第68話 六日目

     ◇   ◇   ◇




 たいていヤバい事態ってものは、なってから気付くものだ。


 そして過去を振り返り、どこが間違っていたのか、どこから間違っていたのかと理由を探す。そんなことをしても現実は変わらないと知りながら。何か一歩でも進めたと勘違いしたいのだ。


 先人の残した例に漏れず。


 異常個体イレギュラーの鬼と戦い、メモリオーブを手に入れた時の違和感。俺はそれが事実だったことに遅まきながら気付いた。


「一体‥‥何が起こっているんだ。おかしいだろ‥‥」


「‥‥」


 村正は頭を抱え、つむぎは腕を組んだまま目を閉じていた。


「何か、異常が起こったとみて間違いないな」


 今日は六日目の午後。


 そう、六日目・・・だ。


 適性試験の日数は五日間。その刻限をとうに過ぎ、何かの間違いかとずっと息を潜めて終わりを待ち続けたが、結果は変わらない。


 試験は終わることなく、この世界は俺たちを捉え続けていた。


「やっぱりエディさんの声が聞こえなかったのも、異常事態だったのか」


「そんなことはどうでもいいだろう。それよりどうするんだ、これから」


「うーん」


 これから、と言われてもそうそう出てはこない。


 何せ五日で終わりと言われていたのだから、俺の脳内も五日間でオーバーヒート気味だ。


 これ以上悩みの種を抱えたら禿げそうだ。種を撒いているのに不毛の大地。


 悩んでいる俺に向かって、周囲に張った糸の調子を確かめていた紡が口を開いた。


怪物モンスターの姿もほとんど見なくなった。糸にも何もかからない。どん詰まりね。異常事態なら、先生たちが助けてくれるまで待つのが得策じゃない?」


「俺もそれがいいと思うぞ!」


 うんうんと倍速赤べこと化した村正が同意した。


「そうだな、そうしようか」


「え、いいのか?」


「それ以外に解決策もないし」


「絶対に原因を突き止めに行こうとか、メモリオーブを探そうとか言うと思ってたぞ」


「人のことなんだと思ってるんだよ‥‥」


 これまでは適性試験の中でやるべきことをやってきただけで、異常事態をわざわざ解決しようとは思わない。


 この試験の管理者は先生たちだ。試験の不具合は任せた方が得策だろう。


「てっきりバトルジャンキーか何かかと」


「王人と一緒にしないでくれ」


「王人って、剣崎のことか? あんな可愛い顔でジャンキーだなんて、お前は一体何を言っているんだ」


 お前こそ何言ってんだ。


 信じられない目で村正を見ると、彼はいたって真面目な顔をしていた。


 そうか、王人をあまり知らない人からすると、そう見えるのか。いちいち真実を説明している時間もないし、ガンギマった目をしている村正とこの話をするのは怖いからやめよう。


「一応言っとくけど、王人は男だからな?」


「何言ってるんだ? 当然だろ。それがいいんじゃないか」


 マジかこいつ。


「そ、そうか‥‥。まあ、人の趣味嗜好にとやかく言うつもりはないが、あまり大きな声で言わない方がいいぞ」


「待て、何か良くない勘違いをしているな。別に俺は同性愛者ではない」


「そ、そう‥‥」


 え、違うの? そういう話じゃなかったのか‥‥。


 村正は腕を組み、深く頷いた。


「男の娘というのも、それはそれで味わい深いという、それだけの話だ」


 まるで茶の味について語る武士のように、村正の言葉は重かった。


 いまいちよく分からないが、この話は王人にしない方がいい気がする。うん、俺もチームメイトの斬殺死体とか見たくないし。


「――キモ」


 紡の端的で冷たい言葉が、部屋の中に俺たちを串刺しにした。




 俺たちはそれから夜まで出歩くことなく、時間を潰した。


 あれから大きな変化はない。怪物モンスターが出現することもなく、この空間が終わる気配もない。


 本当に、いつまでこうしていればいいんだか。


 手の中で火焔アライブの炎を操作して、なんとかホムラの形が作れないかと悪戦苦闘していたら、同様に念動糸クリアチェインであやとりをしていた紡が、顔を上げて言った。


「‥‥護、誰か来る」


「誰かって、生徒か?」


「大きさからして多分。二人みたいだけど、どうする?」


 街が広いから、生徒と会うのは犬塚さんたち以来だ。とりあえず、このバグに巻き込まれているのが俺たち以外にもいるのが分かっただけでも収穫だ。


「分かった、俺が様子を見に行くよ。二人は後ろで何かあった時にサポートできるように準備しておいてくれ」


 今は情報が欲しい。怪物モンスターの姿も見えないし、会っても問題はないだろう。


 そんなことを思いながら、俺は外に出た。


 街灯のない街は暗く、月明りだけが道を照らしている。『火焔アライブ』で照らすことも考えたが、止めた。この闇が支配する世界で、明かりを灯すことに、本能的に不安を覚えたからだ。


 夜のとばりの向こうから、誰かが歩いてくる。


「止まってくれ、あなたたちも帰還できなくなったのか!」


 怪しまれる前に、向こうに聞こえるように声を出した。


 二人は一瞬立ち止まり、そのまま歩いてくる。


 そこで違和感に気付いた。歩くのが遅いし、リズムもおかしい。


 明かりの下に出た二人の姿を見て、その理由に気付いた。


 男女のペアで、男子が女子に肩を貸している。女子生徒の方は立っているのもやっとの状態らしく、だから歩くリズムがおかしかったのだ。


 どちらも見覚えがない。多分B組の生徒だ。A組の生徒たちも全員覚えているわけではないので、合っているかはフィフティフィフティだけど。


 しかしあちらの方は俺の顔に見え覚えがあったらしい。


「君は、不適合者オールド‥‥」


「‥‥」


 そりゃ悪名ばかり轟いているんだから、出てくるのはそっちの名前だよな。言われ慣れているとはいえ、話したこともない人間から呼ばれると地味にショックだ。


「真堂だよ‥‥」


「あ、ああ。ごめん。名前を知らなくて」


「いや、いいけどさ」


 謝ってくれるだけ、まともな奴なんだろう。不適合者オールドなんて名前を広めた佐藤が悪いな。加藤だったっけ。


 俺の方も名前を一切知らないので、文句を言うのも気が引ける。


「あー、それで、君たちは?」


「僕は空道、B組だ。こっちは騎町。怪物モンスターの攻撃を受けて、今はまともに歩けないんだ」


怪物モンスター? 今日怪物モンスターと交戦したのか?」


 わざわざここまで歩いてきたってことは、交戦し、逃げてきたのだろう。てっきり六日目に入って怪物モンスターは全員消えたのかと思っていたが、実際は違ったのか。


 俺の顔を見た空道が目を細めた。


「ああ。まだ――あれとは会っていないのか?」


「ランク2の話か? それなら二日前に会ったけど」


「違う。まったく別の奴だ。剣崎君も、星宮さんもあれに‥‥」


「何?」


 今なんて言った。


「王人と星宮に何かあったのか?」


 思わず詰め寄って話を聞こうとし、そこで女子生徒の状況が思ったよりも悪いことに気が付いた。


 傷を負ったらしい右半身はだらんとしていて、そこから赤い光がはらはらと零れ落ちている。


 荒い息に、力の入っていない身体。どうしてそんなに辛そうなんだ? この世界は痛みが緩和されている。ダメージを受けていたとしても、ここまで影響はない。


 一体、何が起こってるんだ。


 強烈な違和感に動きを止めた瞬間、身体が何かに引っ張られた。


 それは空道と騎町さんも同じで、何かに弾かれたような勢いでその場から離脱する。


 この感覚は二度目。紡の『念動糸クリアチェイン』で引っ張られたんだ。


 何故わざわざ紡が俺たちを移動させたのか。


 理由は明白だった。



「逃げて護! あれはまずい‼」



 身体に巻き付いた糸から、切羽詰まった紡の声が聞こえた。クールな彼女にしては珍しい、動揺が糸の強さになって表れている。


 そして紡に言われずとも、今の状況がやばいってことはよく分かった。


「――」


 暗闇に溶け込むような自然さで、俺たちが立っていた場所に何かが降ってきた。


 ――なんだ。


 巨大な蜘蛛の脚に、人間のような上半身がついている。


 この怪物モンスターの名は、そう、『化蜘蛛アラクネ』だ。


 守衛魔法師ガードを目指す人間で、知らない者はいない。


 親父が昔言っていたな、守衛魔法師ガードでも死者が多く出て、その後の守衛魔法師ガード育成にも大きく影響したと。


 正真正銘の怪物だ。


「次から次へと‥‥!」


 『火焔アライブ』を発動し、構える。紡と村正が後ろにいてくれて助かった。空道と騎町は二人がいれば逃げられるだろう。それまでは俺が時間を稼がなければいけない。



「駄目、護‼」



 紡の声が聞こえたが、そうも言ってられないだろ。無理はせず、相手の動きを見て避けることに全集中する。


「行くぞ――」


 闇の中で、化蜘蛛アラクネが身じろぎした。


 化蜘蛛アラクネの攻撃方法は爆発する糸による範囲攻撃と、剣の脚を使った近接攻撃だ。


 気を付けなければならないのは、糸だな。周囲を丸ごと爆発させられたら、空道たちが危ない。


 こちらから距離を詰めて、近接攻撃を誘発させる。


 俺は火花を夜に散らしながら、前に進んだ。


 一切油断はなかった。刃狼ソードウルフと戦ったことで、どんな速度で攻撃が来るのか、イメージが作られていた。


「ッ⁉」


 だから、一発目を防げた。


 まるで虫を払うような、脚を使った斬撃だ。両腕で弾きながら、下に潜り込む。


 よし、これなら対応できる。あとは糸にだけ気を付ければ――。


 考えられたのはそこまでだった。


 気付いた時、俺は地面に転がっていて、全身が灼熱に侵されていた。


「いっぐぁあぁぁあああ⁉」


 胸か、腹か。


 恐る恐る手を胸に当てると、そこには明らかにおかしな窪みが出来ていた。もしもこれが現実だったら、骨の中に隠されている内臓まで指が届いていただろう。


 見えなかった。


 何をされたのかまったく分からなかった。


 まさか、一回目はわざとゆっくり振ったのか。俺の目をその速度に慣らすために。


 なんて奴だ。


「ぁ‥‥ぐぁぁあ」


 火を、とにかく火を回さなければ。死ぬ。命が、零れていく感覚がする。


 痛みで頭が回らない。


 騎町さんが動けなくなっていた理由が今になって分かった。これもバグなのか、痛覚が完全に現実世界のそれと同じだ。


「――」


 ゆっくりと、化蜘蛛アラクネが俺の上に立った。八つの青い目が俺を見下ろす。


 黒い仮面の下で、微かに漏れる声が聞こえた気がした。


「――グ――ツシャ――」


 何と言っているのかは分からない。意味のない音声の羅列だったのかもしれない。


 しかしその後の言葉だけは、はっきりと聞こえた。




「シネ」




 その二音に込められた、憎しみと、怒りと、殺意は、確かだった。


 妖精フェアリーによって作られたはずの仮想体エネミーが持つにはあまりにどろどろしく、熱く、そして、生々しかった。


「『フラッシュバン』‼」


 その瞬間、鮮烈な閃光と轟音が辺りに響いた。


 その後のことはよく覚えていない。何かに引っ張られ、高速で身体が夜の街を滑った。


 何も見えなくなったのは、夜に飲まれたからか、それとも意識が落ちたからか、ただ化蜘蛛アラクネの発した声だけが、頭の中でリフレインしていた。

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