第69話 ウィルス

 これは夢だと、すぐに気付いた。


 ただ同時に覚めないで欲しいと、そう思った。


「護、今日もいじめられたのですか?」


「いじめられてなんてねーよ」


「ふふふ、私には分かりますよ。護検定一級ですからね」


「どこで受けられるんだ、それ。開催した覚えないんだけど」


 俺も受けるから参考書売ってるところ教えてくれ。自分探しの旅がしなくてすむ。現代の少年はそういったところもタイムパフォーマンス重視なのさ。


「まあそんないつものことはさておいて」


「人の悩みにずけずけ踏み込んだあげくさておくな」


 傍若無人にもほどがある。いや、もともと人ですらないのだから、それで正しいのかもしれないけれど。


 ホムラは肩をすくめた。


「だって、護は大丈夫でしょう。なんだかんだと世話を焼かずとも、自分で何とかするじゃないですか」


「それは‥‥そうできない時だって、あるだろ」


 だって今回だって、何も出来ずに負けた。


 刃狼ソードウルフに負け、化蜘蛛アラクネに負け、仲間を守れなかった。


 するとホムラの手が俺の手に重なった。あの時と同じように、細くて、柔らかくて、温かかった。


「護、転んでも、落ち込んでもいいのです。いつか立ち上がって、前を向くことができれば、それでいいのですよ。ただどうしても辛くなった時、横を向いてください」


 指先が絡まる。もう二度と触れない温もりを、思い出すように。


 燃える瞳が、俺を見ていた。


「きっとあなたの隣には、あなたを支えてくれる人がいます。まあ、もし誰もいなくなっても、私がいます。だから、大丈夫」


 それは俺が欲しかっただけの言葉かもしれない。


 彼女は消えた。もういない。だからこれは夢で、この言葉は幻想だ。


 それでも、胸に灯る炎の熱さだけは、確かだった。




     ◇   ◇   ◇




「もる――護――‼」


 声が聞こえた。懐かしい声だ。


「‥‥つむ、ちゃん‥‥」


「護‼」


 ぐっとだれからに抱きしめられた。首筋に感じる肌の感触。頬に触れる、さらさらとした髪がくすぐったい。柔らかくて、いい匂いがした。


 俺はどうやらどこかのベッドに寝かされているらしかった。


「つむちゃん、何が‥‥」


「護、化蜘蛛アラクネに斬られたの。ギリギリで村正がフラッシュバンを投げてくれたから、何とか回収できたけど」


「そうか‥‥ありがとう、村正」


 顔を横に向けると、トーチの下で村正が鼻の下をこすっていた。


「まあ、夜で不意打ちだったからな。予想以上に効果覿面だったぞ。まあ、次はこうはいかないだろうがな。というか、二度とあんな化物の前には立たんぞ俺は」


「ああ、あれは、やばかったな‥‥」


 思い出しても寒気がする。教科書にも出てくるから当然知ってはいたが、あそこまでの強さだとは思わなかった。


 糸さえさばければ、近接戦闘に持ち込めばなんて、ひどい傲慢だった。


 レベルが違う。


 その時、苦しそうな声が聞こえた。


「すまない‥‥。僕たちが、つけられていたんだ」


 声の方を向くと、空道がうつむいて肩を震わせていた。騎町さんは俺と同じように、ベッドに寝かされているらしい。


 まあ、そういうことだよな。二人は逃げている途中で襲われ、騎町さんは負傷。その状態で、わざと泳がせたんだ。


 そして馬鹿なエサが掛かるのを待ってから、強襲した。


「そんなの、気付けって方が無理だろ。なんて頭の良さだよ」


「ああ、あれは強すぎる。星宮さんも、剣崎君も、僕たちを助けるために残って、そのまま‥‥」


 空道の言葉は、最後は涙交じりで、よく聞き取れなかった。


 そうか。


 あの二人なら、うん、そうするだろうな。


「そういうこと。あの化蜘蛛アラクネ、身体中に傷があった」


「そうだったのか。それにすら気付かなかったな‥‥」


 どれだけあの瞬間、相手に呑まれていたのか気付かされる。見ているつもりで、まともに見られていなかった。


「しかしこうなると、もう先生たちの救助を待つ他ないな」


「そうだな‥‥」


 村正の言う通りだ。何が起きているのかは分からないが、これは俺たちがどうこう出来る範囲を超えている。




「それは無理だな~」




「なっ」


「なんだ⁉」


 突如聞こえた間の抜けた声に反応して目を向ければ、そこにはぬいぐるみサイズの女の子が立っていた。桃色のふわふわした髪を揺らし、眠そうな目で俺たちを見ていた。


 代表して、紡が口を開いた。


「え、エディさん‥‥?」


「おお~、呼ばれてないけど登場エディさんだぞ~」


 そこにいたのは、小さいけれど間違いなくエディさんだった。


「どうしてここに‥‥いや、それよりも何が起こっているんですか?」


 紡は皆が聞きたかったことを単刀直入に聞いた。


「あ~、どうやら何者かにバグを入れられたみたいだな~」


「バグ?」


「インターネットウィルスみたいなものだ~。それのせいで~、この空間そのものがおかしくなった~」


妖精フェアリーに、干渉をしたってこと?」


 その呟きは、誰に対してのものでもなかった。その気持ちは俺も同じだ。


 妖精フェアリーは人智を超えた異次元種だ。物理的に触れるとかならともかく、ウィルスを入れるなんてことが可能なのか。


「私も驚いてる~。しかし、起きたことは事実だ~」


「それで、五日目が過ぎても終わらないということなのか。先生たちの救助はできないと言っていたが、それなら一体俺たちはいつ出られるんだ?」


 我慢できなくなった村正の問いに、エディさんは答えた。


「いつ出られるかと聞かれれば、いつでも出られる~」


 その答えはいい意味で予想外だった。喜色満面になった村正が、身体を乗り出す。


「そうなのか! どうすればいいんだ。あれか、俺たちを出すために来てくれたのか!」


「違う~」


「な、ならばどうすれば」


 嫌な予感がするな。次にエディさんがなんと言うか、なんとなく予想がついてしまった。


「簡単だ~。死ねばドロップアウトできる~」


 村正は呆けた顔で停止した。


「死‥‥死ぬ?」


「そうだ~。ウィルスがいる間は、いくら待っても、ドロップアウトはまともに機能しない~。手っ取り早く出たいのなら、死ぬしかないな~」


「そんな、そんなのはあんまりじゃないですか! 今は痛みも現実世界と同じなんですよ!」


 空道が声を荒げる。そう、死ぬってのはそういうことだ。


 人生で一度しか経験しないはずの死を、痛みを、苦しみを、ここで経験しろとエディさんは言っているのだ。


 しかしエディさんはそんな言葉を聞いても動じなかった。


「最後まで聞け~。簡単に出る方法はそれだけってことだ~」


「‥‥まだ、方法があるの?」


 紡が聞きたくなさそうな声で言った。まさしく同じ気持ちだ。さっきよりも嫌な予感がする。


 エディさんはウィルスがいる間はドロップアウトさせられないと言った。そのウィルスがなんなのか、心当たりがあった。


 その考えに至ったのは他にもいたようだ。


「おい待て、待て待て待て。俺は聞かないぞ。聞きたくない。そんなものはないのと同じだ。だから分かったら言わなくて――」


 村正の全力の制止は、エディさんには届かなかった。




化蜘蛛アラクネを倒せ~。あれがウィルスの本体だ~」




 まあ、そうなるよな。

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