第70話 勇気を


「‥‥それは、間違いないんですか?」


「あ~、あれがいる限りは、外部からの干渉は不可能だ~。さっきも言った通り~、あれに倒すか、殺されれば元の世界には戻れる~」


「そう、ですか」


 エディさんがここまで言い切るってことは、間違いってことはなさそうだ。


「こうしてお前たちに話に来れるようになるまで~、二日かかった~。これ以上のことは~、私にもできない~」


「救援を送ることもできないってことですか」


「そういうことになるな~。教員連中が呼べれば、話は早かったんだがな~」


 本当にその通りだ。嬉々として降りてくる鬼灯先生が見える。むしろどっちが怪物モンスターなのかしらね。


 聞きたくないけど、一応聞いておかなければいけないことがある。誰かが聞かなきゃいけないなら、思い付いた人間がさっさと聞いておくべきだ。


「死ねば戻れるってことは――自殺でも戻れるんですか?」


 周囲で息を呑む音が聞こえた。


「ああ~、それでも戻れるぞ~」


 エディさんは淡々と答えた。聞かれることを予想していたかのように。化蜘蛛アラクネと戦えば、どんな死に方をするか分からない。爆殺されるかもしれないし、四肢をもがれるかもしれない。


 痛みが現実世界と変わらない今、それは想像するだけで身が震えるほど恐ろしかった。


 何より、戦えば十中八九その未来を迎えることが、恐ろしさに拍車をかける。


 エディさんは珍しく口を真一文字に結んだ。


 そしてゆっくりと頭を下げた。妖精フェアリーが、人間に頭を下げたのだ。


 それは衝撃的な光景だった。


 妖精フェアリーとしては特異なホムラと接し続けた俺でさえ、そう感じた。


「すまない~、これは私のミスだ~」


「そんなことは‥‥」


「その上で、願えるのならば~、戦って欲しい~」


 それは自殺をするなということだろうか。守衛魔法師ガードを目指す者ならば、戦って死ねと。


 それは正しいのかもしれない。自ら死を選ぶことと、惨い死を覚悟して戦いに向かうこと。どちらの方が苦しい選択なのか、俺にはまだ分からない。


 少なくとも大義があるのは、後者だろう。


 しかしエディさんの続く言葉は、予想しない内容だった。


「誰かが、勝たなければならない~。そうしなければ、私たちは、このバグを起こした者に~、負けたことになる~」


「‥‥」


 間延びした声なのに、その声はやけに重く響いた。



「私たちは、怪物モンスターに負けてはならない~」



 誰も、答えられなかった。


 突如として突きつけられた守衛魔法師ガードとしての覚悟。その重さに、息ができない。


 エディさんは「多少のサポートならできるから、遠慮なく呼べ~」と言って、どこかに消えてしまった。


「‥‥」


 頭が回らない。頭の中で焼き付く痛みと熱で、思考が浮つく。ただただ胸の傷を撫でる炎を感じながら、俺はもう一度、目を閉じた。




    ◇   ◇   ◇




 綺麗な庭園だった。丁寧に手入れがされた芝生と、たくさんの花々。不思議の国に迷い込んだような気持になった。


 こんな場所は覚えがなかった。


 少なくとも、地元でも、何度も来たことがある場所でもない。


 どこだろう、ここ。


 花のトンネルを抜け、歩いていく。どれだけの広さなのか、あるいは迷路のように入り組んでいるのか、歩いても歩いても抜けられない。


 そもそもなんのために歩いているのか。


 何かを頼まれたような、誰かを探していたような。


 記憶の引き出しを開けては閉じるという行為を何度も繰り返している内に、俺は開けた場所に出た。


 そこで、小さな女の子が泣いていた。


「‥‥誰?」


 顔を上げた少女は、人形のようだった。


 キラキラと輝く髪も、花々を反射する、涙をためた目も。


 まるでおとぎ話に出てくる、お姫様のようだった。


「俺、俺は――」


 言わなければいけないことがある。君に、伝えなければならない言葉が、喉元まで出かかった。


 しかしそれを言う暇はなく、花々が膨れ上がり、俺と彼女の間に壁となってそびえ立つ。


 腕を伸ばしても、柔らかな感触に阻まれ、彼女に届くことはなかった。




    ◇   ◇   ◇




「‥‥目、覚めた?」


 ぼやけた視界の焦点が合う。


 どこか懐かしさを覚える不安げな表情が、俺を覗き込んでいた。


「‥‥つむ、ちゃん」


「つむちゃんって呼ぶなって言ってるでしょ」


「‥‥ごめん」


 ああ、つむちゃんだ。唇を小さく尖らせて、俺を見下ろしている。


「大丈夫? うなされていたけど」


「そうなのか? あんまり覚えてないな」


 なんだか不思議な夢を見ていた気がするが、どんな内容だったのかは思い出せない。


 仄かに残る無性な懐かしさが、ふわふわと胸の内にあった。


 紡の口が結ばれ、また泣きそうな顔になった。


「胸の傷は?」


「ああ、どうだろうな」


 言われて恐る恐る手を胸の上に置く。今は痛みも和らぎ、触った感触も傷が残っている感じではなかった。


 まだ完全に塞がったわけじゃなさそうだが、動けそうだ。


「大丈夫そうだ。もう塞がった」


「それ、本当にどういう魔法マギなの。寝ている間も発動し続けてたみたいだけど」


「そうなのか」


 まあそうじゃなきゃ治ってないか。普通、魔法マギは発動者の意識がなくなれば消える。


 しかし『火焔アライブ』は俺が気を失っている間も傷を治療し続けてくれたらしい。


 わっせわっせと俺の胸の上で忙しなく動くミニホムラが目に浮かんだ。


 紡は小さく息を吐いて、いつものクールな表情を取り繕った。


「それならよかった。それで、この後はどうするの」


「それなんだよな‥‥夏休み前最後の試験にしては、重すぎるだろ」


 化蜘蛛アラクネを倒してくれって。無理難題にもほどがある。


 一回戦っただけでよく分かった。あれは正攻法で倒せる相手じゃない。低レベル初期装備ぶん回して、高レベル帯のマップに間違って入った絶望感。


「‥‥」


「‥‥」


「何?」


「いや、どうしようかと思って」


 俺を覗き込む紡の顔。記憶の中のつむちゃんの方が小さかったはずなのに、今の顔の方が小顔に見えるのはマジックか何かなんだろうか。女の子はミステリーというが、この謎は俺には一生解ける気がしない。


 化蜘蛛アラクネを倒せないってことは、最終的に紡も死ぬってことだよな。


 俺が死ぬのは別にどうしたって仕方のないことだと割り切れるが、紡が死ぬのは、嫌だな。


 ましてや自殺なんて、絶対にさせられない。


 だったら答えなんて、初めから一つだけだ。


「倒すか、化蜘蛛アラクネ


「そう」


 驚きもしないな。


「もう少しなんかないのか? あれと戦うんだぞ。理由とか、作戦とか」


「それがリーダーの決定なら、それに従うわ。それとも、何の考えも無しに戦うって言ったわけ?」


 いや、そうじゃないけどさ。もう少しこう、反発とかあってもよくない。その無条件の信頼が、重く、むずがゆい。


 照れくささを隠すように、俺は身体を起こした。


「よっと」


 さて、動こうか。俺だけじゃ、どうやっても倒せない。皆の力が必要だ。


「村正たちを呼んできてくれ。今後の話がしたい」


「分かった」


 全員がそろうのに、時間はかからなかった。皆、神妙な顔をして俺を見ている。


 溜めても仕方ない。


「俺は化蜘蛛アラクネを倒そうと思う。そのために、皆にも力を貸してほしい」


「‥‥」


 しばらく沈黙が続いた。


 そうそう頷くことが出来ない程に、敵は強い。


 最初に返答したのは、星宮のチームにいた男子生徒、空道だった。


「僕はやるよ。逃げたままじゃ終われない」


「私も、やります。もう、逃げたくない、です」


 起き上がった騎町さんも、頷く。動けるようになったのか。


 星宮と王人は二人を助けるために化蜘蛛アラクネに立ち向かったという。二人の言葉からは、並々ならぬ覚悟が感じられた。


 最後の一人、村正は苦虫を噛み潰した顔で周りを見た。


「‥‥正気か、お前ら。あれを見ただろ、勝てるわけがない」


 俺のすぐ隣に立っていた紡が、そんな村正を見下ろした。


「どちらにせよ戦わなきゃいけないんだから、勝とうとするのは当然でしょ」


「救援を待つという手がまだあるだろ!」


「エディさんがないって言い切ってたじゃない。別に希望にすがるのは勝手だけど、一人きりで恐怖に怯えながら生活し続けるのは相当きついと思うわよ」


 わー、切り口鋭すぎ。


 村正の希望的観測は、処刑人紡の手によって一刀両断にされた。


 案の定、村正は涙目で床に手を着いた。


「くそぅ、何も言い返せん‥‥!」


「‥‥君たちのチームはずっとこんな感じなのか?」


「まあ、おおむね」


 とりあえずこれで村正は平気だろう。


 うなだれる村正から視線を外し、空道が俺の方を向いた。こいつ、改めて見るとイケメンだな。犬系というのだろうか、年上女子からモテそうな気配がする。


 こんな男が星宮と一緒に数日を過ごしたのか。俺には関係ないことだけど、若干心がざわつく。


「闇雲に戦ったところで勝てる相手じゃない。何か策があるのかい?」


「あ、ああ。策って程でもないけど。確認なんだが、化蜘蛛アラクネ刃狼ソードウルフを殺していたんだよな」


「そうだよ。怪物モンスター同士で争うなんて、あんまり聞いたことないけど、これもバグの影響なのかな」


「そうか。それなら、少しだけ希望が持てるかもしれない」


「本当か?」


 その問いは、希望を感じるものではなく、不適合者オールドが大丈夫か、という疑心に満ちた口調だった。


 俺自身、大丈夫かと思っているから気持ちは同じだ。以心伝心だね、嬉しくねえけど。


「いくつかエディさんにも確認しなきゃいけないけどな。ただ、化蜘蛛アラクネは糸を使った爆発攻撃をするはずだったよな。それだけ何とか対策が出来れば‥‥」


 脚による攻撃は見た。次は必ずさばく。


 問題は糸による爆発だ。一度映像で見たことがあるが、あれで強引に間合いを作られたら、近寄れない。


 すると、村正をばちぼこに切り伏せていた紡が言った。


「それなら、私が何とか出来る、かも」


「本当か⁉」


「爆発をさえぎったり、弱くしたりすることはできないけど、起爆前の糸は強度のあるものじゃないから、私の『念動糸クリアチェイン』で絡め取れれば、軌道は逸らせるかもしれない」


 それなら、なんとかなるかもしれない。


 俺は作戦を皆に語った。


 上手くいくかは、正直分からない。それでもやるしかないのだ。



『シネ』



 どろどろと腹の底で焦げ付く憎悪の言葉。


 俺は手の中に小さな炎を生み出し、誰にも見えないように握りこんだ。



『大丈夫ですよ、護』



 ホムラ、俺に勇気をくれ。


 仲間の命を懸け、最後まで戦い抜く勇気を。

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