第87話 音無律花

 休憩スペースに戻ると、機島先生にさっきの少女が正座で怒られていた。


「おい馬鹿。馬鹿かお前、この馬鹿。何度も作業所で走るんじゃねえって言ったよな。ぶっ殺すぞ」


 とんでもねえ言葉遣いだな。教育者とはとても思えない説教である。

 

 しかし言っている内容はもっともだ。素人の俺から見ても、危なそうな機械や部品がたくさんあった。


「はい、はい、しゅびばせん‥‥」


 少女の方は身体を縮こまらせ、かわいそうなくらいボロボロ泣きながら謝罪をしている。


 どうでもいいけど、人が怒られているのを眺めている時ほど気まずいことも無い。


 機島先生も真摯に説教を受け止める少女を見て、ばつが悪くなったのか、ガシガシと頭をかいた。


「ったく、何だってんだ一体」


「だって、先生かと思って横を見たら、何故か真堂君がいて‥‥そういえば、真堂君がいたんですよ! 疲れすぎて夢か現実か分からなかったんですけど!」


「そりゃ現実だろうよ。そこで気まずそうに立ってるぞ」


 少女が「え?」って顔で俺を見た。


「ど、どうも」


「し、しししし真堂君⁉」


「おい落ち着け、こんなところで暴れるな馬鹿。全員目覚ますだろうが」


 機島先生は、再び走り出そうとした少女の首根っこを抑え込んだ。


「お前、まだ自己紹介してないだろ。わざわざ訓練の時間に来てくれたんだ。メカニックならちゃんと対応しろ」


「‥‥すみません、気が動転して」


 少女は立ち上がり、俺の方を向いた。


 それからわたわたとキャップを外す。薄い色素の、無造作に結ばれた髪がはらりと落ちた。予想よりも長く、ふわふわとした綿毛のような髪。


 赤くなった真ん丸な目も相まって、彼女は兎のようだった。


「私は開発科一年、音無律花おとなしりっかです」


「俺は真堂護だ、よろしく」


「よ、よよよろしくお願いします!」


 音無さんは、頭ぶつけるんじゃないかという勢いで礼をした。なんなんだろう、このテンション。ちょっとびっくりする。


 俺が黙っていると、直角で礼をしたまま、音無さんが目線を上げた。上目遣いで俺を見るうるんだ瞳に、視線が吸い込まれる。


「はぁ‥‥、真堂君、まさか来てくれるなんて」


「いや、君が俺の武機マキナを作ってくれるって聞いて」


「はい! 頑張ってオーケーをもらいました!」


 音無さんはばね仕掛けの人形のように、ビシッと手を上げた。


「真堂、そいつはそんな感じだが、実力は本物だ。そうじゃなきゃ、三年生がやるべきことを一年生に任せたりはしない」


「精一杯頑張ります!」


「言われたこと聞いてなかったのか? お前は口より手を動かせ。さっさと準備しろ」


「はい! すみません!」


 音無さんは機島先生にドヤされ、慌てた様子で道具の準備を始めた。徹底的に調教されているな‥‥。きっと鬼灯先生と一緒にいる時の俺も、こんな感じなのかもしれない。人の振り見て、我が振り哀しき、護。


「あの、俺は何をしたらいいんでしょうか」


「あいつのやりたいことに少し付き合ってやってくれ。いまいち俺もあいつがやりたいことは分からん」


「先生でも分からないんですか?」


 そう聞くと、機島先生は再び頭をかいた。疲労のにじんだ目の中には、少年のような輝きが見えた気がした。


「天才の発想には追い付けんって話だ。あいつはそういうたぐいだ」


「天才‥‥」


 さっきの作業をしている音無さんの姿が思い浮かんだ。


「あ、真堂君、お待たせしました!」


 音無さんが、工具箱のようなものを持って戻ってきた。今から改造手術でもされそうなくらいにごつい箱なんだけど、俺は一体何をされるんだろうか。

 腹をくくって、立ち上がった。


「ああ、頼むよ」


 それから俺は音無さんにありとあらゆるデータを取られた。そんなところまで必要なのかと思うくらい。


 そして彼女は『火焔アライブ』を見たがった。隠しているわけでもないので、掌に炎を出してみせた。


 『火焔アライブ』を見ている時の音無さんの目はちょっとイッちゃっていて、怖かった。


 「私も実際に受けてみたいですね‥‥」とボソッと言っているのは聞かなかったことにした。天才かはともかく、機島先生の言う通り、音無さんのの考えていることは分からない。


 結局、真剣な顔でデータを取っている音無さんに、どうして俺の武機マキナを作ってくれるのか、聞くことは出来なかった。


 まあ合宿はあと六日間もある。また次の機会に聞けばいいだろう。




     ◇    ◇    ◇




 午後の訓練――俺はほとんど音無さんのデータ取りだったが――が終わると、夕飯、風呂と瞬く間に時間は過ぎていく。


 部屋は二人で一つ。俺は村正と同じ部屋だった。


「なんでお前と同じなんだ‥‥」


「俺とて遺憾だぞ。お前と同じ部屋だと、深夜に何かが飛び込んできそうだ」


「俺が厄介ごとを持ってきているみたいな言い方はやめてくれ」


 全部が全部俺じゃないぞ、多分。


「もう全身がバキバキだ‥‥。もう少し女子と楽しくおしゃべりできる時間があると思ったんだが‥‥」


「夕食で紡と一緒に食べられただろ」


 夕食はバイキング形式だった。特に席も決められていなかったので、なんとなく俺と紡、村正は同じ席で食べたのだ。


「違う違う。俺はいろんな女子ときゃっきゃ言いながら食べたいのだ。何だってお前たちの夫婦漫才を目の前で見せ続けられねばならんのだ」


「誰も夫婦漫才なんてしてないけどな。怒られるぞ」


「怒られるのはお前だ愚か者め」


 なんでそうなるんだよ。昔のつむちゃんならいざ知らず、夫婦漫才なんて聞いたら、百パーセント怒ると思うけどなあ。


 呆れた目をしてくる村正に枕を投げつけてやろうかと思ったが、そんな元気もない。意外とデータ取りは、気力を使うのだということを今日知った。


「というか、そこまで言うなら別の席で食べればよかっただろ」


「それは、まあ、初日だしな。まだ今は観察の時なのだ」


「ただ人見知りしただけだろ」


 村正はこう見えて、意外と内弁慶だ。


 戦闘用の魔法マギが使えないことが負い目なのか、それとも元々の性格か、口ではチャラ男のようなことを言いながら、実際に行動に起こしているのは見たことがない。


 コミュ力に関しては、俺も人のことはとやかく言えないので、これくらいにしておいてやろう。人の弱みを言葉にするのはよくないからな。


「そういえば真堂、今日は全然訓練していなかったな。どこに行ってたんだ?」


「なんか俺の武機マキナがまだ出来てないらしくて、開発科の人たちがいるところに顔出してた」


「開発科の先輩方がいるのは聞いていたが、そっちに行っていたのか」


「ああ。俺の武機マキナを作ってくれるのが、一年生の音無さんって人みたいなんだけど――」


「音無さんだと⁉」


 ベッドでスマホをポチポチしていた村正が跳ね起きた。


「な、なんだよ」


「音無って、音無律花おとなしりっかのことか?」


「たぶん、そう言ってた気がする。一年生なのに今回の武機マキナ作成に立候補したらしいぞ」


 俺は少しだけぼかして伝えた。


 血走った目の村正に、俺の武機マキナを作りたいらしいよ、なんて言う勇気はなかった。


 村正は鼻息荒くふんふんと頷いた。


「そうか、音無さんが来ていたのか。驚きだが、納得でもある」


「音無さんを知ってるのか?」


「むしろお前はどうして知らないんだ。音無律花といえば、剣崎や星宮と同じくらいの有名人だろ」


 あのほわほわした音無さんが? たしかに機島先生も天才だと言っていた。


 ただどうしても、あのポンコツっぷりが印象に強い。


「開発科のエース。学校始まって以来の天才という噂だ。まさか、音無さんがお前の担当に着いてくれるとはな‥‥」


「運が良かったのかね」


「いや、化蜘蛛アラクネを倒したからだろう」


 村正はさらりと言った。


「あの戦いには、それだけの衝撃があったということだ。校内でもみ消していなければ、今頃全国ニュースだっただろう」


「そんな大げさな」


 学年の皆でつかみ取った勝利だ。運も良かった。


「まあお前がそう考えるなら、それでいいがな。‥‥ところで真堂、俺たちは友達だよな」


 え、友達?


 友達っていうと、あの友達か?


 お昼ご飯を一緒に食べたり、休み時間にしょうもない雑談をしたり、授業中にアイコンタクトをしたり。そういう友達のことか。


 おいおいどうした。どうしてこの場面でそんな重要なことを聞くんだ。


 こいつ、告白とかもさらりと済ませるタイプだな。


「俺と、お前が、と、とも、友達?」


「おい待て。そこまでの反応をされると、軽く聞いたのが悪かったみたいになるだろう」


「いや、ごめん。友達っていう単語に脳がショックを受けた」


「そんなに難しく考えることか? 一緒に戦ったんだから、友達でいいだろう」


「そ、そうだな! よし分かった、俺と村正は友達だ!」


「やめろ。そういう言い方をされると俺まで恥ずかしくなってくる」


 友達、友達かあ。


 王人以外に初めての友達だ。なんだかこんな簡単に出来ていいものなんだな、友達って。高校ってすごいなあ。ホムラに聞かせたら、泣いて喜びそうだ。お母さんか。


「さて、俺たちは友達なわけだが、当然、俺にも音無さんを紹介してくれるんだよな?」


「? なんで?」


 武機マキナの調整を音無さんにしてほしいのか。でも音無さんは武機マキナの作成で忙しいから、しばらくは無理だと思うけど。


 村正の方を見ると、妖怪を見るような顔で俺を見た。


「‥‥お前、本当にどんな中学生活を送ってきたんだ?」


「ちょっと友達が少ないだけの、普通の中学生活だよ」


「分かった。いいさ、一つ一つ、学んでいこう」


 やめろ、優しい目をするな。


 何かを間違えたことは分かるが、何を間違えたのかまでは分からない。


 これがコミュニケーションにおける一番の問題点だと思う。魔法マギ教育とかする前に、まずこれを何とかしてくれ。


「同級生なんだから、音無さんとはどこかで会えるだろ」


 もうさっさと寝ろ。


 俺もベッドに潜り込もうとした時、スマホが震えた。


 そこには、今日一日、やけにおとなしかった人から、メッセージが来ていた。




『十分後、裏庭に集合してください』




 それは、恐れていた事態。


 俺を地獄へいざなう、鬼の呼び声だった。

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