第56話 つむちゃんが紡になったのは

     ◇   ◇   ◇




「入るぞ」


 部屋のドアは空いていた。


 中を歩いていくと、ベッドにつむぎが仰向けで寝転んでいた。


「‥‥何?」


「いや、心配になったから見にきただけだよ」


「心配って、逆でしょ。私は加害者側なんだから」


「紡の言っていることは全部正しかっただろ。確かにやり過ぎだとは思ったけど」


 紡は腕で顔を隠し、俺を見ようとはしなかった。


 どうすりゃいいんだよ。


 ホムラなんてお菓子買っていけば機嫌治ったけど、まさか紡がそれでなんとかなるとは思えない。


「‥‥何か、あったのか?」


「別に」


 そうですか‥‥。 


 いや、ここで諦めてはダメだ。


 ホムラも常々言っていた。


『いいですか護、女の子とは飴細工あめざいくより繊細で、迷路よりも難解で、うさぎよりも寂しがりな生き物なのですよ』


 いや、妖精フェアリーなんだから女の子じゃないし、比喩は統一感がなくて分かりづらいし、言ってやった感がムカつくわ。


 そう言い返したら、顔を真っ赤にしたホムラに追いかけ回された。


 それはさておき、俺は一度紡を忘れてしまっていた。だからここで手を離しちゃいけない──気がする。もはやただの勘だよ勘。


「俺さ、この間昔の話をした時に、話さなかったことがあるんだ」


「‥‥何?」


 お、食いついた。


 でもなあ、この話はしたくないんだよなあ。


 自分の黒歴史を晒すのは勇気がいる。自分で見るのでさえ恥ずかしいのに、人に見られるなんて気が狂いそうだ。


 でも、話してほしいと思っているのなら、俺から話さなきゃだめだろう。


魔法マギを遠ざけたって話しただろ。そうしたらさ、話の輪に入れなくなって、それで更に意地になって、結局小学校の頃の友達とは疎遠になって、中学生は友達らしい友達は一人もいなかったんだ」


「‥‥」


「別に、それが何だって話だけど」


 つむちゃんが大切にしてくれていたあの時の場所を、俺は守れなかった。


 何も、残っちゃいない。


 それは親父が死んだせいじゃない。俺が、手放したせいだ。


「だから、嬉しかったんだ。つむちゃんと会えて、あの時の友達がまだ残っていて」


 そう、俺は嬉しかったんだ。全ての過去が後悔にまみれたものではなかったことが。


 話し終えてから、少し経つと、小さな声が聞こえた。


「‥‥つむちゃんって呼ばないでって言ったでしょ」


「ごめん」


 ついつい。


 まだ紡って呼ぶ方が気恥ずかしくて、つむちゃんの方に口が流れてしまう。


 紡は大きくため息を吐いた。


「‥‥私、固有魔法ユニークマギが使えることが分かって、こっちの小学校に通いながら、特殊な施設に通ってたの。それから、この学園に入学した」


「そっか」


守衛魔法師ガードになりたかったわけじゃないけど、選択肢もそんなに多くなかったし」


「どうして守衛科にしたんだ? 他にも行ける学科はあったんじゃないか?」


「‥‥そこはどうでもいいでしょ」


 そうか。そうか?


 まあ本人がそう言うならいいか。何か特別な事情があったんだろう。


念動糸クリアチェインが強い魔法マギだったから、私は結構成績も良かった。チームでの対抗戦があった時には、いろんなチームから声を掛けられるくらい」


「すごいじゃんか」


 声を掛けても逃げられる俺とは大違いだ。そもそも昔からつむちゃんは優しくて人当たりが良いから、皆から人気だった。


 そこに実力もともなっているのだから、それは当然の結果とも言えた。


「それで、当時一番仲の良かった子のチームに入った。言われた作戦通りに戦って、戦って――、私の知らないところでチームは勝ってた」


「知らないところ?」


 どういうことだ、チーム戦だったんだろ。


 紡は唇を固く結び、拳を握った。


 そして絞り出すような声で言った。


「――私は、囮に使われてた。他のチームメンバーは全員それを知ってて、私だけが別の作戦を伝えられて、いいように使われてたの」


 紡の声は震えていた。


 それは‥‥勝ったからいいだろ、では終わらない話だ。


 紡の信頼を失ってもいいと言わんばかりの作戦は、暗に、使い捨ての関係でいいと、そう言われているようなものだ。


「大して悪気なんてなかったんでしょうね。戻ってきた時に、いい笑顔で『ありがとう』って言われたわ。そんなこと、気にする方がおかしいのかもしれないけど、私は」


「それは、おかしくないだろ」


 思わず言ってしまった。


 でももう聞いているのが辛い。あの優しくて人懐っこかったつむちゃんが、孤高の狼のような恰好をして、不愛想な態度を取り続ける理由が、そして村正にあれだけ怒った理由が、よく分かった。


 同時に、ひどいいきどおりを覚える。


 忘れていた俺にそんな資格はないと分かっているけど。


 俺は立ち上がり、紡を見下ろした。


 腕の隙間から、微かに瞳が見え隠れしている。


「俺はチーム戦も苦手だし、作戦を立てることもできない。それでも、紡の前に立ち続けることだけは、約束する」


 俺に出来るのは、その程度だ。


 彼女に付いた深い傷を癒すことも、その背を支えることも出来ない。


 だからせめて、前で戦おう。紡が少しの不安も抱かなくて済むように。


「‥‥何それ」


「駄目か?」


「‥‥リーダーなんだから、指示もせずに前に出てたら駄目でしょ」


「それは、ほら、適材適所というか、任せるよ」


 うん、そういうの苦手だし。多分敵が目の前に出てきたら、真っ先に飛び出すと思う。


 こんな猪みたいな思考じゃなかったと思うんだけど、もしかして鬼灯先生に毒されてきているのか、俺。やばいじゃん。


 紡は勢いをつけて起き上がると、憑き物の取れた顔で俺を見た。


「あー、なんかいろいろ考えてたのが馬鹿馬鹿しくなってきた」


「それは、よかった‥‥よな?」


「いいことなんじゃない?」


 紡はそう言うと、そっぽを向いた。


「それじゃ、あいつにも謝ってくる」


「あいつって、村正か?」


「やりすぎって言われたし」


 どこかふてくされたような声。紡なりに悪いとは思っているらしい。まあ今回に関しては変に見栄を張っていた村正に非があると思うが、紡が謝るというのなら、それを止める理由もない。


「俺も一緒に行くよ」


「はいはい、ありがと」


 そうして、俺たちは部屋に戻り、紡は村正に謝罪をした。


 紡ににらまれた(本人は真剣な顔で見ただけのつもりだと思われる)村正がソファの後ろにひっくり返るハプニングはあったものの、互いに無事謝罪をし、俺たちは、本当の意味でチームになった。


 メモリオーブも手に入ったし、このままの調子ならなんとかなりそうだ。







 そんな風に考えていた自分の甘さを呪うことになるのは、二夜を越した、三日目のことだった。

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