Op.53 第12曲 ベネディクトゥス(祝福された者)

 年は明け、音羽おとわすず古賀こがつづみは念願の振袖・初詣を満喫する。


 いつもならばサクがかのう美琴みことの服装を二人とお揃いにしてくれるが、

「すまないね。中級以下に落ちてしまって神社を加護する最低限のエネルギーしかないんだ」

 と美琴に振袖を着せてやれないことを詫びた。



 サクが謝ることではないのだとキリクも詫びようとしたが、美琴は自身の軽はずみな行動で鈴を霊視・憑依体質にしてしまったことで今更ながらキリクに負い目を感じている。


「す、過ぎたことを言ってもしょうがないし、あんたのせいじゃないのよ。後ろ向きなんてらしくないわ」


 自身へ言い聞かせるつもりで言ったことだが、成長した『鍵付き』浮幽霊にキリクもサクも驚いた。


「『鍵付き』から励まされるなんてな」


「錠が外れたらきっとキリクより階級が上がるかもしれないね」




 サクのエネルギーを削って繋ぎ留められた鈴とキリク。


 彼らに与えられた猶予は三か月。


 鈴が高校二年を終える桜の季節に、キリクはこのぬるいハチミツのような環境から離脱しなければならない。


『次はない』


 大天使たちの言葉が日増しに鈴とキリクを縛り付けていく。




 美琴の魂を天に送らなければ。

 賑わう境内で鈴が一人呆然としていると、シュリーの声が天から降ってきた。


「ああ~、疲れた! ここだけでも手一杯だってのに大天使ジジイども、アタシをこき使ってなんで自分たちはラクしてんだ! 特級のクソな願い事でも送り付けてやりたいよ!」



 いまのところ新年早々に聞いた高尚な存在の第一声の中に「あけましておめでとう」の一言は一度たりとも出ていない。


「浮幽霊の私ですら あけおめの挨拶したのに」


 枷が外れたらキリクより上になるだろうと言われた美琴の目はこの瞬間、荒んでいた。





 鈴と鼓が一緒に絵馬に願い事を書いているのでサクとシュリーが不思議そうに首をかしげる。



「直接言えばいいのに」



 もちろん聞き入れるけれど直接叶えることはない。

 生者が自身の力で叶えられるようサポートをするのが神の本分である。


 五感に働きかけてあらゆる方法で気付かせる、

 時に波長が合えばインスピレーションとして通じ合う、

 例えば人間関係のことであれば互いの心境に変化をきたす、

 総じていうならば『チャンス』と呼ばれる形で叶えようと働くのだ。



 地球での願いは地球の方法でしか叶わない、しかし地球ならではの学びが得られる。


 鈴やキリクの葛藤、

 鼓とレヴィの絆、

 サクとルシファーの苦しみからの気付きや、

 美琴の後悔。


 天ではそれを学べない。意思はすぐに通じてしまい、願いすらないほど幸福にあふれている。


 だからこそ地球が一層輝いて見えるのだ。




 常に生者の願いは聞き入れられている。

 しかし通常の生者は天からの返信に気付かない。


 鈴や鼓は直接聞いて直接アドバイスをもらえるだけ叶うまでの道のりは速いほうだろう。



「何を書いたんだい」


 サクがワクワクしながら覗こうとすると、鼓は父親から日記を見られるような態度を示す。


「の、覗き見など神失格です!」

「ええっ (神への願い、とは……)」


 何となくショックだった。



 鈴はそんなサクを見てたまれず絵馬を差し出したが、


 そこには叶わぬ悲しい願いがあった。




「鈴は素直だね」


 そう返答するしかない。




 だが聞かないわけにもいかず、啓示した。


「齢十八、音羽鈴。残された時間を色濃いものになさい。酷だがそれを手放すことを知る必要があるようだと、キミの魂がそう語っている。高潔で在り続けた暁には天使となりキリクと共に仕事に携わることもできるさ。或いは魂を統合することも叶う。キミの生が豊かで在らんことを」




 罪びとの死後、その魂に『錠』を付けるのは天の裁きではなく自身の後悔であると知ったキリクは抗おうとしたが。


「鈴が後悔しなきゃ『首輪』も付かないんじゃないのか」



「それは違うよキリク。キミが堕天してしまえば結局後悔するのは鈴だ。仮に鈴の魂に『首輪』がつかなかったところでキミを魔界につなぐ鎖は紛れもなく鈴のもの。鈴の後悔を単にキミが請け負う形になるだけで根本的な苦しみは延々続くことになるんだよ」



 言わんとすることはルシファーを見てキリクも理解はできる。

 それでも納得いかなかった。





 他に道はないのか、そう思えば思うほど二人の間に色濃いエネルギーの交わりが生じてしまう。



「鈴……」



 キリクは鈴の手を握り、振袖をまとう鈴の隣で生者として初詣のデートに出た。


 二人の中身と同じほど、はたから見ても燦爛さんらんとしていて、見ている者のほうが懐かしい気持ちで満たされていた。



 思い出を辿るように、確かめ合うように、


 手を繋ぎ続けていた。





 その日の終わりに鈴を自宅に送り届けると、「こうくん! あけおめ~。夕ごはん一緒にどう? おせちもお雑煮もあるよ~」姉のれいからそのように気さくに誘われる。



 出逢った当初は何とも思わなかったこの家族も、不思議なほどに愛しい。


 家族に囲まれるその時も、鈴の部屋で過ごす時間も、何もかも。




 部屋でキリクが鈴にじゃれつくと鈴も戯れ返す。


 小さな風をそっと送って驚かす。

 笑って振り向いた鈴を抱きしめて抱え上げると、

 鈴はキリクの首の後ろに手を回し、両脚をキリクの腰に絡めた。


 額を付け合い、笑い合う。



 そのまま鈴の細い身体を支えながらベッドに移動しゆっくりと寝かせ、

 自身も鈴の横に座った。


「こんど夜空を散歩させてやる」


「本当ですか? 落とさないって約束してくださいね」

「どうしようかな、さっきみたいにお前がしがみついてくれないと」

「もうっ、誰がしがみついたって言うんですか!」

「冗談だって、怒るなよ」


 笑い声を上げながら鈴の鼻にチュッと口付けした。



 そして二人で見つめ合う。

 静かな時を分かち合っている。



 キリクは横たわる鈴の頬を手で覆い、


 頭に、額に、

 そして敬愛を意味する瞼、

 親愛の鼻、友愛の頬、

 最後に性愛の唇へと順に口付けを与えた。



 また見つめ合う。



 今度はゆっくりと唇を重ねる。



 エネルギー勾配とは違う、

 ただその感触を確かめ合うだけの行為。


 しばらくの間それを感じ、唇を離してはまた見つめ合った。


 また唇を塞ぐ。

 鈴もキリクの首に手を添えて目を閉じ、受け入れる。


 何度も何度も、互いに食み合った。




 少し呼吸を乱したキリクがゆっくりと離れる。


「これ以上はやめとこう。止められなくなりそうだ」


 心臓はない、だがキリクの胸の奥は熱い。

 今触れている鈴の頬と同じかそれ以上に熱を帯びているのを確かに感じる。



「…… わ、私も、ドキドキしすぎて頭がフワフワします。体も火照ってムズムズするんです…… こんなことは初めてで、エネルギーに問題があるんでしょうか」



『それを淫らというんだよ』という言葉をキリクは呑み込むも、鈴にハッキリと伝わってしまい、

 自覚した鈴は赤面して「私ったら、なんてはしたない」と顔を覆う。



 鈴が自覚すると尚、鈴の体に起きているその変化までも生々しくキリクに共有されてしまい、キリクまでつられて淫靡いんびな気分に陥りそうになる。


 ―― (駄目だって分かってるのに委ねてしまえたらどんなに心地いいだろう)


 レヴィが古賀こがつづみに抱いていた劣情にも似たそれをキリクも身をもって体感している。


 トロンとした表情でねだる鈴に逆らえそうにない。


 鈴も確実に分かりやすい態度で素直にキリクを欲している。



 据え膳を拒めば鈴が傷つく、かもしれない。

 だが委ねてしまうと本当に鈴に『首輪』が付く。


 そう葛藤していると、




 鈴のほうから離れ、起き上がった。




 自分で本能を抑えたようだ、キリクのために。



「ただ叶わぬ願いを少しだけ伝えてみたかっただけですから。キリクさんの弊害になりたくはありません。人生なんて、あっという間ですよ」



 柔らかに微笑む鈴の濡れた瞳を見つめて眉をひそめ、華奢な肩に額を委ねた。


「天界での何百年よりこの一瞬が俺の全てなんだよ。この瞬間さえあれば俺はもう消えてもいいとさえ感じてる」


「キリクさん……」


 煌めく金色の髪を鈴は愛し気に撫でる。


 表情が見えなくとも感じるキリクの想い。

 キリクは自嘲とも後悔とも、羨望とも取れる感情を生み出していた。


「天界が地球を羨むのも分かるよ、こんなにも焦がれる感情は生きてる間にしか感じることができないんだ」



 リミットの迫る中、抗うことも出来ずただ寄り添う小さな存在たちがいた。







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