Op.6 晴れやかなる歌、虹の橋

「視えたというのは、こういう場所で合ってるかしら?」


『砂利』『駐車場』、そのキーワードを自分で述べておきながらひじり弦太げんたの妻から案内を受けた音羽おとわすずのほうが驚いていた。視た光景とあまりに一致していたのだ。


「はい、間違いありません」


「やっぱり。ここにあの家があったの。…… どれほど躊躇ためらったことかしらね。私もたくさんの罰を受けたけれど、あの人はもっとつらかったでしょうね」


 駐車場の一角、おそらく盗んだ食糧があった場所だろう、鈴が何となく「あの辺りの記憶が一番強かったような」と特に車もない場所を指差した。


 そこにまさしく『鍵』があったのだ。


 弦太の首に付いている錠に合う形のそれである。


 妻には視えないため「何かお祓いのようなことでもするの?」と不思議そうに聞く。鈴にもよく分からないため困ったように

「それは……『お迎え』の人も傍にいるのでその人にお任せします」

 とあやふやに答える。


 かのう美琴みことにも弦太自身にすらもよく分からないため、鍵を拾うキリクを観察した。キリクが弦太の錠に鍵を通して回す。すると鎖を垂らしていた首輪は光の粒子となり消滅した。



 その瞬間、讃美歌のような歌が響き渡ったのだ。



 それは弦太本人に一番強く聴こえたが、この罪に関わった死者、今は中間生にいる例の家族たちにも届いた。鈴も自分の中に響いてくるのを強く感じた。不思議なほど心地よく晴れやかな気持ちになり、同時に涙があふれる。

 弦太の妻もまた、わけもなく涙が出てきたと言いながら頬を拭った。


 弦太に全ての記憶が戻る。


 どんな罪を働いたのか、そのときにどれほどの罪の意識を持ったかということ。忘れたいと願い続け、認知症になり本当に忘れてしまっていたということ。死の間際、後悔の念にさいなまれ妻の名を口にして息絶えたことも。


「おめでとさん、晴れて中間生で更生を受けられる。生まれ変わったらもう盗みなんかせず役所にでも頼れよ。じゃあな」


 まるで無感情に淡々と段取りを進め、空に手をかざして虹の橋を架けるキリク。その業務を弦太はあわてて遮った。

「ま、待ってください」

「あ?」

 チンピラのような態度で振り返る。弦太はその威圧感におののきながらも未練を残さぬために懇願した。

「か、感謝はしていますけれど、少しだけ妻と、話くらい……」

「おいコラ調子乗んなジジイ」

 美琴はそんなキリクの後頭部をパシッと叩く。

「悪魔じゃないんだから聞いてやりなさいよ!」

「憑依する気だろ! 音羽鈴が疲れるだろうが!」


 一般人には視えぬ、聞こえぬ騒動が空中で繰り広げられている。どうしたものかと少し迷うものの、鈴は「私のことは大丈夫ですから」と声に出してしまった。


「? 誰と話を…… ま、まさか夫と?」

 当然の反応が返ってくる。


「は、はい。お別れを言いたいそうなので、私の体に憑依してもらいますね」

「そんなことも出来るの?」


 憑依を許可した鈴に、弦太は溶け込む。すると鈴は一度、項垂うなだれた。


「なんで気絶……」ポカンとしているキリクに美琴は呆れかえる。

「馬鹿ね、よ。いきなり話始めたら あんたでさえ驚いてたでしょ。鈴ちゃんは優しいの」


 顔を上げた鈴の顔はとても穏やかだった。

 その場で挙げ連ねる口調や癖、内容、すべてが聖弦太であることを証明している。


 苦労をかけたことも何もかも謝罪し、そしてすべてに礼を言った。

 出所するまで自分を待っていてくれたこと、

 自分が劣悪な環境を作ったにも関わらず息子を立派に育ててくれたこと、

 認知症で施設に入っても根気よく面会に来てくれたこと、

 自分の仏壇まで作って毎日手をあわせてくれていたこと。


 たくさん謝り、たくさんの感謝を伝えた。

 そして彼は泣き崩れる妻に「もう行くよ」と別れを告げ、


 鈴の体から離脱した。


 弦太は皆に頭を下げ、

「ありがとうございました」

 そう言い遺して、虹の橋に足を踏み入れる。


「これを渡り終えたところで大天使が出迎える。あとは指示に従えよ。じゃあな、日本兵」


 キリクはもう彼を『首輪付き』、とは呼ばなかった。

 鈴は弦太の想いを共有してしまい涙を流しながらも、泣き崩れる彼の妻の老体を支えていた。

 いつかは自分もこの橋を渡るときが来るのだろうか、そう感じていたのは鈴だけではない。



 美琴もまた虹の橋を渡る弦太の後ろ姿を見送りながらその思いにふけっていた。



 ただひとり讃美歌の届かなかった闇の中で、それは一層美しく見えた。




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