Op.27 神降ろし

 悪魔たちが野次馬に忘却魔法をかけている間、キリクと音羽おとわすずは向かい合ってずっと黙り込んでいた。


「……」

 キリクは二枚羽根を仕舞い、学生姿に戻る。自覚はないようだが鈴を気遣ったのだろう。


「黙ってちゃ分かんないだろ」

 そう言った直後、

「あ、いや。違う。そういうことを言いたいんじゃなくて」

 頭を掻きながら しどろもどろに訂正した。理由を話しやすい空気を作ろうという努力ぐらいは鈴にも伝わったようだ。


「改めて、助けて下さってありがとうございました」


 そっと礼を言う鈴に安堵したが、どうしても自身の主張が勝る。

「助からなかったら本当にどうしてたんだよ、また状態になるか最悪死んでたかもしれないんだ」

「そんなことを考える余裕はなかったんです。誰かが助けなければ……」


「あのガキの犠牲だけで済んでたかもしれないだろ!? しかもお前のせいで大勢が……」

 そこまで言ってしまっておきながら歯を食いしばって口をつぐんだ。本人も分かっているだろうことをわざわざ言う必要はないのだと途中で気付いたからこそ噤んだものの、ここまで言えば既に全文伝えたにも等しい。

 かのう美琴みことだけならず傍で聞いていた悪魔までもが「完全アウト」だと感じていた。


「これだから『幸福』をうたう連中は怖いよな、悪魔のほうがまだ本能に忠実で清々しいぐらいだ」

 レヴィは忘却魔法に使ったエネルギーをそこらの不味い浮幽霊で補う。ついでながら食らった霊は『鍵付き』ではないのでこちらもアウトだった、天界との契約違反である。


 キリクの言葉が単に口をついて出たものだと分かっていても鈴もまたそれを許容できずにいた。そしてついに反論に出たのだ。


「どんな犠牲でも出ていいものなんてありません! 天使ともあろうお方が何を言ってるんですか!」


 そのように言われると ぐぅの音も出ない。たじろぎながらも何とか返そうとしてしまう。

「た、確かに言い分としては理想だけど、お前が率先しても結局全滅したらって思うだろ普通。もっと他に方法が……」


「助からなかったらなんて考えてる時間は生者にはないんです、『たられば』なら逆を言えば助かったかもしれないじゃないですか! 現に! 今のように!」


「そりゃ俺や悪魔あいつらがいたからの話だろ。まさかお前、それを当てにしてたのか!? 思い上がんなよ!」


「違います、今私が言っているのは結果論です! なぜ天使が過ぎたことまでとやかく言うんですか!」


「結果が良かっただけで過程には問題があったから言ってんだ! お前の無謀なやり方だと命がいくらあっても足りねえんだよ! 家の結界にしろ恋愛にしろもっと考えて行動しろよ!」


 言い終えるや否やキリクの頬に衝撃が走った。


 皆が目を見張る。

 美琴も悪魔もキリク自身も何が起きたのか把握はできたが理解が追い付いていない。ことキリクは、その訪れを認知していたものの避けられなかったのだ。


 鈴のビンタを。


 キリクの言い分も正論ではあるが天使の土俵ではない。現に、鈴から叩かれた理由すら受け入れる余裕もないからだ。時間が止まったように険悪なムードのまま全員が固まってしまう。叩いた鈴でさえも昂ぶる感情に震えながら動けずにいた。


 誰もが唖然と傍観する、そのときだった。


 その異変は突如生じた。


 空気がまるで重力を帯びたようにガラリと変わったのだ。不可思議な事にその現象はこの周辺だけのものであり異変に気付いたのは悪魔たちと美琴のみ。


「ヤバい、なんか私、気持ち悪い」

「俺も。これ、噂しか訊いたことないがだろ」

「ええ、ますね」


 三人はあまりの居心地の悪さにその場から退いた。何が起きているのか、当の鈴とキリクだけは平気そうである。いや、キリクは動けないのだ、縛られているがゆえ。

 のたった一言が、キリクを縛り付けた。


「キリク」


 そこには強力な言霊を込めキリクの名を呼んだ。たったそれだけで空間ごと結界が張られたようだ。

 顔を上げた鈴の瞳にはいつもの黒真珠のような煌めきがない。光ひとつ通さない、むしろ光までも吸収するかのような底なしのブラックホールが


 こわばる声帯からやっとの思いでキリクが絞り出した言葉は、


「サク……」


 上司の名だった。


 ――(神降ろし……それも鈴の意思じゃない。そうだ、つづみが鈴に渡してた護符か!)


 思考を巡らせるもそれ以上声の出ぬキリクには言う。


「ほらごらん。以前に増して私にあらがう力すらなくなっている。大天使たちがおっしゃっていた通りになってしまったね、木乃伊みいら取りが木乃伊になる、と」


「……」


「この機会を与えても尚分からないとは。じゃあヒントを五つあげるよ、かわいいキリク。キミのためにね」


 サクは首を傾けた。黒絹のような長い髪がサラリと流れる。真っ黒な目を細め、白く細い人差し指をスッと前にかざした。


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