Op.26 交通事故と番犬

 音羽おとわすずとキリクが会話を交わさなくなって数日。

 すでに梅雨も終盤に差し掛かっていた。その間にも鈴の知らぬところで悪魔レヴィが黒戸くろとほむらとして、ベルフが碓氷うすいよりとして校内で低級悪魔を退け、我慢して浮幽霊をつまみ食いしていた。

 その舞台裏を知りながらもキリクは素直に謝ることもしなければ見捨てることもなく犬神いぬがみこうとして何故か真面目に登校している。


 学校では見ざる聞かざる言わざるを徹している様子を醸しているキリクも、登下校は長い距離間を一定に保ちながら観察していた。



 そしてその日は、

 何の因果か古賀こがつづみが委員会の仕事で遅くなると言い鈴を家まで送り届けることが出来なかった。

「黒戸くんと碓氷くんだけが頼りなの、鈴を守って」

 そう彼らに頼んだ鼓は「俺ら悪魔なんだけど」という口答えにも聞く耳もたず生徒総会に向かってしまった。


「何もしないのならその後光を仕舞って下さい」

「そうだ番犬のくせに仕事もせずストーキングまで」

 何のメリットもない役割を押し付けられた悪魔たちにとっては本当に何もしないキリクなど尚更鬱陶しいただの光の塊である。


「だからルートが同じなだけだって言ってんだろ」

 開き直った態度を見せてくるキリクには短気なレヴィもついに痺れを切らしてしまった。

「せめてその後光を仕舞えと言ってるだけだ、公安」

 今のエネルギーの安定度で言えばレヴィのほうが上回っているだろう。負の感情が大きければ大きいほど悪魔は強くなる。

 キリクもまた生者の波長に落としたとは言え自身が揺らいでいるため周波数の高低差が生じて光が漏れたり失せたりと明滅している。それはもうただただ目障りだった。


 しかしキリクは悪びれもせずあまつさえ目を閉じ金の前髪を掻き上げる。

「悪いな、こればかりは滲み出るんだよ、お前らと違って」


「コントロールできないだけの無能なのでは?」

「ああ何もかも目障りだ、天界にクレームをつけてやる」

 鬱陶しさに拍車をかけた態度に殺意すら芽生えた悪魔たちは荒んだ目をしていた。



 そのようなたわむれの中、事件は起きる。

 この下校時間の喧噪けんそうに紛れ、街中で大きなクラクションの音と数人の悲鳴が聞こえた。それは赤信号に変わる前に滑り込んだ右折車が原因だった。横断歩道を渡り終える途中の子供がいる。


 その子を助けようと飛び出したのは、他でもなく、音羽鈴だった。


「あの馬鹿! 何やってんだ!」

 真っ先に瞬間移動したのは、中級天使の姿となった二枚羽根のキリク。


 光よりも速く動けるのはキリクのみだ。悪魔はどうあっても天使のスピードには追い付かない。かの上級悪魔が揃いも揃ってその瞬間を諦めた中でキリクが動いたため、通常では有り得ないことだが彼らはつられて動いてしまった。音羽鈴を助けるために。


 ベルフが雨に濡れた路面を凍結させて自動車をスリップさせ軌道を逸らしレヴィがミストを利用した蜃気楼の分厚い壁で車の動きを止めた。間一髪で電光石火のように駆けつけたキリクが抱えていたのは、小さな幼女をその胸に抱く音羽鈴の体。

 傍には何もできずに涙ぐむかのう美琴みことがついていた。


「キリクさん!?」

 鈴が驚いたのはキリクが来たことに対してだが、周囲は別の意味で驚いていた。はたから見れば鈴は宙に浮いているのだから。


 そのような目はお構いなしにキリクは鈴を怒鳴りつける。

「馬鹿か! 自分が死ぬかもしれないのになんで飛び出すんだよ! そのガキと一緒に死んだらどうしてたんだ!」


 レヴィは「いや、死んだらどうしようもないだろ」と水を差し、ベルフなど「ついでに先輩が壁を作らなければ要らない食糧が量産されてましたけどね」と皮肉まで言う始末だ。なぜ悪魔である自分たちが生者を助けねばならないのかとさえ思っていた。


 一方、久しぶりの会話がキリクの怒声だったことよりも鈴はとかく今自分が抱えている幼女を気にかけている。


「ごめんなさい、あとでいくらでもお話を聞きます。今はこの子をあのお母さんのところに連れて行きたいのです」


 鈴に言われてキリクが幼女を見るとなぜかその幼女とキリクは目が合っている。

「……」


 そのことに怪訝けげんな目で一瞥いちべつするも、キリクは一旦言われた通りに降ろした。そして駆けつけた母親に抱きかかえられたその子はキリクに手を振った。


「……キリクさんの姿が視えているようですね」

 ポカンと見送りながら鈴が言うと、美琴も「私とも目が合ったわ」二人して唖然としていた。しかしキリクは存外平然と説く。


「最近は胎内記憶とかってやつが地球で流行ってるそうだ。中間生を覚えてたり『視える』だけだったりするガキも増えてる。大人になれば地球の波長に溶け込んで何も感じなくなる、それだけだ」


 そんな天使らしい知識を披露したのち、鈴を睨んだ。

「で、話の続きだ」


 鈴も唇をキュッと噛みしめた。

 あの雨の日、キリクの傘から外に出た時のように。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る