えられず鼻をすする。それを何とか
「犬神くんはこれから毎日来てくれるのよ、うちにはイチゴ牛乳があるから」
「うう……そんな粗末なものを出すのはやめなさい。せめて玉露の茶とか、ダージリンティーとか、いろいろあるのに何故そんな添加物にまみれた物を選んだんだ」
「イチゴ牛乳が彼にとっての『神』だからよ」
「もったいない……あれを動画で投稿すればさぞや儲かるだろうに」
今日感じ取った感謝と口から出ている本音とが交雑しているようだ、鈴はその父の言葉を控えめに牽制した。
「そんな俗世に染まっていい存在じゃないのよ」
「イチゴ牛乳に染まっているのにか!?」
そして鈴の言うとおり、キリクは夏休みの間 毎日のように鈴の家に入り浸った。それも ぬらりひょんのように勝手に上がり込むのだ。
そこで更に人が増えてしまうとは誰も思いもしなかっただろう。
だが生者の姿を
「痛いっ! おい公安、結界を解け」
何度も結界を解いて新しくエネルギーを込めた護符を張り替えるなど言語道断、かと言って、悪魔を許可した護符を作るなどもってのほか。
結局外に出て遊ぶことが増え、鈴はそれなりに、いや、今まで生きてきた中でかなり夏休みを満喫していた。
鈴が楽しそうに笑うのでキリクも嬉しい。キリクが嬉しくなることを感じるとやはり鈴も楽しくなる。互いに幸福だった。
夏祭りが近づき、各々が思いを巡らせる。
鈴や美琴は純粋に夏祭りを楽しみにし、鼓は「サクさまと一度でも浴衣デートをしたい」と、『推し』への煩悩を露わにしていた。
盆付近のそのようなイベントでは、人ならざる者が多量に集まる時だ。浮幽霊はもちろんのこと、『鍵付き』、そして低級悪魔だけならず化け狐のように魂の高度が高くなってしまった動物やコウモリの化身などが交雑する、別のイベントと化すのである。
当然キリクや悪魔二名はそれぞれ両極端な思考を巡らせていた。片や鈴をいかに守り抜くか、片や食べ放飲み放イベントをどこまでグルメに仕立て上げるか。
そんな折、鈴にメッセージが来る。
〈 今度の夏祭りさ、誰とも約束なかったら一緒にどう? 〉
送り主は先輩の
しかし鈴にはもう迷いはい。
〈 申し訳ありません。一緒に行く人がたくさんいるので 〉
そのように一言だけ、返事を送った。
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