Op.2 天使の風、死者の声

 植物状態だった少女が急に目を覚ましたことで家族や医師たちは検査をしたり今後の後遺症やリハビリ等の説明をしたりと慌ただしく動いていた。その少女に憑依した死者を除いて。


 医師たちに囲まれている今、天使は手出しが出来ない。天の者が生者の領域を侵してはならないのだ。領域を侵す者や、契約によって生者の魂を縛る者たちを天は『悪魔』と呼ぶのである。


 自分を追っていた天使の気配がなくなったことを確認した足枷付きの少女は、生者の少女の身内をよそにその肉体でベッドに戻る。

 当然、家族たちは心配で体を支えてきた。

「鈴、大丈夫? やっぱりまだ本調子じゃないのね」

「目覚めただけじゃなく動けるなんてまさに奇跡だ」

「神さまが助けてくれたとしか思えないわ」

 無論『助けた』のは自殺霊だが。


 ―― (この子は『音羽おとわ すず』と言うのね。家族構成は両親と姉。ふうん、私と同じだ……なんだろう、なんか、すごく大事な人のような気がする。生前に関係したのかしら)


 死者は何かを思い出しそうになり一瞬戸惑ったが、絶対に思いだしてはならないようなことがある気がして『錠』がその魂を縛り付けた。

 この鈴という少女の家族ともこれ以上は同じ空間にいたくない。自由になりたかったため「少し眠るわ」と告げてベッドで目を閉じ、

 体から抜け出した。


 ―― (ごめんね鈴ちゃん。恨みはないんだけど利用させてもらったわ。きっとまた植物状態に戻っちゃうよね……)


 そう懸念して少女の霊は申し訳なさそうに振り返る。

 ところが、死者が体から出て行っても鈴と呼ばれた少女は覚醒したままだった。



 そしてである自分と目が合ったのだ。



「ひっ」思わず死者は息を呑む。

 鈴が口を開きかけたとき、母親が優しい眼差しで布団をかけた。

「少しずつ動けるようになって行こうね」

 鈴はチラリと死者のいたほうに目線を移したが、死者はすでに姿をくらましていた。鈴からも色々と尋ねたい事があったのだが一連の不思議な体験をおくびにも出さずニコリと微笑んで母親に「うん、心配かけてごめんね、お母さん」と言い、目を閉じた。


「目覚るための神経系が繋がったのかもしれませんね。後遺症もなさそうですし、少しリハビリすれば元の生活に戻れますよ」

 意識が薄れていく中で家族に対する医者の言葉がボンヤリと記憶に残る。


 ―― (あの羽根の生えた金色の人は誰だろう。それにあの女の子は…… とても悲しい死に方をしたのね、金色の人に追われてるみたいだった)


 足枷付きの少女の記憶まで読めたわけではないが、今際の際の絶望感だけはハッキリと胸に刻み込まれてしまっていた。、ゆえに自害した足枷付きというのは特に記憶が塞ぎこまれている。



 人生で一度あるかないかの体験をした翌日、鈴はまたしても恐ろしい体験をした。


 ここは五階、しかし窓の外に、昨日の死者の女の子とは比べ物にならないほどの怨念が籠もった浮幽霊が窓からこちらを見ていたのだ。夜、それも窓の外にもかかわらずそれらの姿は鮮明に視えてしまっていた。


「!!! い、やだ、……」

 恐怖のあまり声も出ずに体をすくませていた。


 その死者は嗅ぎつけてしまったのだ、音羽鈴という餌を。いとも簡単に窓をすり抜けて鈴の真正面に立つ。ベッドの上で後ずさりすら出来ずに硬直している間に、死者は鈴の体目掛けて近づいて来た。鈴は恐怖からガタガタと震え、成す術もなく目を閉じる。


 しかし、待てど暮らせど何かが起きるわけでもなく静まり返っていた。


「?」


 恐る恐る目を開けると、金色の光が病室内を照らしているではないか。ゆっくりと視線を上げると、昨日見た金髪金眼、羽根の生えた青年がその死者の髪を掴んでいた。


「『足枷』にまた逃げられてムシャクシャしてたところだ、ちょうどいいから俺のサンドバックになれ、『首輪』」


 首輪。犯罪者の霊である。自殺者の足枷と違い地縛霊と化しやすい。


 ガラの悪いその天使は、キリク。彼は天界での成績は優秀で注目されてはいるものの、昨日の失態が知れわたった上に人望のなさから首席の座を狙う天使たちにマウントを取られ始めていた。


 だが彼の強みは神とほぼ対等と言っても過言ではない能力『スコープ』を使えるという点にある。全ての生命の魂をテリトリー内で把握ができ、尚且つ死者、生者、動物、植物、人間、魂という魂いを判別することもできる。同じ能力があるのは一部の大天使ぐらいなものだろう。


 そのスコープで昨日の足枷少女を探す途中、感じ取ってしまったのが現在の鈴とこの『首輪』だ。舌打ちをして瞬時に移動し、今に至る。


 今、というのは首輪付きの髪を掴んだ状態のことだ。そのまま外へ移動し、まるで憂さ晴らしのごとく文字通りのサンドバッグにしたのち風を集めて固形化した空気の層で死者を拘束すると、空の奥から鳥かごのようなものが降りてきた。


 キリクはその檻に蹴とばすように首輪付きを投獄すると満足げに伸びをした。


「あ~スッキリした」


 キラキラと煌めく笑顔で鈴に近づいて来る。


「助かったぁ~、さっきの首輪付きは天界うちでもブラックリストに入ってたんだ、これで名誉挽回できたぜ。あとは奴の鍵の在り処を探すだけだ、礼を言うぜ」


 ポカンとしている鈴に、今度は真顔になる。


「…… 視えてんだろ、さっきの死者も、今の俺の姿も」


「あ、はい」


 拍子抜けするほどアッサリした鈴の即答にキリクは少々面食らう。

「…… まあいいや、稀にいるからお前のような生者。あと退院おめでとう」

「あ、ありが……」

「と、言いたいところなんだが、植物状態になる前、つまり『事故に遭う』前は普通の体質だったんだろ」

「!? どうしてそれを」

「魂を見れば過去も分かる、そんなことはどうでもいい。…… まさかとは思うが、『記憶』があるんじゃないか? あの死者に憑依されてた間の」


 通常、憑依された者はその間の記憶はない。しかし珍しい例だが、鈴には憑依中の記憶があるのだ。おそらく死の縁を彷徨っている状態で憑依を受けたため、『生者と死者』の境界に波長が合ったのだろう。



「単刀直入に言う。俺がさっき助けてやった代わりにあいつの情報をよこせ。例えば、『鍵』のような物は見えなかったか?」



 鈴が今しがた危険な目に遭ったのも元を辿ればキリクの失態だったはずが鈴を助けただけのような言い回しに変換されており鈴は戸惑った。


「鍵? いいえ、でも悲しい思いで死んだ事と、…… 仏壇、校舎、花束、あと、『生まれ変わりたくない』、という強い思いを感じました」


 キリクは唖然とした。

「生まれ変わりたくない、そうあいつが言ったのか」


 情報自体は興味深いものだが手がかりとなるかは別である。


「いえ、言葉というよりそういう思い? のような感じを受けました」


 するとキリクは項垂うなだれ、クツクツと笑い声を殺して肩を震わせた。


「上出来だ。逃げていた理由はハッキリした。捕まえて説得してやる、他に選択肢があるってことも」


 どうやら天界にあの檻で無理やり連れていきをかけて吐かせるよりは、鈴の言葉のほうがずっと効率的のようである。


「?」


「あいつをおびき寄せるためにもう一度植物状態を演じろ、エーテル層を弱めるぞ。もちろん憑依されやすくなる、だから俺は気配を消して傍にいてやる」


 疑問は尽きない。

 が、鈴はまず、キリクに感じた最大の疑問をそのままぶつけた。


「あの、あなたは一体何者なんでしょうか……」



「俺か。俺は天使だ」



 先ほどの死者に対する取り立て屋のような対応、

 昨夜見た中指を立てるポーズ、

 それに加えて鈴をおとりにしようという理不尽さ。


 そんなチンピラの口から天使を名乗るなど論外である。


「……… あ、……… えっと……」


「あと名前はキリクだ」


 有無を言わせず名前まで告げて来た。何となく気まずい空気に耐えかねた鈴は目を逸らして遠慮がちに尋ねる。


「キリクさん…… 彼女を私に憑依させて除霊する、という作戦… ですか?」


「いいや。俺たちは生きた人間の魂には手を出せない。だから憑依の直前で取っ捉まえる。お前はいわばおとりだ、通常は生者をこんな形で巻き込めば規約違反になるんだがさっき天界の許可を得た。……悪魔なんかは生者でも関係なく誘惑して殺し魂を食らうこともあるけどな」


 最後の小声の言葉のほうが耳にこびりつく。悪魔などもいるのか、と、鈴は背筋を凍らせ身震いした。

 だがこの天使、と名乗るキリクという青年はあの力の様子から推測するに自分の身の安全は保障してくれそうな気がした。相手をフルボッコにした理由ははなはだ疑問だったが。


 そして鈴は他の浮幽霊やら悪魔やらが来ても大丈夫そうだと結論付け、作戦に頷いた。





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