Da capo この愛しき隣人に捧ぐうた
卒業写真には、『彼ら』の姿も映っていた。
「たかだか齢十八そこらの生者と一瞬を分かち合っただけで記念なんて阿保らしい」
「全くです、僕らは七大悪魔ですよ。こんな日本の小さなひとつの高校のひとつのクラスに思い入れなどあるはずもないのに」
「とんだ迷惑でしゅわ、五百年後に振り返って若かりし頃の自分を拝むことほど虚しいものはないでしゅ」
個性的な外見の彼らに、煌めく二名が口を出す。
「お前ら揃いも揃って文句言いながらしっかり参加してんじゃねぇか」
「まったくだよ。アタシはこんな貴重な経験、『全』に真っ先に共有して差し上げたいけどねぇ」
そこには浮幽霊だった
クラスが別れた
しかし
「鼓さん、そんなに焦らなくても、まだ時間はたっぷりありますよ」
「でもさぁ、でも、犬神くん以外のみんなとはお別れなんだよー!」
彼らは確かにいた。
その瞬間を、この長い歴史の一部で共有したことを残している。
十九歳、一年遅れで入学した鈴は、掛け替えのない仲間たちと共に卒業した。
キリク、いや、犬神吼は生者として鈴の隣にいる。
天使としての力はもうない。
鈴と同じく霊視はできない。
「本当に俺たちの本来の姿も視えなくなったのか」
「逆に今が魂の狙い時ですよね」
「間抜け女に間抜け元天使、お似合いでしゅ」
悪魔たちは再集合してしばらくそのネタでイタズラを仕掛けて遊んでいた。
そのわりに、何だかんだと言いながらも魂は食らおうともしなかった。
---
卒業式から
羽根をサクに捧げ周波数を落とし、天から地に降りた一人の元天使は、
信号を待つ音羽鈴の姿を捉えるなり胸の奥が喜びにあふれた。
あふれた喜びは胸の奥から喉を伝い、金色の目からこぼれ落ちる。
「…… そうだった。生者は涙を流すんだ」
心臓が動いており、本物の血が巡る。
物質として存在しているのだ。
大いなる『全』が赦したことによって諦めた大天使たちがキリクへの餞別として
例えばこの世に誕生して産声を上げる赤子と同じように、地球の空気を肺いっぱいに吸い込む。
雨上がりの湿った空気が肺を満たす。
体はやや重だるい。
頭もボンヤリして痛い上に、情緒が保てず曇天に鬱々する。
「ああ~、この感覚、懐かしっ」
気だるげな表情で呟いた。
信号が変わると鈴が歩き始める。
吼は生者の体を堪能するより先に鈴の背を追いかけた。
歩くペースを合わせ、立ち止まったり、ゆっくり歩いたり。
ゆっくりゆっくり、一定の距離を保ちながら後を付いて行き、鈴の愛らしい後ろ姿を幸福に満ちた生者の瞳で眺める。
ただ傍で見ているだけで幸せだった。
その周波数が鈴の魂に伝わったのだろうか、鈴は花屋で立ち止まり、ブーケを眺めて嬉しそうに微笑む。
「どなたかに贈り物ですか? 結婚祝いとか。季節ですからね」
「あ、いいえ。ただ、ただわけもなく幸せな気持ちになっただけなんです。変な話でしょうけれど、理由はよくわからなくて」
「ありますよね、そういう事」
金色のヴェールに包まれたブーケをその場で購入し、再び歩み始める。
幸福の道をゆくように、魂が光輝いている。
吼の目にはもうその魂すら視えないが、共有した名残がまるで共鳴し合うように光を感じた。
その光は、こんな梅雨には悪魔にとって格好のターゲットだ。
吼はかろうじて感じたジットリと張り付くような波長に警戒し、
鈴の後ろから声をかけた。
「梅雨時期に単独で出回らないほうがいい」
周りにも人がいたにも関わらず、時が止まったように鈴だけが振り返る。
鈴の目に映るその青年は、手にしているブーケと同じ色に輝いている。
目を見張り、動けなくなった。
「お前の魂を狙って食らおうとする悪い奴らがいるんだよ。そうなれば二度と会えなくなる。統合するって約束しただろ?」
言霊をこめてもいないその謎の言葉の羅列にさえ違和感をまるで感じない。
「あなたは?」
「…… 俺は天使…… を辞めて地球に降りた浮浪者だ…… (もう知らね)」
「あ。はい (厨二病のニートという意味かな)」
その青年からは鼓の神社にいるときと同じ感じがすることに気付く。
何より、今までの謎の空白が埋まりつつある感覚を覚えて鈴の心臓が波打った。まるで抜け落ちていたパズルのピースが見つかったような気分である。
「古賀鼓の神社に行って新しい護符をもらえ (ついでに俺も住所をちゃんと手配してもらえたか知りたいし)」
明らかに怪しいはずのその白人男性に
四枚羽根の上級天使に戻ったサクのエネルギーは確かに七大悪魔すら退ける力がある。だが犬神吼には天使たちの姿も視えなければ悪魔の存在にも気付けない。
「あ~、やっぱ視えねぇってのはもどかしいぜ。なぁ鼓、視えるならアドバイス頼むよ、巫女だろ」
「なんか馴れ馴れしいわねぇ。サクさまの要望だから聞いてるけど私は認めないわよ」
「相変わらずムカつくな」
周波数は絶好調に低い吼。
それでもサクが浮かれていることぐらいは感じ取れるので「半径五メートル以内に近づくなよ、変態天使」と一言添えてみる。
鼓はその怖い物知らずな発言に卒倒しそうになるが、二人の遠慮ないやり取りを見た鈴はなぜだか安堵した。
「ご友人というのは本当なのですね」
そう言うと、鼓と吼は昔からの知り合いだったように
「「違うから」」
声を重ねた。
鈴が笑う、すると吼も嬉しくて笑った。
それがサクの神社だったのが幸いなのか、天にその波長が鮮明に伝わる。
キリクを擁護する大天使と素直ではない大天使たちが皆、揃って『全』と話し、今までキリクのおかげで上級悪魔の凶暴性を抑えていたのだと理屈をこじつけた。
「狂暴に戻った上級悪魔がこの梅雨時期を機に好き放題すれば均衡が崩れます」
「キリクが食われて消えるのであれば尚更、送り出した意味を損ないましょう」
そう決断し、皆にキリクの記憶を戻したのだ。
その瞬間はまるで霧が晴れたような感覚だった。
なぜか吼の胸にも響く讃美歌付きサプライズだったため、その恩着せがましい演出に「ジジイどもめ」と吹き出した。
「あー! すっごい急ですけどスッキリと記憶が戻りましたよサクさま!」
鼓は目の前の犬神吼には目もくれずサクに喜びを伝える。
サクは仕方なさそうに笑い、吼を見た。
天を仰ぎ笑みを浮かべる吼の姿に、また別の意味で目を見張る鈴。
「どうして、ここにいるんですか。その姿、周波数も。どうして。キリクさん」
「俺、もう天使『キリク』じゃないんだ」
「…… じゃあ、犬神くん、になるんですか?」
「ああ。サクにエネルギーを全て渡したんだ。周波数も下げた。天使も辞めた。そうしたら生者の肉体をもらった」
「罪、ではないのですか?」
「天使を辞めたあとなんだから自由だよ」
「どうしてそんな無茶をするんですか」
「そうしてでもお前と一緒に生きたいからに決まってんだろ」
「生者は、不便ですよ」
「知ってるよ。…… 霊は視えない、お前にあげられるエネルギーもない。今まで共有してた感情も今はさっぱりだ、遮断されてるみたいに。だからお前の気持ちを汲み取ってやれなくなると思う」
「私のことばっかりですね」
吼は少し緊張した面持ちでブーケを持つ鈴の細い手を握りしめる。
「そうだよ、お前が俺の『全て』だから。音羽鈴、俺と共に地球で生きて、天に帰ってもまた一緒になってくれないか」
鈴の手に、吼の体温が伝わる。
その震えも紛れもない生者のものである。
鈴は感情が込み上げ、奥歯をギュッと噛みしめしばらく沈黙したのち、震える唇を動かした。
「『待ってる』、と言ってくれたのに嘘つきです。だから送り出したのに」
「でも『いつも傍にいる』とも言ったろ。そのときお前、何て言ったっけ」
「……『はい、信じています』」
それからは卒業までの九か月、
記憶が戻り、察して舞い戻った悪魔たちがどことなく嬉しそうに高校生活を満喫していたことは言うまでもない。
---
卒業後、悪魔たちとはお別れをした。
彼らは結局 鈴にも鼓にも付いて行くことはなかった。
気まぐれに生者の姿で現れては すれ違いざまに悪戯を仕掛けてくることはある。
レヴィは未だに鼓の死後に魂を食らうのだと
彼は魔王の座に執着し、サタンに挑んでは返り討ちに遭っているという噂だけは地上にいる低級悪魔の間で何の脚色もなく一人歩きしている。
吼は鈴と同じ大学に進み、同じ研究をしながら鈴に量子論の助言を与えた。
時折、吼が単独行動している際に天使だった時の癖でドアに直接ぶつかることや、瞬間移動しようと構えることもある。
生者 犬神吼は、大変な博識ではあるが鈴よりもずっとドジなようだ。
それでも夜が更けて眠りに付く前、
目に視えぬ世界の話をしながら同じベッドで向かい合い、
手を繋いで呼吸を合わせると満たされる。
エネルギーのコントロールは引き続き吼や鼓から教わり、鈴は第六層までオーラが厚くなった。もちろん吼も一緒に習得していく。
チャクラが安定した彼らはもう何者にも振り回されることはない。
二人の第六層オーラが安定してくるにつれ、うすぼんやりと『存在』たちを視覚的に感じるようになってきた。
それらの日常に舞い降りたニュースと言えば、
鈴の姉
サクが名付けの占いでその子を視た瞬間、さすがに硬直した。
「男児ではあるけれどこの魂は……」
「そうですよ、サプライズです」
ルシファーがここにいる、ということは、
すなわち美琴の研修を終えたことを意味する。
ルシファーは顔を
「この子たち、ここが良いのだと言い張るのです」
サクもまた愛し気にその子たちを見つめた。
「互いの学びを生かすため、
一人の体に一つの魂が宿っていることのほうが稀である。
もちろん『個』を形成する上で複合体を一つとしてカウントされるが、よくよく分解してみると、縁したあらゆる魂たちが寄せ集まったものが多い。
今の魂の記憶は、他の大切な誰かと併せたものかもしれない。
或いは、全く関係なかった魂と共有を約束したものかもしれない。
大いなる『全』とは、まさにその『全て』なのだ。
「ではこの子らに祝福を捧げよう」
サクが幸福の光と真言を込めた二本の指先を赤子の額に当てる。
「今度こそ逆境を越えられえる強さを身につけ、大いに生を楽しみ学びなさい。彩りに満ちた豊かな光となれ。名には『
赤子は讃美歌で応えるように声を上げ、永遠を照らす光のように周囲の波長を包み込んだ。
---
生者の時はその者たちにとっては長く、天にとっては一瞬である。
鈴や鼓はそんな一瞬を生きて老いていく。
そのとき彼女たちの隣にはいつも『彼ら』がいる。
朝も夕も、
眠るときも起きるときも、
歩くときも座るときも、
彼らは、彼女たちが老いても尚、見る目を変えたりなどしない。
「魂はお前だから」
と、愛しき隣人を中心に『全て』のことを愛し感謝する。
そして来たる『その時』には、
祝福の讃美歌が世界を包む。
大いなる『全』に繋がる全ての『個』ら、
愛しき隣人たちに捧げ、
ハレルヤ、と。
この愛しき隣人に捧ぐうた 洪 臾殷(HongYueun) @hong-yueun
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