Op.21 是か非かな、鈍感力


「いきなり挨拶だな番犬」

 突然の攻撃によろめきながら立ち上がるレヴィ。

 悪魔とは言えいわれのない扱いを受け、さすがに黒の三白眼にも怒りが滲む。苛立つあまり青白い炎を手のひらにスタンバイした。それを援護しようとベルフも大気から氷結晶をその手に集める。


 天使が何の理由もなく攻撃してくるわけがないことも承知である。弁明ぐらいは甘んじて受けようとベルフはメガネの奥の優しい瞳の中に敵意を灯しながら事情を問う。

「『この前』、と言うと?」


「お前らが鈴の家に上がり込んだ日だよ」

 瞳孔を開ききった金眼で悪魔を見据えるキリク。

 この程度の周波数のキリクならば上級悪魔二体でかかれば微塵の素粒子も残らぬまでに消し去ることも可能である。


「話が見えないぞ、俺たちを消したいだけのこじつけじゃないのか」

 レヴィが炎を竜の形に変えるもベルフはその火炎竜の周りを冷却して遮った。

「何をするベルフ」

「先輩が出るとこじれるので大人しくしててください」

「何だと!」

「魔界と天界の問題にも発展しかねないからです、相手は、彼ですよ」


 天界でもエリートだと一応重宝されているキリクを今この瞬間に消すのは簡単だが、そうなれば天が動くだろう。氷結晶を手に集め戦闘態勢にありながらも冷静に中指でメガネを整えキリクに問いただした。


「僕たちは『その晩』が初対面から二度目ですけど?」


 キリクを消した後の事態を考えている、というのもることながら、考えなしに自分の感情や本能に従って動き回るレヴィとは違いベルフは自分が納得できなければ行動に移さないのだ。怠惰スロウスの化身であるだけに。


 しかしキリクもまたベルフの答えに納得できるはずもなく問い詰めた。

「嘘つけ。『その日』の帰り際にも鈴の周波数が乱れたんだよ、お前ら鈴に何した」


 二人はその明らかな言い掛かりに顔を見合わせる。『その日の』になど居合わせた覚えはない。鈴の部屋に侵入したのは明らかに『その日の』だったからだ。

「さっきから何の話をしてるんだこいつは」

「もしかして先ほどの揺らぎのことを言ってるなら救いようがないですね」


 二人して音羽おとわすずに目をやった。


 天界と魔界の摩擦に関わりかねない一触即発の状況。当の原因となっている本人はキョトンとしているではないか。余計に苛立ちが増すレヴィ。

「誰がこんな間抜けを相手にそんな子供じみたイタズラをすると言うんだ」

 ビシッと鈴を指差してキッパリと論じた。

「(先輩にしては正論……) そうです、僕らが彼女の魂を汚してもメリットはありませんよ。美味しく頂きたいですからね」


 ―― (クソ、ちょっと筋は通ってる…… でも じゃあなんで揺れたんだ?)


 二人の言い分にキリクが揺らぐのは、彼らが悪魔として弁が立つわけではなく正論だと感じているからである。しかし認めるにはプライドが許さず後戻りもできないためとりあえず風を出したり消したりと見苦しく葛藤していた。


 誰が一番呆れているかと言うと全貌を知るかのう美琴みこと、そして冷静に全体を把握したベルフだけである。キリクは鈍感さゆえにまるで理解していなかったのだ、


 息を切らせてキリクを追ってきた古賀こがつづみが現れるまで。


「ちょ、犬神いぬがみくんいきなり消えないでよ、探したでしょ」

「あ? 先に帰ってりゃいいだろ」



「だって一緒に帰らないと……」



 鼓がそうキリクに言った瞬間だった。


 また揺らいだのだ、鈴の周波数が。今度は明瞭だった。悪魔が手を加えていないことも明々白々。そのハッキリとした変化を感じ取ったキリクは目を見張った。事の経緯に気付いたレヴィもまた「嫉妬エンヴィか、阿保らしい」と小声で呟き、そのまま真っ黒なコウモリ羽根を大きく広げる。

「いくら高級食材でも今は不味そうだ、旬を狙おう。帰るぞベルフ」

「はい? 報復のほうは……」

「興が削がれた。あんな阿呆を相手に仕返しするエネルギーが勿体ない」

 レヴィの目は本気だった。

「…… はい (本当に自分勝手だなあ、こじれた原因の半分は先輩なのに)」


 大きな羽根を力強く一振りで羽ばたかせ、宙に舞い上がる。


 その飛び立つ姿に仰天した者が一名。


「!? 何あれ すごい邪悪! あれ!? まさか悪魔!? 悪魔が! 悪魔!」


 悪魔を見たのが今生で初めてだった鼓は近所迷惑なほどの声を上げた。


 そしてやはり

 ・キリクが一瞬で隣から消えた

 ・探したら鈴の家にいた

 ・悪魔が飛び立った

 の状況から、

「あの悪魔たち、鈴に何かしたの!? 大丈夫!? 鈴!」

 鼓は鈴の手をギュッと握りしめて心配を露わにした。一周したのち再び繰り返された誤解に美琴は少しだけ悪魔たちに同情を覚える。


 しかし一方、鼓に手を握られた鈴は先ほどよりもずっと安定していた。いつものようにフニャっと嬉しそうに笑う。

「私なら大丈夫です。お二人とも心配をかけてごめんなさい」

 鈴が笑っているならと、美琴も安心した。


 今は安定している鈴の周波数。だが先ほどの変化を見過ごせるわけもなくキリクは鈴に尋ねた。


「鈴。もしかして寂しかったのか?」


 飾らぬ率直な言葉。ただその周波数から感じたのが『寂しさ』に近かったからそう尋ねただけだがハッキリと問われた鈴は驚いた。どうやら言葉としては正解に近いようだ。


「……はい、実は、お二人の後ろ姿を見送るのはいつも、心細いというか、寂しいというか」


 モジモジとハッキリしないのは、鈴の中でまだそれが明瞭な言葉になってないからだ。鼓のほうが勘づいてしまいハッと口を押さえた。

「あ…………私、なんてことを。鈴、ごめんね……」


 美琴が敢えて何も言わなかったのもこうして鼓なら気付くだろうという信頼や、二人の友情にひびを入れたくないという思いからである。


 あろうことかキリク当人だけが気付かない。だが当の鈴も首をかしげて「どうして古賀さんが謝るんですか?」と言う。もどかしくなった鼓はまた鈴の手を握って強い口調で告げた。


「別に犬神くんと一緒に帰りたいんじゃないのよ。私が単品で先に帰るとね、サクさまがものすごく哀愁を漂わせるの、『まだキリクが帰らない……』って。分かる? 本当だから、ね?」


 突然出てきたサクの名。未だに理由を理解していないキリクは当然驚いていた。

「お前さっきから何言ってんだ」

「犬神くんは黙ってて」

 噛み合っていない。それでもハッキリ教えるわけにもいかない。美琴も鼓も本気でキリクを殴りたくなったのは言うまでもない。


 少しポカンとしていた鈴だが、鼓の言いたいことは伝わっていた。鼓の言葉が不思議なほど自分の中に落ちてきたのだ。鈴の周波数がこの上なく安定していることに戸惑ったキリクがしどろもどろに割って入る。

「え、結局俺はどうすればいい? 俺が解決するものじゃないのか?」

「……はい、あの、私の中の問題だったので、キリクさんは何もしなくていいです」

 鈴は申し訳なさそうに返した。美琴も鼓も『それもちょっと違うけどね』とは思うが、正直に言えない。


 未解決で終わらせないために鈴が出した勇気は……



「あの、古賀さん……私、古賀さんとお友達になりたいんです」



 それを聞くや誰もが固まった。おそらく悪魔たちが聞いていたらまさに『骨折り損』だと思うだろう。鼓は突拍子もないその言葉にポカンとして「へ? 今までは何だったの?」と聞いてしまう。


「古賀さんはみんなとお話しされるので私もその中に入れてもらいたいなってずっと思っていました」

 そう答える鈴は頬を赤らめていた。本当に勇気を出したのだ、白い肌は紅潮し、ずっとモジモジしている。そんな姿にわけもなく罪悪感が鼓の中に込み上げる。

「い、委員長だからそりゃみんなと話すわよ…… でもね、私も友達はそんなに多くないんだ。だから鈴は特別な友達。そう、既に友達よ」


『特別』、その響きに、普通の『友達』と言われるより遥かに頭の中がフワフワした。


「あと、『古賀さん』じゃなくて『鼓』でいいから (鈴のほうが年上なんだし敬語もやめていいんだけどなあ)」


 鼓からのただその一言に先ほどとは打って変わり鈴は明るく笑った。鈴が笑うので美琴や鼓もとりあえず安心する。絶対に方向性が違うと分かっていながらもひとまずこの場は丸く収まったのだ。

 キリクはこの雰囲気について行けずに疎外感を感じつつも渋々状況を呑み込んだ。


 そしてそれ以来、キリクと鼓の後ろ姿を見送っても鈴の周波数は揺れなくなった。

 平和と言えば、平和である。



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