第26話 ボランティア

    ◇   ◇   ◇




 鬼灯先生との専攻練せんこうれんが本格的に始まってしばらく経ち、季節はいつの間にか厚い雲と、その隙間から差し込む鮮烈な日差しが主張する六月の初め。


 昨今は地球温暖化なんだか異常気象なんだか、本格的な梅雨入り前から、既に夏の気配が香り始めている。


 桜花マッスル学園は気温に比例するように熱量を上げ、トレーニングはより苛烈になっていた。馬鹿じゃなかろうか。


 そして鬼灯先生との専攻練せんこうれんはといえば、ようやく最近になって五十回の形稽古ができるようになった。


 正直百回なんてそう多くないだろうと思ったが、鬼灯先生は厳しかった。合格が出なければやり直し。初めは十回すら連続で続かないのが当たり前。


 毎回気絶で訓練が終わるのだ。


 名前の通り、とんでもない鬼教官だ。


「──護、護、聞いてますか?」


「ん? ああ、ごめん聞いてなかった」


 まったく、と王人が食後のお茶を飲んだ。俺と一緒に食べ始めたはずの山盛りのカツ丼は、既に米粒一つ残らず平らげられている。


 こいつ、このちっこい体でどんだけ食うんだよ。しかも俺よりも食べるの遥かに速いし。人体のミステリーか。


「ボランティア活動はもう決めましたか?」


「‥‥ボランティア活動って、必修単位の奴だよな」


「そうですよ」


 話の流れを必死に思い出す。


 そうそう、少し前に担任の先生からそれについて話があった。


 この桜花魔法学園では、年間でのボランティア活動が義務付けられている。それも単位の一つ、授業なのだ。


 多くはプロとして活動している魔法師のもとで、職業訓練っぽいことをするらしい。


 ボランティア活動とは銘打っているものの、どちらかというと受け入れてくれる側の方がボランティアだ。


「七月に入るまでに一回はやっておいた方がいいですよ。学期末は忙しいですから」


「王人はもうやったんだっけ?」


「僕は実家の手伝いがボランティア活動として認められているので、それを当てています」


「そっか、そういう方法もあるんだな」


 流石さすがだ。実家と太ももは太ければ太いほどいいって、昔親父が言っていた気がする。


 どちらかというと、その後母さんにぶっ飛ばされていた方が記憶に残っているが。


「‥‥でも、もし護が一緒にやりたいというのであれば、別のを受けてもいいのですが」


「いや、それは申し訳ないからいいよ。いくら何でも世話をかけすぎだ」


 ただでさえ返しきれない借りがあるのに、これ以上は迷惑が過ぎる。


「‥‥そうですか」


「なんか怒ってるか?」


「怒ってませんよ」


 そうか。何か妹が拗ねた時を思い出しちゃったよ。


 とりあえずこういうのは先生に相談してみるか。




    ◇   ◇   ◇




「というわけで、ボランティア活動は何をしたらいいんでしょうか」


「ボランティア活動ですか?」


 ソファに寝転がってタブレットでドラマを見ていた鬼灯先生が、こちらを見もせずに言った。


 ちなみに俺は綺麗にしたカーペットの上で正座をしている。


 この部屋、ちょっと油断するとすぐ汚くなるんだよな。知らぬ間に赤ちゃんが入り込んでいるのかもしれない。


「一年生でできるボランティア活動なんて、こう言ったらなんですが、どこも同じですよ」


「それ、先生が言っていいんですか?」


「あなたが誰にも言わなければ関係ない話ですよね?」


 はいその通りです先生。


 鬼灯先生はドラマを止め、何やら画面を操作すると、あるものを俺に見せてきた。どうやら一年生が受けられるボランティア活動のリストらしい。


 その中の一つを開く。


「やはり、守衛魔法師ガードの下で経験させてもらったらいいんじゃないですか? これなんかは、ちょうどよいと思いますよ」


「市街地の避難ルート確認、ですか」


「避難指示も守衛魔法師ガードの立派な仕事ですからね。いざという時のために避難ルートが正常に使えるのか、道に変化はないか。そういったことを確認するんです」


「なるほど、それは大切な仕事ですね」


 先生もたまには先生らしいこと言うんだな。部屋の惨状のせいで、戦い以外は駄目人間感が強いけど、この学園の教員として雇われている時点で、優秀なのは当然だった。


「場所は国分寺ですね。決めたのなら、定員が埋まる前にさっさと申請しましょう」


「分かりました」


 鬼灯先生に言われ、俺はスマホを取り出して申請をした。


「‥‥そうでした」


「何ですか?」


「一つだけ約束をしてください」


 鬼灯先生の方を見ると、いつになく真剣な眼差しが俺を見つめていた。


 思わず居住まいを正すと、先生は口を開いた。


「ただの避難ルートの確認ですから、今回は関係ありませんが、もしも怪物モンスターと出会ったとしても、戦ってはいけません」


 鬼灯先生に念を押されなくとも、そのルールは知っている。俺たちはまだ学生で、正規の資格を持っていない。避難指示などの手伝いはできても、怪物モンスターとの戦闘は認められていないのだ。


 それでも、先生の言葉には机上の理解を超える強さがあった。


 その時、ホムラを襲ったレオールが頭をよぎった。


「それは‥‥もしも目の前で誰かが犠牲になりそうだったら、どうすればいいんですか?」


 俺はその答えを知っている。


 そう習ったからだ。


 鬼灯先生は視線を和らげて言った。


「逃げなさい。それを救うのが守衛魔法師ガードの仕事です。力を付けるべき人間が、それよりも前に死んでしまったら、誰が未来の人々を救うのですか」


「‥‥分かりました」


 分かっている。俺にはまだ怪物モンスターと戦うだけの力も資格もない。


 だからホムラはいなくなった。守れなかった。焦るだけ無意味だと分かりながらも、焦燥感に拳を握った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る