第72話 決戦の日

     ◇   ◇   ◇




 決戦の日となった七日目。


 空は状況とは正反対の快晴。雲の切れ目から零れる光芒こうぼうが、大通りを照らし出す。


 退廃した町であっても、あるいはだからこそ、その光景は美しかった。


 既にメンバーは配置についている。唯一俺の隣に立っている村正が、がちがちと歯を鳴らしていた。


「エディさんの話なら、そろそろだな」


「な、なんでお前はそんなに余裕そうなんだ?」


「別に余裕はないぞ」


 これは事実だ。シンプルに開き直っているだけで、ここから先うまくいくかなんて微塵も自信はない。


 ただできるだけのことはやった。それなら、もう後は動くだけだ。


 何度も深呼吸を繰り返した村正が、改めて俺を見た。


「よし、やるぞ、やるぞ、やってくれる!」


「おお、その意気だ。俺たちであいつに一泡吹かせてやろうぜ」


 どこの誰だか知らないが、俺たちの適性試験で好き放題してくれた借りは返さないとな。


 そんな俺たちの意気込みを見計らったかのように、あいつは現れた。もはや姿を隠す必要はないと言わんばかりに、真正面からゆっくりと歩いてくる。


 刃の脚に、だらりとうなだれた女性の上半身。心臓の鼓動の様に、胸元の『2』が青く光っている。


 来たな、化蜘蛛アラクネ


 エディさんには、化蜘蛛アラクネの位置と移動ルートを確認してもらった。直接干渉は出来なくとも、それくらいは出来るらしい。


 しかし、こうして明るい場所で見ると、確かにその身体は傷だらけだ。


 元々六本あったはずの脚で健在なのは四本だけで、一本は根元から、もう一本は半ばから無くなっている。


 さらに上半身の女にも、無惨な傷がいくつも刻まれていた。


 王人、星宮。


 他にも戦った生徒たちがたくさんいたんだろう。


 向こうも万全ではない。そこに付け入る隙がある。


 レオールと相対した時のような、冷たい熱が全身を侵した。


「行こう、ホムラ」


 『火焔アライブ』――発動。


 炎が内側から噴き上がり、火の粉が舞い上がった。


 とにかく今回は火を練る必要がある。まともに攻撃を仕掛けたところで、勝ち目はない。まずは『捕食バイト』で化蜘蛛アラクネ魔力マナを奪い、こちらを強化、相手を弱体化させる。


 体内で操れる炎には限界がある。身体の外に炎を発し、それを操作することで巨大なあぎとを作る。


「――」


「ッ‥‥!」


 化蜘蛛アラクネが、顔を上げた。


 八つの瞳が、爛々らんらんと輝いていた。


 万全とは言えない身体で、それでもその瞳は生気に満ちていた。あるいは、もっと別の何かか。


 ゾッとするな。


 怪物モンスターってのは、人類の敵だ。


 それは分かっていたつもりだった。


 しかし化蜘蛛アラクネと相対した時に感じた刃物のようなむき出しの感情。


 それは無機質な殺意ではなく、怒りを芯金に鍛えられたものだった。


 向けられた真摯な殺意に、身が震える。


 さあ、どこからでも来い。


「――」


 頭上にかざした炎の塊を脅威と見たのか、化蜘蛛アラクネは大地を刻みながら真っ直ぐこちらに走ってきた。


 速い。


 巨体に、四本の脚だからか、その速度は想像以上だ。


 しかし、この大通り、真っ直ぐ突っ込んでくるのなら、タイミングはいくらでも合わせられる。


「かかったな」




 俺の目前で、横から殴りつけてきた風のハンマーに、化蜘蛛アラクネが吹っ飛ばされた。




 けたたましい音をたてて、化蜘蛛アラクネの巨体が建物に突っ込んだ。


「ぅぐっ‼」


「ぉぉおおお⁉」


 なんて威力だ。


 風の余波に煽られて、危うく俺たちまで吹き飛ばされそうになる。


 俺は炎の制御を止め、その場に踏ん張る。


 話には聞いていたが、とんでもない威力だ。だからこそ、ここではこの力が必要だった。


 顔を上げた先には、太陽を遮る黒い影と、離脱する小さな人影が見えた。


 『天狗烏ベインクロウ』と呼ばれるランク2の怪物モンスターだ。遠目には見ていたが、こうして近くで見ると、その威容に戦慄する。


 俺の立てた作戦はいたってシンプルだ。天狗烏ベインクロウを釣り出し、化蜘蛛アラクネにぶつける。


 本来、怪物モンスター同士は戦わないはずだが、バグである化蜘蛛アラクネは違う。


 化蜘蛛アラクネ刃狼ソードウルフと戦い、その首を引きちぎった。奴にとって、エディさんの作り出した世界に生きる生物は、全て殺戮の対象ということだろう。


 だからエディさんに頼んで、この二体が近づく瞬間を予測してもらった。


 あとは天狗烏ベインクロウをどう釣り出そうかというところだが、


『それなら僕がやろう。空ならそれなりに自信がある』


 空道がそう名乗り出てくれた。空道は『ホバー』という魔法マギが使えるらしく、空中でもある程度自由に動けるらしい。


 その言葉に嘘はなかった。


 空道にまんまと釣り出された天狗烏ベインクロウは、化蜘蛛アラクネに攻撃をぶつけた。


 俺たちの役目も一度終わりだ。


「行くぞ、真堂」


「ああ、頼んだ」


 俺は村正の広げたカーテンの下に潜り込んだ。ここからは化蜘蛛アラクネ天狗烏ベインクロウの戦いだ。巻き込まれたらたまったもんじゃない。


「──」


「aaaaa──」


 建物の奥から、瓦礫を落としながら化蜘蛛アラクネが姿を見せた。


 直撃に見えたが、特別こたえた様子もない。


 俺は村正と移動しながら二体が睨み合う姿から目を離せなかった。ほんの少しでも視線を外せば、こちらにいつ余波が飛んできてもおかしくない。そういう恐怖感が背中にへばりついていた。


 そして戦いの火蓋は突如として切られた。


 ゴッと地面を蹴り、化蜘蛛アラクネが加速する。初速からトップスピードに乗り、路面からビルの壁へと脚を伸ばした。


 そして駆け上がる。


 垂直の壁を現実の蜘蛛さながら、重さを感じさせぬ速度で走る。


 化蜘蛛アラクネは空を飛べない。だから先手で距離を詰める。シンプルな答えだが、そこに至るまでのスピード、決断力が早い。


 天狗烏ベインクロウの対応も早かった。手のような翼を巧みに動かし、ビルから距離を取った。


 壁にヒビを入れるほどの力で化蜘蛛アラクネが踏み切り、飛ぶ。


 その刃脚じんきゃくが翼の端を掠め、空を切った。


 届かない。


 それが分かっていたかのように、化蜘蛛アラクネは糸を放った。


 触れれば爆発する糸は、耐久力の低い天狗烏ベインクロウにとってはそれだけで脅威である。


 その糸は天狗烏ベインクロウに触れる瞬間、明らかにおかしな挙動で逸れた。


「aaaaAAA‼︎」


 そうか、風だ。


 天狗烏ベインクロウは全身に風の鎧を薄くまとっている。それが化蜘蛛アラクネの糸を弾いたのだ。


 つむぎの言葉通り、化蜘蛛アラクネの糸は爆発する代わりに、強度も張力も低いのか。


 一瞬の交錯すら起こらず、勝敗は決した。


 空に浮いた化蜘蛛アラクネはもはや死に体も同然。天狗烏ベインクロウが嵐のハンマーを叩きつけ、化蜘蛛アラクネは一直線に地面に叩きつけられた。


 耳に響く、何かが潰れる音。


「おお、このまま倒してしまうのではないか?」


「そうだな、そうなってくれたらいいんだけど」


 所定の場所についた俺と村正は顔を近づけて囁き合う。


 しかしこれは嬉しい誤算だった。


 天狗烏ベインクロウ化蜘蛛アラクネに対して相当相性がいい。倒さないまでも、結構なダメージを与えてくれるかもしれない。


「ァァ──」


 爆心地のように陥没した地面の中心から、化蜘蛛アラクネが這い出す。これまで受けてきたダメージに加えて、今の一撃はそれなりに効いたらしい。骨格がイカれたのか、上半身がかしげ、足元もおぼついていない。


 村正のいう通り、これなら本当にいけるか。


 天狗烏ベインクロウは攻撃の手を止めず、翼をはばたかせ、嵐の大槌を絶え間なく化蜘蛛アラクネに叩きつけた。


 その度に化蜘蛛アラクネから鮮血のような真っ赤な光が吹き出した。


「いける──!」


 村正の言葉通り、本当にこのまま倒してしまいそうな勢いだ。


 その瞬間、化蜘蛛アラクネが顔を上げた。


 八つの青い瞳が、天狗烏ベインクロウを睨みつける。当然の如く、そこに諦めの色はない。


 純粋な殺意だけが、不気味に揺らめていた。


 そして上半身が糸を紡ぐ。


 膨大な赤い糸が、風の隙間を縫って天狗烏ベインクロウへと伸びた。


 まさか、この数秒で風の流れを読み切ったのか。確実に糸を届かせるために。


 その異常な動きに気付いたのだろう。天狗烏ベインクロウは攻撃をやめ、迎撃に移った。風の壁を展開し、あらゆる糸の進撃を阻む。


 糸にはスピードがない。あれでは天狗烏ベインクロウを捉えるのは不可能だ。


「――開火アナフス


 その時、声が聞こえた。


 そしてそれを塗りつぶすように、爆音がとどろく。


 風を押し返すように、爆炎が天狗烏ベインクロウへと手を伸ばした。


 しかしそれすらも、ブラフ。


「シネ」


 炎と煙に紛れてビルを駆け上がった化蜘蛛アラクネが一気に跳び上がり、天狗烏ベインクロウの更に上を取ったのだ。


 上を取れば逃げられないという判断か。


 天狗烏ベインクロウは防御から一転、翼を回し、方向転換をして逃げる。


 その判断は正しい。


 近接戦闘に持ち込まれてしまえば、天狗烏ベインクロウに勝ち目はない。


 だからその判断は正しかったのだが、化蜘蛛アラクネの方が一枚上手だった。


 ──嘘だろ、おい。


「AAaaa⁉︎」


 翼が、糸に絡まった。


 蝶を絡めとるように、化蜘蛛アラクネは巣を張っていたのだ。初めの空中での戦い。あの時すでに糸を辺りに散らし、巣の準備をしていた。


 そして上から襲撃することで、そこに誘い込んだのだ


 そうなれば、もはや勝敗は決していた。



開花アナフス



 ゴウッ! と天狗烏ベインクロウにまとわりついていた糸が一気に爆発した。黒い羽が赤に包まれ、散っていく。


 それは不思議な気持ちになる光景だった。


 人類の敵である怪物モンスターを、怪物モンスターが蹂躙する。



「シネ、シネ、シネ」



 翼をもがれ、芋虫のように地面をのたうつ天狗烏ベインクロウへ、化蜘蛛アラクネが近寄る。


 そして、刃脚で身体を刺した。


 何度も、何度も、丹念に、すり潰すように。


 失敗すれば、次にああなるのは俺たちだ。


「行くぞ、村正」


「‥‥あ、ああ」


 グッ、と肩を掴まれた。横を向くと、村正が今にも泣きだしそうな顔で唇を震わせていた。


「お、俺は戦いのサポートはできん。だから、頑張れ。頑張ってくれ」


「‥‥村正がいるから、俺も全力で戦えるよ」


 さあ、行こう。


 俺はへりに足をかけ、化蜘蛛アラクネに向かって飛び降りる。


 いい位置についてくれた。これなら、このまま攻撃を叩き込める。


 構えるのは炎のあぎと



 時間をかけ、今できる限界まで炎を練り上げた最大の牙だ。


 天狗烏ベインクロウおとりだ。俺が『捕食バイト』の準備を終えるまでの時間稼ぎ。


 一気に近づいてくる化蜘蛛アラクネに向けて、腕を振るう。


「――」


 直前で、顔を上げた化蜘蛛アラクネと目が合った。


 よう、再戦に来たぜ。


「『捕食バイト』‼」


 その顔面目掛けて、あぎとを叩き込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る