Op.30 気持ちの変化、そして鈴の姉

 忠犬 犬神いぬがみこうことエリート天使のキリクは今日も今日とて音羽おとわすずに従えている。


「甲斐甲斐しいね犬神くん」

 クラスメイトたちもその日常風景に慣れ始め、もはや何をするにも『二人セット』で見ていた。

「てかあれは愛情なの? 洗脳なの?」

 そんな疑問に言葉を詰まらせるの面々。

「どちらとも取りがたい、強いて言えば後者でしょうかね」

 碓氷うすいよりとしてそこにいるベルフが苦笑いを浮かべて答える。


 キリクのエネルギーを毎日微量ずつにでも受け続けているせいか、鈴の体内エネルギーもキリクの周波数に近づいている。更に言うならキリクの感じていることが少しだけ鈴に伝わること、そして鈴の感じたことは瞬時にキリクに共有されてしまうことが尚更二人の距離を縮める一因となっているのだ。

 例えば鈴が紙切れ一枚で少し指を切ろうものならキリクが治癒してしまう。


「犬神くん、生者はそのようなことはせず、絆創膏を貼って傷口の保護をするぐらいで自然治癒させるものなんですよ」


 言葉ではそう言う鈴だがどことなく嬉しそうに歯に噛む、その本心のほうをキリクが受け取っているということだ。キリクも鈴の本心に照れながら「でも痛いのはイヤだろ」と目を逸らしてまで言い訳をする。

 実際のところ傍には浮幽霊のかのう美琴みことがいるが周囲には当然視えていない。つまり一般の目から見れば手を握り合って仲睦まじくイチャついているようにしか見えないのだ。最近ではこの日常風景に満腹感を募らせる者もいた。


 当の鈴は相変わらず無謀なことを仕出かすことが多い。

 以前に比べ頻度は減ったが、自己犠牲を払うことをいとわず困っている人を助けようと身を乗り出すわけである。

 数回 見て見ぬふりをしようと右往左往する鈴の姿も、その心の中の波長も、全て把握しているキリクは以前とは打って変わり「お前らしいな」と背を押してやる。手を出さぬよう、鈴の真心を見届けていた。


 そうすると鈴の心の中が温かくなるので、キリクにもそれがよく伝わった。


 キリクが何もしていなくとも鈴は礼を言う。

「ありがとうございます」

「俺は何もしてないだろ」

「導きに感謝を」

 慈愛を込めた言葉に、『全』の中の『個』への愛しさ半分、『自分は天使なのだ』という少しの疎外感半分を感じることも近頃増えてきた。

 その寂しさのほんのわずかなカケラが鈴に伝わると、鈴はキリクと手を繋ぐ。

「温かいです」

 それは『生者でもある貴方に親愛を込めて』という、やはり真心だった。だからキリクの周波数も安定しており、一層 鈴の周波数も共鳴するように安定し合った。


 鈴のボランティアに手は出さないとは言え、周辺に低級悪魔や悪質な浮幽霊がいる場合もある。そんなときは勿論キリク或いは気まぐれ上級悪魔二体が片付ける。生者の世界に踏み込んではならないが生者ではない者相手ならば別である。


 ほんの少しの諍いは生じるが。

「おい『鍵付き』以外は食うなよ」

 キリクが悪魔たちに向けてそう言うも、

「俺たち気まぐれシェフが作るディナーなんか気まぐれグルメに決まってるだろ」

 などと訳の分からない理屈を述べて天使の言うことを聞かない。そんな悪魔たちもここにサクがいたなら確実に服従していたに違いないだろう。

 何だかんだと文句を言いながらもキリクに加勢するのは鈴の魂が尚 透明で濃く美しく輝き始めたためである。

「我ながら見守ってきた甲斐があった。あれは一つの芸術作品だ」

 そのように自画自賛までしている。



 そして鈴が自由に外を出回ることが出来るようになり行動範囲も広がったとき、再び事件が発生した。



『生者の世界に踏み込んではならない』、そのルールを破らざるを得なくなる瞬間も生じてしまったのだ。

 それは古賀こがつづみも含め、馴染みの面々で街にいた時のことである。


「鈴」


 そう呼び止めた女性の声に振り向く。鈴は街中で会ったその女性に目を丸くして驚いた。


「お姉ちゃん」


 一足先に夏季休暇に入った大学生の姉、れい

 その日はバイトもなく、彼氏と思われる人物と一緒にいたところに遭遇したのだ。


「鈴、テスト期間でしょ? 遊んでて大丈夫なの?」

「うん、今日でテストも終わったから」

「ふーん」

 言いながら興味深そうに鈴の周辺人物を見渡した。


 犬神吼、黒戸くろとほむら、碓氷依、そして古賀鼓。もちろん叶美琴は視えていないため素通りしたが、

「え。みんな鈴の……友達……?」

 今までの交友関係 (の無さ) から鑑みて、自分に遭遇した時の鈴以上に驚いている様子だ。鼓を除いては全員が一度は玲を見たことがあるため皆は玲を認知しているが玲はこの中の誰のことも知らない。


 玲は大学が少し離れているため鈴よりも早く家を出るのだ、両親を介して鼓と吼の話だけは聞いていたが実際に見るのは初めてだった。


「ふううううううん」

 鼓以外をまじまじと眺める。

「顔面スペック高すぎるわねえええ、悪い遊びに誘われてるなんてことないでしょうねええええ」

 その言葉と共に一番睨まれていたのはキリクである。


「遠くからでもオーラが違うことがよく分かるわねー」

 その玲の発言に鈴は素直に

「お姉ちゃんにも視えるの!?」

 馬鹿げた質問をした。


 あれほどキリクや悪魔たちを厨二病のように見ていた鈴がついにこちら側に来たのだ、耐えかねたレヴィは笑いを隠すのに必死で顔面を覆って静かに震えていた。


「鈴が最近夜中に誰かと話してるなあああっていうのは知ってたけど鈴に負担かけるのやめてくれるかしら、ただでさえ体が弱いのよ、病気でもしたら全部あなたのせいにしてくれるわ」


 悪魔、或いは般若のような形相でキリクを見降ろす玲に、鈴は困った顔で「やめて。負担なんて感じてないから」と返す。鈴の体が事故に遭う前より丈夫になっていることをまだ知らないのだ。しかしあろうことか玲は鼓を見て言い掛かりまでつけてきた。


「この子ね? お母さんが『カップルが毎朝迎えに来てくれてる』って言ってたけど、なあああんか違う気がするのよねえ」


「す、鋭いですねお姉さん」

 鼓は思わず返事をしてしまう。それにより玲のキリクに対する威嚇に拍車がかかってしまった。


「じゃあ二股ってこと!? この子と鈴で二股かけてるの? 鈴はね、昔から騙されやすいのよねええええ」


『騙されやすい』に関しては誰も何も言えなかった。が、ようやくキリクは口を開く。特に生者である玲からどのような因縁をつけられようと微塵も波長が揺るがない、表面上では生者の 300Hz そこらだが中身は安定の 4096Hz。

 般若のような形相に対しても微動だにせず天界モードで話してしまう。


「鼓のことは嫌いじゃないけどこいつは (オーラも) 強いし守ってくれる天使やつもいるから俺の出る幕じゃない。俺は鈴 (の肉体) が死ぬまで傍にいると決めたんだ。『その瞬間』が訪れるまでの時間なんて天から見れば本当にあっという間だから、時間が許す限りずっと守り続けたいし導き続けてやりたい。それだけだ」


 はたから聞いていれば外見相応の言葉ではない上に熟年のプロポーズのようである。キリクの言いたいことを理解している鈴は微笑ましい気持ちでいたが、玲にとっては大きな衝撃だったようだ。


 このような公衆の面前で さも悟りでも開いたような覚悟さえ孕むセリフを恥ずかしげもなく堂々と言い放っている、それも金髪金眼の神々しい美青年が。


「詐欺とかじゃないの!?!?」

 玲の辿り着く答えはもっともだった。


 姉の波長が揺れていることまでキリクを通じて感じ取れるようになった鈴はキリクを牽制けんせいした。

「犬神くん、それぐらいにして下さい」


 するとキリクは顔を少しほころばせ、照れたように外方そっぽを向いて

「す、鈴がそう言うならもう何も言い返したりしない」

 そのようなことをのたまう。


 当事者以外の傍観していた面々は遠い目をして思うのだ。


 ―― 一体、何を見せられてるんだろう。


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