Op.13 天使の転入

「生者に紛れるだと!?」


 天界は今、騒然となっていた。


「はい、私がキリクに直接指示を出しました」

 四枚羽根を折りたたんでひざまずく、サク。こうべを垂れると黒髪がサラッと揺れる。天界でも珍しい上級天使である彼は、キリクの上司である。

 いくら地球にいてもその周波数に呑まれぬほど強力な天使であることから、キリク同様に重宝されている。そして大天使たちはそんな彼に厄介払いのごとくキリクの世話を押し付けていた。

 キリクは二枚羽根の中級でありながらも六枚羽根の大天使たちに劣らぬ能力を持つため誰も世話役を買って出なかったのだ。


 天界が言う『周波数』、それは人の言葉に置き換えるならば『安定感』のようなものだ。


 不安や怒り、邪心などが強いほど周波数は低く重くなり、喜びに満ちていても行き過ぎた歓喜ならば軽やかではあるが低いままである。

 高周波とはすなわち『冷淡』とは異なる、『中庸』。『慈愛』の行き着く先にある『安定』そのものを差している。


 したがって天界はネガティブにもポジティブにも振れぬ真の幸福の世界であり、さらに言語でのコミュニケーションを要さない。天使の階級は周波数の高低ではなくエネルギー量で決まるが、無論、周波数が高いほど意思疎通は円滑になる。


 つまりかなりの高周波なサクが浮上してきた瞬間に何も言わずとも天界全域が状況把握してしまったということだ。

 音羽おとわすずと『鍵付き』のかのう美琴みこととの奇妙な縁、キリクの無謀とも言える責任感、それを許容したサクの緩さの全てを。


「何も生者に化けなくても良いものを……」

「奴がここまで単純だったとは」

「大いなる『全』は何故このようなことをお赦しになるのだ」


「かわいいでしょう? 乗り掛かった舟を乗っ取って舵まで取るような極端な発想がまた彼らしいと思いませんか」


 神々、と地球で呼ばれている大天使たちを前に堂々と自分の部下のことを惚気のろけるサクにもまた辟易へきえきする。


「お前もこんなに盲目なのになぜ周波数が揺れないのだ……」

「いや、サクの『これ』はいつものことだ、ひとまず置いておこう」

「そうだ、サクがキリクを褒めないほうが深刻だな」

「とにかく今は何よりもキリクの件だ」

「地球では判断力が鈍るとは言うがここまでこじれるとは」


 今まさに天界が揺れている。その大天使たちの周波数の揺れにすら微動だにしないサク。

「あの子は生者を知らねばなりません。あ もちろん生者に紛れろとは言ってませんが彼はあの通り単細胞な上に頑固ですからね。そこがまたかわいくて仕方ないのですよ」

 思い出し笑いにふける彼のことはいちいち言及しても仕方がないため大天使たちもそれは度外視し、様子見という結論を出した。


「はぁぁ…… 地球のことには直接関与できないからねえ」

「まあ、優秀な二名に任せよう、不安要素は多分にあるが」

「うーむ、キリクは仕事は出来るが俗っ気が強く周波数が揺れやすい」

木乃伊みいら取りが木乃伊になるような事態は防がねば」

「サクよ。何かあれば必ず報告するように、不安要素が多いからな」

「本当に やきもきしてしまうねえ、不安要素が多すぎて」

「キリクがもしも地球に呑み込まれたらお前が助けてやりなさい、頼んだよ」


 大天使たちの指示に、サクは重力を帯びたような真っ黒な瞳を細めて燦爛さんらんと顔を輝かせた。


「キリクに関することだけは全てこの私にお任せください」


 ―― あ、これはもう駄目かもしれない。


 サクの安定の周波数を前に大天使たちが遠い目をして放った諦めの念もまた天界全域に一瞬で伝わった。



 ---


 自分がどれほど天界を揺らがせたか。そのようなことなど露ほども知らぬキリクは今、鈴の通う高校の、鈴と同じクラス、鈴の隣の席に座って授業を受けていた。


犬神いぬがみ こう』と名乗って。


 なぜこうも円滑に事が進んだのかと言うとそれは数日前にさかのぼる。


「え~、この時期の転入生も珍しいですが、犬神くんは自身のお勉強のためフランスの IB スクールを辞めてまで帰国してきました。お母さまがフランス人とのことで今までフランスにいたそうです。(どうして日本の IB スクールに行かないんだろ……金持ちの考えは分からないわ) 日本に馴染めないことも当然あるでしょうけど理解してあげてくださいね」


 保証人は同じクラスの委員長 古賀こがつづみの祖父、ひびき。サクを祀っている神社の神主である。

 サクの激しい要望により住所の申請も古賀家となってしまった。驚くべきはそれだけではない。響が校長と旧友であるため恐ろしいほど円滑に話が進んだのだ。天のはからいなのかサクの陰謀なのかは謎である。


 キリクの転入には当然ながらクラスが沸き立った。まばゆい金色ウェーブの長い前髪に隠れた金眼、西洋風の外見。ごく普通のイケメンと呼ばれる部類が転入してきたところでヒソヒソと浮かれるに過ぎないが、芸能人を通り越して天界の輝きそのものが目の前にあるのだ、生徒たちも遠慮なく騒ぎ立てる。


 その騒ぎが静まるには数分と要さなかったが。


 それは自己紹介の時点で

「神 降臨!」

 と叫ばれた瞬間だった。キリク もとい犬神吼がその力強い拳で黒板を叩き、地鳴りに近い音が隣の教室にまで駆け巡った。


「二度と俺を『神』と呼ぶんじゃねえ」


 何の威嚇なのか生者にはさっぱり分からぬこの内容が、彼の第一声である。謎の威圧感に包まれた教室はシンと静まり返り、生徒たちは固まってしまう。この金髪が天使からチンピラに早変わりしたのだ、何とか収めるべく教員は慌ててフォローを入れた。


「ほ、ほらみんな。理解 理解。きっとご家庭のそういうあれとかあるから。事情とか、なんか事情とか。これからは犬神くんの前で迂闊に『神』というワードを言うのはやめましょう。ね! (『犬神』はセーフなんだ?)」


 生者の中で鈴を守ることができたらそれでよし、と考えていた浅はかなキリクだが、生者として過ごすということと天使としてのそれは全く異なる。時間、物質、コミュニケーション……様々な試練が立ちはだかるのが常である。


 先はまだまだ長いようだ。


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