第一楽章:ソナチネ

Op.1 死者と足枷

「待てコラ! クソ、自分から命を絶った足枷あしかせのくせになんであんなに逃げ足速ぇんだよ」


 キラキラとした金の髪を掻き上げるその青年は、白い鳥のような羽根で宙に浮いていた。

 襟足は短いが緩やかなウェーブのかかった眺めの前髪は、普段はために下ろしている。だが今、ヘアピンで、留めた。


 スッと金色の目を閉じ、息を吐く。

「スコープ」

 低い声で呟き、テリトリー全域の『魂』を探した。生者も死者も見境なしに。

「一度見た魂は忘れねえのが俺なんだよ、これでも成績には自信あんだ」

 そんな自信のある彼が感じ取ったそれは、大きな病院の壁の前でキョロキョロと自分を警戒する中高生ほどの女の子、の、


 その霊体には足枷がついている。


 足枷付きの霊体はそのままスッと壁をすり抜け、病院に入り込んだ。病院は『彼ら』の巣窟だ。森の中に隠れようという魂胆である。


「上等だぜ『鍵付き』。けど俺も天界で恥をかくわけにゃいかねぇんだ、よ!」


 言い終える前に相対性理論を無視したような電光石火でターゲットの元へ瞬間移動した。



 が、しかし。

 青年を待っていたかのように死者は あっかんべ、と舌を出して自分と同い年ほどの女性患者の枕元に立つ。羽根のある青年にとってその光景は一番の失態である。

「待っ…… よせ!」


 患者は植物状態だったのだ。霊的な抵抗力は、ほぼない。


 聞く耳もたぬその死者は患者に覆いかぶさるように溶けていき、憑依を遂げてしまった。


「なあああ! ふざっけんな!」


 通常の生者は死者からの憑依を受けないようになっている。

 それは『オーラ』と呼ばれる七層から成るエネルギーの一部、第一層のエーテル層が肉体をしっかり包んで保護しているためだ。

 この憑依を受けた少女はそれが極限まで弱まっていたのだ。


 生者でも時折、鬱病などで気力が虚無となっている者は第三オーラののメンタル層まで弱まることもしばしば。また心霊スポットで当てられやすいと言われている体質の者も第四オーラのアストラル層が揺れていることもある。いかに第六感が強い者でもこのオーラさえ強靭であれば怨念渦巻く呪いの場所でも平然としていられるものである。


 つまり普通の状態の生者であれば降霊術でもしない限り、起きている間にそうそう憑依されることなどない。

 この死者は、患者が弱っていることを知っていた。



 ――(こいつ分かっててわざと!? たかだか『鍵付き』ってだけならこの世界の仕組みを知るはずがない。誰かの入れ知恵か? まさか悪魔どもが……)



 青年が戸惑っている間に、は植物状態から目を覚まし、起き上がった。


 自称エリートの彼にとってはこの上ない失態である。

 生者を巻き込んだのもることながら生者の中にいる魂には手を出せない、つまり完全な任務失敗だった。


 植物状態の患者が起き上がりバイタルサインに急激な変動が生じたことで医師たちが騒ぎ始める。酸素マスクを外してクスクスと不敵に笑う少女。


「そう簡単にあたしの『錠』は外させないわよ、変・態・天・使」


 その『変態天使』という言葉にハッと気付いたときには時すでに遅し。少女に繋がれていたチューブで衣服が引っ張られ、前がはだけて白い素肌が見えていた。

 人間の女体に『天使』が欲情するわけもないが変態呼ばわりされるとしゃくに障る。


 医療スタッフが入室する直前で彼は捨て台詞を吐き姿をくらました。

「ぜってー昇天させてやる」

 それも立てた中指を少女に向けて。



 職業:天使

 属性:風

 成績:エリート


 名をサンスクリット語で『ह्रीः:キリク』という。


 じつに神聖な存在である。



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