Op.5 罪に生き永らえること
首輪付きの霊、
息子はすでに家庭を持って別居しており、出てきたのは弦太の妻だった。当然ながら十代の女の子がこのような老齢女性一人の住まう家に何の用かと驚いている様子である。後ろにいる弦太や
怪しまれているのは重々承知で鈴は正直に申し出た。
「突然なのですが、お亡くなりになられた旦那さまの件で伺いたいことがあって参りました。今年高校一年になる音羽鈴と申します」
もはやそれ以外の切り出し方を思いつかない。弦太も申し訳なさそうな表情で痩せこけた頬を掻いていた。
「? 夫の件、というのは、どういうことかしら」
充分怪しいと感じながらも鈴を思いっきり外見で判断し、ひとまず家の中に招き入れた。
鈴は客間に案内されて座るなりオブラートに包まず率直に尋ねた。
「とても妙なことをお尋ねしますが、終戦直後にご子息さまが生まれたばかりのとき、何かご近所の方々と揉め事などはありましたか? 率直に申し上げると、旦那さまが…………窃盗なさった、など」
オブラートに包むと余計にややこしくなるため単刀直入に問うた結果、妻は顔面蒼白になり唇を震わせた。
「まさか、息子から聞いたの?」
この反応だけでも当時窃盗を働いたのが真実であることを物語っている。弦太自身からは記憶が抜け落ちているが間違いないようだ。鈴は首を横に振り、
「いえ、ご子息さまとは面識がないのです。信じて頂けないかもしれませんが、旦那さまから……」
そこまで正直に返した。何かのイタズラかと思うも、鈴の態度を見る限りそのようなことをするとは到底思えない。その話題で
「夫から聞いたにしても、生前の知り合いにあなたのような子はいなかったわ。亡くなるまでの十年間は認知症で施設にいたし、亡くなったのも二年前。あなたがどういうご縁で、何を知りたいのか、ゆっくりでいいから説明してくれる?」
十二年前から弦太は誰とも接触していない、つまり、現在十七歳の鈴が接触したとしても幼稚園児の年ごろである。理解する由もない。鈴は弦太の話と自分の視た光景をありのまま話した。
終戦後、母乳を与えられるほどの食べ物すら満足になかったことを自分の責任だと強く感じていた、と。
視えた光景や感覚は、
『荒れ果てた家』
『空っぽの
『赤ん坊の夜泣きと高熱、ひどい発疹』
『罪悪感、後悔、
『近所の家庭の流行り病』
『町内からの疎外』
『駐車場、砂利』。
それらを挙げるうちに妻の顔色がみるみる変わっていく。
「まさか本当に、……夫と、話したの!?」
それは死んだ夫という意味である。そうでなければ一体誰がそのように鮮明な記憶をこの少女に話すと言うのだろう。息子も近隣の住民たちさえも決して知り得ぬ光景まで含まれていたのだ。
「信じたな、第一段階クリアだ」
何もしていないキリクのドヤ顔を押しのけ、美琴が声を上げる。
「今よ鈴ちゃん! 核心を突いて!」
「旦那さまは今、ここにいます」
その言葉に妻は目を見開いて硬直した。
「今………… 何て…………」
「旦那さまはここにいます。いつも奥さまのお傍にいました。例の、おそらく窃盗なさった当時の姿です。えっと、白っぽいシャツにモスグリーンのズボンと、サスペンダー。シャツもズボンもブカブカです。ひどく痩せています、その仏壇のお写真よりも頬がこけています」
「本当に、本当に夫が? 今、そこにいるの? いつもいたの?」
「毎朝八時になると必ず奥さまが仏壇の
「……ああ、ああ、馬鹿ね…… 本当に昔から……」
息子すら知らぬ『祈り』の内容に確信を持った妻はボロボロと泣き始めた。
「どうして。とっくに成仏したと思っていたのに。どうしてまだいるの。私があなたに言いたいくらいなのに、あなたこそラクになってほしいのよ」
ひとしきり涙を流して落ち着いたころ、打ち明け始めた。
「先ほど言っていた通り。人様の家から盗みをしたわ。夫は『分けてもらった』と言っていたけれど、すぐに嘘だと分かった。分かっていながら、私が食糧を返せばこの人が責められる、そう思って、一緒に罪を背負う覚悟で食べたの。おかげで息子も私も生き延びた。だけど盗まれた家の人たちが流行り病で伏してしまってね…… 不運にも食糧不足から病に耐えることができずに一家全員亡くなってしまったの。それが町内に知れ渡ったとき、早くも夫が告発されたわ、『あの家から食糧を持って出るのを見た』と。夫は出頭して牢屋に入れられ、出所したころには夫の知るすべてが変わっていたの。息子は近所からの仕打ちに耐え抜いてくれて、助成金を取って別の土地で学問に励んで、いい会社に入ってようやく生活がラクになったの。だから夫も施設に入ることができたのだけど……亡くなって二年も経つのに…………」
鈴はキリクを見た。キリクが頷く。
「変なことを申し上げていると思われるかもしれませんが、旦那さまが本当に成仏するには旦那さまの一番思い入れのある場所に行く必要があるんです。心当たりはありませんか?」
「そうねえ……あ、ねえ鈴さん、さっき、『駐車場』と言ってなかった?」
「はい、とても強い後悔の念と一緒に視えました」
妻は老体でよろめきながらも立ち上がる。
「ここから少し離れているけれど、その流行り病で亡くなった家族のいた跡地が砂利の駐車場になってるわ」
県外であり老体には負担があるだろうから日を改めては、と提案するも、妻は「平気よ」と何かに駆り立てられるように急いだ。
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