Op.38 天の領域、地球の領域

「ふう。久々に魔界に帰りたい」

 晴れやかな秋空の下にレヴィの陰気な溜め息が鬱陶しく響いた。


 傍で聞いていた音羽おとわすずは悪魔も天使と同じように波長を合わせて無理をしているのでは、という勘違いをし

「人間界はやっぱり疲れますか?」

 そのように的外れなことを尋ねた。

 今では彼女もキリクに毎日エネルギー補充をしてもらい魂の透明度を維持したまま第四層のオーラが濃厚にその華奢な体をまとっている。聖職者にも劣らぬ『それ』欲しさに七大悪魔であるレヴィやベルフはこうして鈴の傍にいるのだ、黒戸くろとほむら碓氷うすいよりという学生して。

 キリクの力でオーラを第七層まで強めるまで機を待っている、いや、大事に見守っているところであり、それゆえ目の前でお預けを食らった生殺しの状態が半年も続いているわけである。


 レヴィは虚ろな三白眼で鈴の胸の奥に輝く透明で濃厚な魂を穴が開くほど見つめた。

「ああ。美味い食事に当たらないから俺たちも消耗が激しいんだ。だから最近はメスともご無沙汰……」

 途中でピタリと言葉を止めたレヴィを不思議に思い鈴は白く細い首をかしげる。

「?」


 常に鈴の番犬、もとい犬神いぬがみこうとして忠実に傍に付いているキリクが鈴の後ろからスッと耳を塞ぎ、ガラの悪い金色の瞳をすがめて「どうした、続けろよ」と圧をかけた。

 悪魔二人の苦手とする上級天使サクが後ろ盾にいる古賀こがつづみを前にしながらもレヴィは前科を反省することなく開き直り、真顔で清々しく直談判をした。


「魔族のメスとまぐわうのはエネルギー消耗が半端ないので生者のメスで肉欲だけでも満たしていいでしょうか公安こうあん先生! 魂を食らったりなどいたしません!」


「…………未成年には手を出すなよ」

 ほぼ許可とも取れる言い回しで天界代表として回答したキリクに青天の霹靂のごとく驚いたのは、この中でキリクと一番付き合いの長い『足枷』浮幽霊のかのう美琴みこと

「あんたたち未成年の女子高生の前で 18 禁のやり取りしてんじゃないわよ」


「黙れ『鍵付き』。イマドキ小学生でも積極的に交尾を体験して性を学んでるんだぞ」

 このレヴィのとんでもない発言で鈴の耳に当てているキリクの手にピクリと力が入る。地上で上級悪魔が堂々と生者の魂を食らって屍姦しかんしている点などは把握済みだったが、それをしなくなったこの二体に対しては完全に油断していたようだ。今更ながら『どう罰してやるか』と思考を巡らせ始めた。


 キリクがそのような思考を巡らせているなどとは知る由もないレヴィは性懲りもなく調子に乗り始める。

「お前らが夏休みの間にヒマなあまり自然界の空を散歩していると山の中で小学生の群れから外れた雌雄しゆう一組のガキが隠れて……」


「先輩、この人たちの前ではよしませんか」

 キリクの空気をいち早く察した賢いベルフはメガネを中指で整えながら冷静に遮った。彼も反省はしていないものの、そのまま本当に 18 禁トークに突入していた限りには護符を持った鼓にの存在が降りてきていただろうと予想がつくからである。


「キリクさん」

 鈴が自分の耳を塞ぐ手をツンツンとつつくのでハッとしたキリクは両手を離した。

「悪い……」

 そう短く謝罪をして鈴に目線を落とした瞬間、鈴が見上げるように振り返ったので二人は顔が接触しそうになった。キリクとエネルギー共有をしている鈴のことだ、耳を塞ぐ程度では会話内容など容易にイメージが伝わっている。つまり先ほどから恥ずかしさを抑えて揺らがぬようにしていたのだ、しかし不意に至近距離になったことで一気に赤面してしまった。

 あまりにも急激に揺らいだ鈴の魂に感化されたキリクもまた波長が乱れ、二人至近距離で見つめ合ったまま硬直した。周囲が見ていて恥ずかしくなるほどに。

 そんな二人を呆然と眺めてはまたレヴィが溜め息をついた。

「面倒くさい奴らだな、いっそヤってしまえ」

「先輩、18 禁、駄目です、絶対」


 鈴と喧嘩して以来、キリクは言葉を選ぶようになった。

 もちろん作った言葉ではなく天の意思に従い、素直に表現する選択を取っていたつもりである。それがいつしか素直を通り越して本当に鈴だけを映すようになったのは誰の目にも明らかだった。むしろ天の意思なのか自分の意思なのか混同しそうになるほどだ。


 エネルギーを補充し続けると波長が溶け合う。通常は天界でもない限り言葉を介さぬ意思疎通は困難だがそれは『個』としてのエネルギー体同士のことだ。キリクからエネルギーを受ける鈴は既に言葉を交わさず簡易的な意思疎通ぐらいは成り立ってしまうまでに混ざっていた。


 鈴の動揺も喜びもキリクに伝わる。

 伝わったキリクはそれを共有するので、

 揺らぎかけたキリクのために鈴は自身を愛で満たし、

 それをまたキリクと共有することを繰り返していた。


 それはまるでキリクが鈴を守るというよりも鈴がキリクに寄り添うに等しかった。エネルギーを共有して気付いたのはキリクの過去生の名残だろうか、時折、鈴がキリクを天界の存在として一線引きそうになると互いに寂しさのカケラのような素粒子の振動を感じるのだ。だからこそ鈴はキリクを『生者』として見ながら触れる。それがまた二人の距離を縮めてしまうという罪を感じつつもその罪から目を逸らすように二人は手を繋ぎ、生者としての温もりを共有した。


 その揺らぎが大きかった日の夜、キリクは鈴の部屋に天使の姿で現れた。鈴にはキリクが現れることがわかっていたように全く驚かない。

 波長を整えるため、エネルギーを注ぐため、そのような言い訳なども用意せず、キリクはただ「会いたかったんだ」という。神々しく放たれる金色の光を纏い柔らかく笑った。そして差し伸べられた鈴の手を取り、窓から部屋に入った。


 美琴は気まずいと察し、「追い出される身になって感謝なさいよ」とキリクと入れ替わるように窓からすり抜けたのち鼓のもとに遊びに行った。その途中で悪魔二人と対面するも

「どうした『鍵付き』。さっきの公安と夜勤交代か?」

 という問いかけに

「あんたたちが焚きつけたせいよ」

 そのような捨て台詞を残して飛んでいく。ベルフは心外そうな表情を浮かべ「屋上での話でしたら僕は無関係なのに」と小さくボヤいた。おそらく今夜は鼓と美琴で女子トークが開催されることだろう。


 一方、鈴の部屋では雲の上のような光を放っていたキリクが目立たぬよう周波数を落として光を抑えると、明かりのない部屋でそれは月光のように静かな煌めきを帯びた。羽根を折りたたみ窓辺にたたずむ姿は窓から差し込む月の光と溶け合っている。その一枚絵に天使の存在を実感した鈴は、ただただ見惚れた。


「どうした?」

「あ、いいえ。きれいだなあと思って」

「なんでそんな小声なんだ」

「そ、それは、家族もいますし」

「…………」


 キリクはマジマジと鈴を見つめ、両手を広げた。

「じゃあ言葉を交わさないようにしよう」

 その言葉に鈴も安堵し、広げた手の中に入って一緒に窓辺に腰かけた。二人はただ互いの周波数が溶け合うようなこの瞬間が好きだった。これでは駄目なのだとキリクは重々承知だ。


 ―― (サクあいつが俺に口出ししないのは俺が自覚してるからだ。けど…それでも鈴とこうしていたい。これは天の意思じゃなく俺のエゴだ。払拭しなきゃ駄目か? 独占欲なんかない、でも禁忌を意識するほど手放すのが怖くなる。これは間違いなく生者の執着だ。俺はいつか天の扉を跳ね返されるかもしれない……なのに、それでもやっぱり鈴といたい)


「鈴……」

 思わず言語を吐いて、もはや生者のように自然と『言葉』にしている自分に気付くなりハッと我に返る。それと同時、鈴を抱きしめる力が強くなっていたことにも、その苦しみと言葉を鈴もまた全て受けてしまっていることに気付いた。

 しかし月明りを浴びて切なげに微笑む鈴は何も言わなかった。そしてただキリクの頬に手を添え、顔を近づけて静かに唇を重ねる。


 キリクは以前に話したエネルギー勾配の件を思い出し咄嗟に鈴を引き離した。今のキリクの不安定なエネルギーが鈴に移り、鈴の清いエネルギーがキリクに移ってしまうからだ。

 それでも鈴は何も言わない。その理由さえも伝わってくる。


 自分の不甲斐なさを感じたキリクは一度リセットするため、そして鈴のため、天から自身にエネルギーを降ろし、波長を整えた。

 その清き光の素粒子を改めて鈴の唇に優しく返していく。「ありがとう」と言うように。


 天の者が地の者と通じることは大罪だった。


 遥か昔、禁域に触れた天使が一羽いた。

 追放された当時の天使名を『ルシファー』と言い、現在は『サタン』と呼ばれている。




 ==========


【後書き】

 聖書や神話上でルシファーが展開を追放され堕天使となりサタンとなったなど諸説ありますが人間と結ばれたから追放されたという正式な記述はありません。


 本編は完全なフィクションです。


 天使と人間が交わったという伝記は聖書にも残っているようですがそれについては人間と交わる前から堕天していたなどの説もあります。



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