第85話 幼馴染っていいわよね!
◇ ◇ ◇
黒曜紡は山道ランニングが始まると、真ん中よりも少し前の集団をキープして走り続けていた。
本気で走れば先頭集団近くまでは行けるだろうが、その必要性を感じなかった。昼食時間にさえ間に合えばいいのであれば、ここで無理をする必要はない。
間違いなく午後もみっちり訓練が組まれているはずだ。
佐勘の言葉通り、このランニングはウォーミングアップなのだ。
そう考えている生徒たちは多い。
その内の一人に、紡は声を掛けた。
「久しぶり、星宮さん」
「あら黒曜さん、あなたから声をかけてくれるなんて嬉しいわ」
この学年で、彼女を知らない者はいない。編み込まれた
男の理想を体現したらこんな姿になるんじゃないかと、誇張抜きでそう思う。
しかも有朱は美しいだけではない。
魔法師としての実力も折り紙付きだ。
紡は人見知りで、友人関係に苦手意識がある。普段だったら自分から声を掛けたりはしなかっただろう。
しかし、いつも人に囲まれている有朱が一人きりになることは珍しい。
結果、苦手意識をねじ伏せて、紡は有朱に声を掛けたのだ。
話題を切り出そうとしたら、笑顔の有朱に先手を取られた。
「丁度良かったわ、私からも声を掛けようと思っていたの」
「‥‥どうして?」
自分から声を掛けておいて、紡は身構えた。
「私のチームメイトを助けて、一緒に戦ってくれたでしょう。だから、ありがとう」
「‥‥別に、私が助けたわけじゃないから」
「そんなことはないわ。私、ずっと見ていたもの」
思わぬストレートを受けた紡は、思わず視線を足もとに落とした。
これがあらゆるものを
警戒していた紡の懐にするりと入り込むその力は、陰を生きる者にとっては凶器だ。
しかし話の展開は紡にとって悪くない。
「二人を助けたのも、
その名を口にした時、紡は注意深く有朱の様子をうかがった。
少しでも何か変化がないかと、戦闘の時と同じくらいに気を張って、観察する。
「そうね、真堂君の活躍は素晴らしかったわ。あとで彼にもお礼を言いに行かないとね」
ほほ笑みながらそう言う有朱の様子は、いつも通り完璧だった。
――気のせいだった?
紡は、護と有朱の関係性を完璧には把握していない。
しかし屋上での二人のやり取りを盗聴――もとい聞いていた時、有朱は明らかに護に対して好意があった。
ボランティア事件で何があったのか、大方の予想は着く。
その結果有朱が護に好意を抱くのは、自然だ。
そう考えていたからこそ、紡は声を掛けたのだ。
有朱の気持ちを見極めるために。
どれくらいの気持ちなのか、対策の必要があるのか。
護の幼馴染として、彼の周囲によくない女がうろつかないようにするのは、当然の務めだ。少なくとも紡はそう信じていた。
「そう。喜ぶと思う」
これなら、警戒レベルは下げてもいいかと判断する。
よく考えれば、有朱は学年最高カーストに立っている。
護は超魅力的な男の子だが、その良さは凡百の感性では理解できない。客観的に見れば、友達の少ない残念男子だ。
有朱が彼に惹かれたのも、一時の気の迷いだったのだろう。
そう判断した紡は、最大の障害がなくなったことに上機嫌になり、軽い口調で言った。
「実は、護は幼馴染なの。だから、もし彼のことで何か困ることがあったら教えて」
「幼馴染⁉」
バンッと有朱の口調が荒ぶった。
もし彼女のテンションを棒グラフで表したとしたら、この瞬間だけ枠外まで突き抜けていっただろう。
さしもの紡も、これには目を白黒させた。
「‥‥え、ええ。そうだけど」
「あ、ごめんなさい。少し驚いてしまって。そう、幼馴染。そうだったの‥‥」
何かを自分に言い聞かせるように、有朱は小さく呟く。
「――から」
「何?」
「い、いつからの知り合いなのかしら」
幼馴染にやけに食いつくな、と思いながら紡は答える。
「小学生の時から」
「そ、そそそそうなのね!」
明らかに動揺した様子の有朱は、一度顔を逸らすと、いつもの微笑みを浮かべて紡に向き直った。
「素敵ね、幼馴染って。私、そういう関係性とても好きなの」
「そ、そう。ありがと」
その返しが適切なのかは分からないが、有朱の勢いに圧倒された紡はコクコクと頷いた。
「幼馴染、いいわね、幼馴染」
有朱は飴玉のように、幼馴染という言葉を転がした。
「それでは、私は先に行かせていただくわ。ごきげんよう黒曜さん」
うふふふと聞こえてきそうなくらいの笑顔で、有朱はスピードを上げた。足に羽が生えたかのような、軽やかな足取りで。
「‥‥ごきげんようって、現実で言う人いるんだ」
予想とはまるで違う展開になった紡は、呆然とその背を見送った。
◇ ◇ ◇
「なぁ、真堂」
「どうした?」
「くひの中がぱっさぱさふるんだが、何とかならんか?」
「水は飲み放題だぞ。いくらでも飲んできたらいいんじゃないか」
仕方なく自分用に取っておいたペットボトルの水を渡す。
村正はなんとか口の中のレーションを水で流し込んだ。
流石と言うべきか、この合宿所では飲料水やサプリメントがセルフサービスで取り放題になっている。
公立なのに水道水じゃないのだ、金あるなあ。
「まったく、ひどい奴らだ。真堂も黒曜も、さっさと俺を置いていきおって」
なんとか人心地ついた村正が恨み節を言うが、とんだ言いがかりである。
「おかげでしっかりカレーが食べられたよ」
「むぅ‥‥もう一歩も動けないんだが、まさかここから訓練とは言わんよな?」
「訓練に決まってるでしょ」
俺よりも少し遅れて合宿所に着いた紡は、冷たい声で答えた。
なんだか到着した時からずっと難しい顔をしているけど、なんかあったのかな。
「皆さん、着替えて訓練場に集合です。荷物はこちらで運んでおきますから、急いでください」
鬼灯先生の言葉に急かされ、俺たちは更衣室で着替え、訓練場へと進んだ。
だだっ広い訓練場は、余分なものなどいらないという平場だ。
そこに、鬼灯先生と見覚えのない男性の先生が立っていた。線が細く、目を黒いゴーグルで覆っているせいで判然としないが、骨格からして多分男性。
鬼灯先生は、地面を踏みしめて俺たちを見た。
「さて皆さん、あなた方はあの適性試験を乗り越えました。
その言葉に、全員が居住まいを正した。
適性試験。その言葉だけで、意識がピンと張り詰めたのが、分かった。
この場にいるのは、あの不条理に押し付けられた死を乗り越えた者たちだ。
そんな生徒たちを眺め、鬼灯先生は笑った。
「しかし、弱い」
それは明白な事実だった。
「あなたたちはまだまだ弱いです。
言葉が、鋭い刃物のように身体を刻んでいく。
その瞬間、ダァン! と凄まじい音が響き渡った。
訓練場の巨大な扉が開かれ、巨大なトラックが走ってきた。
なんだ⁉
ただのトラックじゃない。戦闘にも耐えられるような、黒々と光る装甲車。それは鬼灯先生の横にタイヤ痕を残して止まった。
「これは本来、二学期の途中から始める訓練です。しかし、現在の情勢を
鬼灯先生の言葉に合わせ、装甲車の荷台部分が、開いた。
「覚悟を決めてください」
そこに並べられるのは、無数の黒いジュラルミンケース。武骨で、鈍く光るそれは、見ただけで、重い。
「『
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