第8話 ホムラからもらったもの
◇ ◇ ◇
「なんだ?」
護とホムラが炎に包まれた時、レオールは即座に後ろへと跳んでいた。
本来ならあり得ない現象。
考えられる可能性は一つ。あの
レオールはある存在からの命令でホムラを捕らえにきた。特殊な
だとしたら、遅すぎる。
ガキの方は既に瀕死だ。あと数秒もせずに死ぬだろう。
もしそれを覆す何かがあったところで、なんだというのか。たった今手にした
レオールは落ち着いて鉤爪を構えた。彼の爪は鋭利なだけではない。複雑な軌道を描き、斬撃を飛ばすことができる。
圧倒的な身体能力に加え、必殺の鉤爪の前では何もかもが無力。
手を開き、爪を構える。
何かしようとした瞬間に接近し、今度は首を落とす。
そう決めて腰を落とした時、二人を覆っていた火柱がより一層輝いた。
そして、爆ぜる。
「あ?」
炎の波は全方位に襲い掛かり、レオールも飲み込まんとする。
うぜえなあ。
腰を捻り、溜めた力を解放。まるで独楽のように高速で回転する。爪は斬撃の旋風を作り出し、炎を弾き飛ばした。
動きを止めた時、レオールは驚くものを目にした。
炎の中心で、一人の人影が、立ち上がったのだ。
それは致命傷を負ったはずのガキ──真堂護だった。
だが何かが違う。先ほどまでの蟻に等しい無力な少年は、明確に変化していた。
「ホム、ラ‥‥」
護は炎の中で呟いた。立ったのは一人だけだ。他に人影はない。
倒れている様子も、逃げ出した様子もなかった。
正真正銘、レオールの前にいるのは護一人だけだった。
──あの妖精、全部渡しやがったのか。
間違いなく、あの
面倒臭えなあ。
レオールは燃える炎を睨みつけながら思う。
鋭い牙がぶつかり、音を鳴らした。狩猟者が獲物を見つけた時の、獰猛な笑みが浮かぶ。
だが、面白え。
特別な
護がこちらを向いた。その目は金色に輝き、中心の瞳孔には『
レオールは今度こそ八つ裂きにするため爪を構え直し、炎を踏み潰して歩き始めた。
◇ ◇ ◇
目が覚めた時、ホムラがいなくなっていた。
「――ぇ、は? ホム、ラ‥‥?」
さっきまでいたはずの彼女は、消えていた。代わりとばかりに、鮮やかな炎だけを残して。
混乱する頭の中で、冷静な部分が言った。
分かっているだろう。彼女はもういない。
そんな馬鹿な話があるか?
それでも、これが現実だ。
俺の中で燃え上がる力が、それを証明している。
当然だが、俺はこの
驚くべきことに、傷は炎によって焼かれ、そして再生していた。まるで神話に出てくる不死鳥のように、火が身体を癒したのだ。
それだけじゃない。不思議な感覚だが、周りで燃え盛っている炎、その全てが俺の手の延長であるかのように、感覚がある。
炎の中で、レオールが構えるのが分かった。
ホムラは言った。
『あなたの思う通りに生きてください』と。
そうか。そういうことか。
改めて理解した。認めたくなかった現実が、頭に焼き付く。
俺を助けるためにホムラは自分の存在全てを投げ打って、俺に力を与えてくれたのだ。弱虫で、無力な俺のために。
俺が馬鹿だった。大切なものを失う以上に怖いことなんてないのに、それに気付くのが遅すぎた。
「っぁ──ぐ、ぅう」
頬を涙が伝う。炎はそれを蒸発させてはくれない。泣いたところで現実は変わらない。
歯を食いしばり、拳を硬く握りしめる。
俺は涙を拭って、敵を見据えた。
後悔も悲しみも、今は深く沈めろ。今度こそ間違えない。こいつはこの場で、焼き尽くし、生き延びる。彼女がくれた命を、無駄にするわけにはいかない。
来い、
「ガキィィィイイイイイイイ‼︎」
レオールが叫び、地面を蹴ろうとした。
あいつの身体能力は異常だ。まずは動きの始まりを潰す。
俺は手を握った。それに呼応するように、無作為に広がっていた炎が男へと集まる。炎の圧縮は、眩く光る球体となった。
骨まで焦がす熱量に襲われながら、レオールは怯まなかった。
「しゃらくせええなああ!」
爪で炎を引き裂くと、そのまま突っ込んでくる。ランク1の
それでも出だしが遅れたぞ。
迫り来る爪を屈んで避け、拳を胸に叩き込む。
ドンッ‼︎ と凄まじい音が鳴り響いた。
「ぅグゥおおおお⁉︎」
火の粉を散らす灼熱の拳が、レオールの胸を焼き潰していた。
再生、炎の操作。それだけじゃない。この『
しかしもっとだ。こいつを焼き尽くすには、もっと高い火力が必要だ。
吹き飛ぶ男に向けて、さらに炎を放つ。
地面を舐めるように広がった炎は、レオールを捕らえ、全身へと広がった。
「いい、加減にしろよガキがぁ‼︎」
レオールはそれを振り払うように、地面へと爪を突き立てる。地面が捲れ上がり、破片が飛び散る。
しまった、炎と床で姿が隠れた。
直後、それを切り裂くように数え切れない爪の斬撃が飛んできた。
こいつ冷静だ。
同時に俺は直感した。
ここが勝負の分岐点だ。この瞬間、勝利を呼び込むには、ここで退いてはいけない。
俺には実戦の経験なんてない。だからこの感覚が本当に正しいのかなんて分からない。
それでも誰かに背を押されるように、俺は踏み込んだ。
「っらぁああああああああ!」
回避も防御も最低限。死ななきゃいい、勢いを殺すな。
爪に至るとこを切り裂かれ、血が飛び散る。それでも前に進んだ。あたりで燃えていた炎を全て自分に集め、再生に回す。
そして瓦礫の壁を越えた。
「はっ、青いなぁ」
声は横から聞こえた。
こいつ、回り込んで──。
「終わりだ、ガキ」
言葉と同時に必殺の爪が振り下ろされる。
終わりだと。
こんなところで、終われるか。そうじゃなきゃ、何のためにホムラが命を投げ打って俺に力を
俺には生きる義務がある。ホムラとの約束を果たすために、必ずお前を倒す。
集めた炎を足の裏で爆発させる。脚が吹っ飛ぶような推進力を制御し、身体を回転。残った炎を全て蹴りに乗せる。
『
「ぁあ‥‥?」
腕を振り下ろす姿勢のまま、男は二つに分かれて弾け飛んだ。
その姿もすぐに炎に巻かれて消えていく。
その顔が最後に何かを言おうとしていたのは、俺の見間違いだったのか。
レオールの姿が完全に消え去った時、炎もまた消えた。
「‥‥」
思わずあたりを見回すが、そこには誰もいない。
いつも俺を迎えてくれたホムラは、もういないのだ。戦いの高揚感は一瞬で引き、後には
「は、ぁ――」
折れそうになる心を
ホムラは消えたわけじゃない。
なら必ず、また会える方法があるはずだ。
彼女は言った。最後に、聞こえないような小さな声で。
『最後のお願いです護。あなたはあなたの思うがままに生きてください。そして私を――』
それは寂しがりで、意地っ張りなホムラの本音。異次元種と言われる彼女が望んだ、願い。
『私を、忘れないで』
忘れるかよ。
絶対に、また会える。何年、何十年かかっても、この命はそのために使うよ。
だから待っていてくれホムラ。
俺は名残惜しさを振り切って、神社に背を向けて歩き出した。
背後から懐かしい声が聞こえる、そんな幻想に振り向かず。
いつしか日は落ち、泥のように重たい夜が訪れた。
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