第7話 怪物の力
男は短剣の指を持ち上げると、俺を指差した。
「俺の名はレオール。今からお前を殺す。ここまで見せてやったんだ、精々足掻け」
それは死刑宣告だった。
背中を見せた瞬間に殺される。それが肌で分かった。
くそ、もう手が思い付かない。何をどうしようが、殺される。
それを理解した時、自然とやるべきことが見えた。いや、やれることなんてこれしかなかったんだ。
「ホムラ、逃げろ。下まで逃げて、誰でもいい、
俺は立ち上がり、ホムラを背に
レオールはそれを見て、笑みを浮かべた。弱者をいたぶり、殺す愉悦に浸っていた。
「いいねえ。この状況でも絶望しねえのかよ」
「てめえ如きに何を絶望するんだよ。言ったことは守れ、ホムラを追いたいなら、俺を殺してからだ」
グルルルルとレオールは喉を鳴らして答えた。
「何を言っているのですか護、逃げるのはあなたの方です! 用があるのは私でしょう、護に手を出すのはやめなさい!」
ホムラが俺の手をつかみ、叫ぶように言った。手を伝って、彼女の思いが痛い程に伝わってくる。
しかし男はそれを一蹴した。
「いや、駄目だぜ。それは駄目だ。俺はこいつを殺すと決めた。何をどうしようが、それは決定事項だ」
「使命よりも、己の欲望を優先するというのですか!」
「俺は
ホムラは何も言えなくなった。何をどうしようと、こいつの決意は変わらない。絶望が視界を黒く染め上げる感覚は、血が頭まで回らなくなったせいか。
立っている感覚さえ、定かではない。それでも、握った手だけが現実につなぎとめてくれる。
「頼むホムラ。俺が生き残るには、
俺は後ろを振り返らなかった。奇しくもこいつと同じだ、ホムラがなんと言おうと、俺の選択は揺るがない。彼女もそれが分かったのだろう。最後に手を強く握り、放した。
「──分かりました。必ず生きてください、護」
「当たり前だろ」
その言葉を最後に、ホムラは後ろに走り出した。
そうだ、これでいい。
後はこいつを引きつける。救援が来るまで何分かかるか分からないが、さっきも避けることはできたんだ。
いつまででも、逃げ切ってみせる。
「舐めてねえか、お前よお」
派手な音はなかった。
気付いた時には目の前で金の
避け――――。
判断も動きも、全てが獅子の一撃で切り裂かれた。
身体がバラバラにならなかったのは、反射的に後ろに跳んだからだろうか。だがそんなものは気休めにもならない。
筋肉、骨、内臓、
気付いた時、俺は血溜まりの中に倒れていた。見慣れた石畳が、どんどん赤く染まっていく。
「多少腕に自信があったようだが、
これが
逃げるとか時間を稼ぐとか、そんな次元じゃない。標的にされた時点で、終わっていたのだ。
そして一瞬でついた決着は、走り出していたホムラも引き留めた。
「護‼︎」
駄目だ、こっちに来るなホムラ。逃げろ、逃げてくれ。
言葉を出そうとするが、肺か喉をやられたのか、空気と血が漏れるだけだった。
ゴッ、とレオールが足を俺の頭に乗せた。
「雑魚がよぉ。力も無く何かが守れると思ったのか? 甘ったれなんだよ、ガキ」
そして蹴り飛ばされる。何もできずに地面を転がる。
「護、護!」
すぐ近くでホムラの声が聞こえた。
駄目だな、結局助けられなかった。馬鹿みたいに突っ込んで、何もできずに殺された。
ホムラの忠告を聞いていれば、こんなことにはならなかったんだろうか。
あるいはもっと前から。
『
そんなことにこだわらず、
俺は馬鹿で、臆病者だ。
葬式の時の冷たい空気と、淡々と続くお経。母さんや妹のすすり泣く声が、耳から離れない。
その結果がこれだ。
大切な人を守ることもできず、全てを失おうとしている。
「ごめ、ホムラ‥‥俺が、もっと」
「もう、喋らないでください」
ホムラが顔を近づけてくる。頬と頬が触れ合うほどに近く、燃えるような髪が顔にかかる。
ぼんやりとした意識の中で、彼女の温かさだけが確かだった。
「私はあなたに多くのものをもらいました。だから、ごめんなさい。どれだけ我が儘でも、私は護に死んでほしくない」
「ホム‥‥ラ‥‥」
そんなことはない。もらってばかりだったのは俺の方だ。
今でも思い出せる。親父が死んで、家の重苦しい空気に耐えきれなくなった俺はあてもなく歩き回った。そこで出会ったのが、ホムラだった。
『む、何用ですか少年。ここは我が領域です。不用意に踏み込むことは許されません』
ホムラは自分も不法占拠している側なのに、なんの
『くれるのですか? 仕方ありませんね。そこまで言うのであれば多少の滞在は目をつむりましょう。私は寛大ですからね』
子ども心ながらに、変な女の子だと思った。
それでも彼女は俺のよりどころだった。中学生になれば、皆
だから礼を言うのは、俺の方だ。
けれど、口はもう動いてくれなかった。意識が遠のき、ホムラの熱もかすんでくる。
「おいおい感動シーンはもう終わりでいいか。くだらねえなあ、そんなに奪われるのが嫌なら戦えよ」
「そうですね。その通りです。私は覚悟が足りなかった。この生活に甘えてしまった」
ぼやけるホムラは、泣きそうな顔で笑った。
「最後のお願いです護。あなたはあなたの思うがままに生きてください。そして、私を――」
終わりの言葉はホムラの口からは聞こえなかった。
次の瞬間、かすむ視界が暖かな光で満たされる。
全身が熱に包まれ、俺たちの身体を中心に炎が立ち上った。それはまるで、彼女自身が本当に炎に変わったかのような、そんな美しい火だった。
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