第23話 蜂蜜さんと鬼ごっこ
◇ ◇ ◇
最後の試合でチームになったのは、二人の男女と、試験で俺が割って入った女の子だった。
最後の最後にこの子が相手か。
目立つから、合格して学校にいることはすぐに知れた。ただ彼女の周りにはいつも人がいて、自分のことに手一杯な俺は挨拶すら交わせていない。
本当ならあの時戦いを邪魔してしまったことを謝りたいんだが、そういう雰囲気でもない。
にしても、改めて見るととてつもなく綺麗な顔立ちの少女だ。編み込まれた
しかしその表情は硬い。誰も話かけるなという拒絶のオーラが一文字の唇から見てとれる。
目も据わっているし、異様な緊張感だ。
この最後の試合に並々ならぬ思いがあるのか、それとも俺に対して怒っているのか。
「──」
一瞬だけ、少女と目が合った。すぐにふいと逸らされる。
これは、怒ってますね。
まあ仕方ない。たとえ彼女が怒っていたとしても、俺はこの試合で負けるわけにはいかないのだ。
名前が分からないから、蜂蜜さんと呼ぶことにしよう。
俺たちはコートの四隅に立ち、向かい合う。
泣いても笑ってもこれが最後の試合だ。これで誰か一人でもタッチできなければ、留年が決まる。
ホムラが待っているんだ。こんなところで足踏みしている暇はない。
半身に構える。指先まで緊張を走らせ、無駄な力は抜く。全身を血が巡っているのが感じられる。
そして笛が鳴った。
俺は完全にカウンターの姿勢だ。自分から攻めるのは得策じゃない。
まずは相手の動きを見て、対応する。
そう思った瞬間、俺は驚きに目を見張った。
「なっ──‼︎」
「ぉぉおおお⁉︎」
周囲からも声が響く。
ほぼ同時に短い笛の音が連続で鳴った。
何のことはない。俺以外の二人が同時に蜂蜜さんに飛びかかり、そのままアウトになったのだ。
彼女は両側から伸びる手を体を
倒れる寸前まで体が傾いているのに、蜂蜜さんはそのままなんなく元の姿勢に戻る。
おいおい、嘘だろ。最初の位置からほとんど動いてないぞ。どんな体幹をしてるんだよ。
普段なら俺が真っ先に狙われるが、蜂蜜さんをフリーにはできないから、二人で狙ったのか。それでも無意味だった。
「‥‥」
蜂蜜さんと目があった。冷めた目からはほとんど感情が見て取れない。
合図はなかった。
ただ来るだろうと感じた時には、蜂蜜さんが俺めがけて走ってきていた。
速い!
槍のように伸びてくる右手が、真っ直ぐに俺の顔に迫ってきた。
――目を閉じるな‼
頭が命じたのはそれだけだった。
目と鼻の先にまで迫った白い指を見つめながら、身体が動く。前に出していた左手が反応し、甲で彼女の手首を逸らし、空間を作る。
ビリビリと当てた左手が痛みと重さで痺れるが、弾く必要はない。ほんの少し、軌道が変わればそれでいい。
一ミリの空隙。
そこに身体をねじ込み、引いていた右手を突き出す。
完璧なタイミングだった。相手の攻撃をいなして放つカウンターは、勢いの乗った体では避けられない。
そのはずだった。
「ッ――⁉」
急停止、旋回。
蜂蜜さんの足が火花を散らさんばかりの勢いで地面を蹴って動きを止めると、そのまま回るように距離を取った。
その目にはありありと驚きが浮かんでいた。
「‥‥」
心臓がバクバクと暴れている。
これが『エナジーメイル』だ。おおよそ人間には不可能な機動力。完全に入ったと思ったのに、避けられた。
「ふぅ――」
落胆している暇なんかない。一回攻撃を捌くことができた。だったら、あと何回だって、同じことを繰り返す。
タッチをするその瞬間まで。
たった一回の接触で赤くなった左手を前に、再び構える。
来い。
◇ ◇ ◇
それは考えられない光景だった。
卓越したエナジーメイルと、柔らかく長い手足が繰り出すのは、軌道が読みづらく鋭い攻撃だ。
たとえエナジーメイルが使えようと、受けに回って彼女の攻撃を躱すのは至難の業だ。
だからこそ学年で五位のタッチ数。
上位四人が王人を筆頭に近距離戦闘を得意とする者たちであることを考えれば、その実力がどれほど規格外か分かる。
しかし見ている生徒たちが驚いたのは、彼女の動きにではなかった。
それを受ける
彼の動きは決して派手でも鮮やかでもない。身体を動かすのは最小限で、泥臭く、粘り強く受け続けている。
一度目は奇跡だと思われた。
二度目の幸運に周囲から笑いが起き、三度目にはその顔から笑みが消えた。
奇跡でも偶然でもない。真堂護は有朱の攻撃を意識して、
内出血で赤くなった手が、それを生々しく示していた。
それはあり得ないことだ。特にエナジーメイルこそが
それを一番感じていたのは、外ならぬ有朱だった。
「――」
攻撃の手は緩めていない。
その痛々しい腕を見れば見る程、この公開処刑を一刻も早く終わらせなければならないという義務感に急かされる。
だというのに、当たらない。
紙一重のところで、するりと手から抜けていく。
――どうして、どうして当たらないの。
ずっと目の前にいる。護は一度として逃げ回ってはいない。正面から、有朱の攻撃を対応し続けているのだ。
そして何よりも有朱を追い詰めるのが、
「‥‥」
護の目だ。
痛みで腕を上げることさえ辛いはずだというのに、その目は爛々と輝き、真っ直ぐに有朱を睨みつけている。
ほんの少しでも隙を見せれば食らいつかんという意志が、肌に突き刺さる。
しかしそれは無意味な戦意だ。
恐らくこの技術を護に叩き込んだのは剣崎だろう。その指導力と護の成長速度には舌を巻くほかない。
ただこれには明確な弱点がある。
いくら攻撃を受ける技法を身に付けようと、エナジーメイルを発動していない護の攻撃は――遅い。
有朱の攻撃にカウンターを差し込む余裕がないのだ。
そうなれば、素の体力で戦う護が先に力尽きる。
その瞬間はもう遠くない。
そしてそこから数手。その時は来た。
「――っはぁ」
限界を迎えた護が小さく呼吸をした。
たったそれだけの隙を、極限まで集中した有朱は見逃さなかった。
「ッ‼」
ここ一番で研ぎ澄まされた一閃を、護の胸目掛けて突き込んだ。
内部生たちのほとんどが、ゲームの終わりを見た。それ程までに、有朱の一撃は完璧なタイミングだった。
剣崎王人だけが、別の未来を見ていた。
「――!」
護は倒れ込むように一歩を踏み出したのだ。
そして見極める。
死中の活。一ミリの空隙を。
「なっ⁉」
護は進みながら身体を捩じり、有朱の腕を右脇に抱え込んだ。彼女ほどの実力者だからこそ、この隙を逃すはずがないと、直感していた。
同時に左手を伸ばす。
必殺の一撃を躱された有朱との距離は、ほぼ密着状態。
「ぁぁあああああああ‼」
そしてゲームの終了を知らせる笛が、短く響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます