第22話 最後の鬼ごっこ
◇ ◇ ◇
王人との訓練を始めてから一週間が経った。
「ぅぐ、お‥‥」
痛み
なんとか一限目に間に合った‥‥。
朝のランニングに体育のトレーニング。放課後は王人との訓練というハイカロリーな毎日を過ごしているせいで、全身がバッキバキに痛い。
何だろう、お肉をペンチで潰して圧縮すると、きっとこれくらいになるんじゃなかろうか。
今日は『
つまり今日、俺が誰かを一回でもタッチしなければ、単位を落として留年が確定する。
一ミリの空隙を見極めろと言われて始まった王人との訓練だが、間違いなく成果は出ていると思う。ただいかんせん、王人としか出来ていないから、自分がどのレベルまで成長したのかさっぱり分からない。
王人はホスト顔負けの顔――ではなく対応力で、俺のレベルに合わせた動き方をしてくれている。
そのせいで少しずつの進歩している実感はあれど、単位が取れる段階に至ったのかは不明だ。結局王人には一回もタッチさせてもらえていないし。
なんだろう、徐々に沼に引きずり込まれて、手に入らない物をちらつかされるこの感じ。キャバクラにはまる男はこんな感情なのか。
いや待て、王人は男だからホストだ。
しかしスーツよりもドレスの方が似合いそうではある。ぜひピンクのフリルが淡くあしらわれた可愛らしいドレスとかを着てみてもらいたい。
そんな馬鹿なことを考えている間に担任が入ってきて、朝のHRが始まった。
時間は瞬く間に過ぎていった。
少しでも休憩しようとは思うが、授業は授業で聞かないわけにもいかない。
落ちそうになる首を何とか支えながら、俺はその時を待ち続けた。
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
移動し、訓練着に着替える。
コンディションとしちゃ万全とは言い難い。身体は痛いし、頭は疲労で重い。
それでも集中力は高まっている。
いや、それだけを高めた。レオールに襲われた時に実感した。敵はこちらの状況などお構いなしにやって来る。
だったらその瞬間、俺は万全にならなければならない。ギアをトップに入れ、心臓から流れ出す血を全身で感じる。
訓練場に集まった生徒たちに、
その言葉がどこか遠い。
そうしてチームが発表され、準備運動を終えた生徒たちは、それぞれ鬼ごっこのコートへと移動を始めた。
俺も移動するか、と思った時、近くに人影が立った。
そいつは他の人に聞こえないように、さりげなく近づきながら言った。
「よう。今日が学園最後の日になるな。まさか留年なんてしないだろう? エナジーメイルすら使えない、
「‥‥お前」
短い髪を逆立てた、にやにやとした男だった。
砂糖‥‥佐藤‥‥違うな。無糖だったっけ。
この間ゲームの最中に俺を攻撃してきた奴だ。
「それと、この間はごめんな。悪気はなかったんだけど、まさかぶつかっちまうとは思ってなかったからさ」
無糖は俺の肩を馴れ馴れしく叩く。
「な、
‥‥こいつの嫌な笑みは、見慣れたものだった。
ついでに使い古されて手垢まみれになったそのあだ名も。
無糖はきっと俺が苛立ち、怒ると思って言ってきているんだろう。何せここは桜花魔法学園。
その中で使われる、最上級の侮蔑なのだ。
しかしながら無糖君。世界は広い。
残念だが、この程度の嫌がらせは中学校時代に一通り履修済みだ。意図せず必修科目だったからな。くそったれめ。
そういうわけで、君の嫌がらせは二流だ。そのまま落第した方が人生はいい方向に進むと思うが、そんなことを言ってやる義理もない。
ぱっ、と軽く無糖の手を払う。
「いらない気遣いどうも。俺に構っている暇があるなら、自分の成績上げるのに時間使った方がいいんじゃないか? タッチ数、下から数えた方が早そうだぞ」
「――てめぇ」
目を見開いた無糖が額に青筋を浮かべる。
「そこ、何をしているのですか?」
「チッ」
鬼灯先生に目を向けられ、無糖は舌打ちして離れていった。離れ方まで二流の小悪党感が凄いな、あいつ。
視線を戻して、鬼灯先生が言った。
「今日でエナジーメイルの基礎単元は終わりです。未だ約束の数には届いていませんが、大丈夫ですか」
「‥‥はい、頑張ります」
そうですか、とそれだけを言い残し、鬼灯先生は審判のために歩いて行った。
――ふぅ。
深呼吸をし、全身から力を抜く。緊張はする。それでも気負うな。
たとえ誰が相手であっても、やるべきことは同じだ。
今日の試合は三試合。
俺は意識を整え、コートに歩いて行った。
◇ ◇ ◇
授業の時間も残り少なくなってきた。全ての試合を終えた生徒たちも出てきて、彼らはスクリーンを見たり、柔軟をしたりしていた。
その内の一人、剣崎王人はスクリーンには一瞥もくれず、コートの方を見ていた。
彼は記録に執着しない。そもそも分かり切っている結果だ。
それよりも見るべきものある。
そんな彼に隣から声を掛ける者がいた。
「剣崎君、仕込んだのはあなたですか?」
「仕込んだなんて、人聞きが悪いじゃないですか先生」
そこにいたのはボタン式のホイッスルを持った鬼灯だった。
試合もほとんどが終わり、比較的手が空いたのだろう。
柔和な笑みを崩さないままに、鬼灯は言った。
「無駄な時間です。あなたはあなたのことだけを考えるべきです」
「考えていますよ。考えた結果がこれなんです。先生こそ、今回はあまりに意地悪じゃありませんか?」
「何の話ですか?」
「護がエナジーメイルを使えないこと、知っていたでしょう」
答えは返ってこない。それが真実を如実に語っていた。
「エナジーメイルを使えない人間は
「‥‥」
「今回の件には、私情を感じてならないのですが、それは僕の勘違いでしょうか」
「勘違いですね」
にっこりと笑って、鬼灯は否定した。
「そうでしたか」
王人もそれ以上は踏み込まない。鬼灯は黒髪を耳にかけながら言った。
「どちらにせよ、この授業における権限は全て私に一任されています。彼が可能性を示さない限り、単位は出ません」
「そうでしょうね。けれど、僕は先生が単位を出すと思っていますよ」
「もう少し現実的な見方をすると思っていましたが、意外ですね。
二人が見ている前で、
どちらも前回より動きが良くはなっているが、複数人から一度に狙われ、捌ききれずに一番初めにタッチされてしまった。
誰も彼の試合に期待はしてない。何のストーリーもなく同じ結果になるだろうと、見向きもしない。
「‥‥先生、僕は今心躍っているんです」
「‥‥」
「護の才は天性のものです」
「彼が天才だと?」
「たった一週間です。一週間で護は『
王人の言葉は、その通り弾んで聞こえた。いつも穏やかな表情で、感情の起伏を見せない彼にしては珍しい姿だ。
しかしそれに対し、鬼灯はどこか冷めた声で返した。
「そうですね。もしかしたらそういう未来があったかもしれません。ただ、現実は運命的なストーリーが好きではないようですよ」
護を含め三人がコートに立つ。
そこに
彼女が歩く数歩は、随分と長く感じられた。
遠距離戦を得意としながらも、現在のタッチ数は学年五位。
最強美麗の敵が、冷たい鉄仮面を着けて護の前に立った。
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