第6話 ランク1
「何やってんだお前ぇぇえええ‼︎」
こいつをぶん殴ってどかす。
頭の中にあったのはそれだけだ。
鞄を投げ捨て、一直線に石畳を駆け抜ける。
「やめさない護!」
ホムラの制止の声が聞こえた時、俺の拳は男の頬へと伸ばされていた。
ゴッ! と骨に響く鈍い音が聞こえた。
「っぐぉ!」
全身を貫く衝撃、込み上げる胃液と血の匂い。
何が、起こったんだ?
俺の体が宙に浮いている。
男がホムラを踏んでいた足を上げているが見えた。腹を蹴り上げられたのか。嘘だろ、何も、見えなかったぞ。
「何だって聞いてるだろ、ガキ」
言葉と同時に二発目が来た。目にも止まらぬ速さで顔面を殴りつけられ、受け身も取れず後ろに転がった。
石畳に身体がぶつかり、頭が揺れて視界が定まらない。
「うっ、がぁっ」
口の中に溜まる血なのか胃液なのか分からないものを吐き出し、何とか立ち上がる。遅れてやってきた痛みが熱と共に身体を這い回る。
やばい、こいつ強い。ただ喧嘩慣れしているだけのチンピラじゃない。
本職の
頭に血が上っていたということを加味しても、強すぎる。
「護‼」
「うるせえなあ、わめくんじゃねえよ」
「くっ」
男はホムラの頭を更に強く踏んだ。
「やめろ!」
こいつ――。崩れかけていた意志が怒りによって支えられる。
だが冷静になれ。茶髪に自分で言っておきながら、この様は笑えない。
金髪の男は、人を殴り飛ばしたとは思えない程冷静に俺を見ていた。
「お前、こいつの知り合いか何かかあ。見たところ契約者って感じには見えないが」
「契約者? 何の話だ」
俺は答えながら考える。
こいつの今の言葉から、ただのチンピラじゃないってことが確定した。そしてホムラが狙われているのも、何か理由がある。
おそらくそれには契約者というものが関わってくるんだろうが、そんな言葉は今まで聞いたことがない。
直後、何か得体の知れない
「っ!」
思わず膝を折りそうになるのを、何とかこらえる。冷や汗が噴き出し、歯がカチカチと音を立てた。
それは初めての経験だった。心臓を直接
「おいガキ。何を勘違いしていやがる。質問をしているのは俺だ。お前じゃあない」
男は淡々と、しかし明らかにこれまでと違った様子で言った。
「お前は
「‥‥使えない」
ここで嘘を吐くという選択はなかった。
そんなことをすれば命はないと、直感で判断した。こんな感覚は初めてだ。
男は俺の答えを聞くと、ホムラを見下ろした。
「おいおい。じゃあなんだ。お前は契約もしないままガキと遊んでたってわけかよ」
「‥‥」
ホムラは何も答えなかった。ただ下唇を噛むだけだ。
さっきから俺の知らないところで話が進んでいる。あの二人だけの間に、共通の理解があり、俺はそこに一切触れられていない。完全に蚊帳の外だ。
ふう、と息を吐き、心臓の鼓動を落ち着ける。色々気になることはあるけど、それは後でいい。
呼吸が安定することで、血液の流れが良くなる。冷えて固まっていた指先に血が通うのが分かった。
異様な
こいつは普通じゃない。言動も、雰囲気も、全てが異様だ。
「まあいいか、お前はこのまま連れて行く。ガキ、今日見たことは忘れるんだな。あれだ、君子危うきに近寄らずってなあ、平穏な暮らしを送るために、よく考えろよ」
そうだな、確かにそれが賢い選択ってやつなんだろう。ホムラは
どちらにせよ、関わっていいことはない。
「護、逃げなさい。あなたは何も見なかった。今日のことも、私のことも、初めから何もなかったのです」
ホムラの声が聞こえた。いつもみたいにおどけた口調じゃない。聞いたこともない真剣で、悲痛な声だ。
綺麗な金の瞳が、今にも泣きそうな目で俺を見上げている。
初めから、人間と妖精が共に生きていくなんて、不可能だったのかもしれない。
それでも、こんな終わりはない。
こんな終わり方、納得できるかよ。
俺は観念したようにうなだれた。頭を下げて、油断を誘う。
チャンスは一瞬だ。こいつを相手にまともにやっても勝ち目はない。
俺の姿を見て、男からの重圧が和らいだ。
「そうだな、それが賢い選択だぜ」
ここだ。
刹那、俺は全力で前に駆け出した。ただ近づくだけじゃ、さっきと同じように一蹴される。
隙を重ねなければいけない。
「あ?」
俺はポケットから取り出したスマホを、走りながら投げつけた。ほとんど速度も出ていないそれを、男は首を傾けるだけで避ける。
その間に、俺は間合いに入っていた。
思い出せ、習った型を。さっきとは違う、こいつの意表を突く程に、研ぎ澄まされた一撃を叩き込め。
やることを決めた時、俺の身体は思考から解放され、刻まれた動きを再現する。
踏み込んだ勢いのまま軸足で身体を支え、全体重を遠心力と共に乗せた回し蹴りを放つ。
『
「うぐぉ!」
予想を遥かに超える速度だったのだろう。男はまともに防ぐこともできず、蹴りは
男はそのまま後ろへと転がっていく。本来なら人間相手に使っていいような技じゃないが、あいつは普通じゃない。今の一発を受けてもまだ立ち上がるだろう。
「ホムラ、早く逃げるぞ!」
「護、どうして」
「どうしてもこうしてもあるか!」
ここでお前を見捨てて逃げ出して、明日からまたいつもみたいに過ごせっていうのか。そんな生活はごめんだ。
俺はホムラの腕を掴んで立たせると、そのまま鳥居へと走り出す。とにかく外に出て、人がいる所へ行かなきゃ駄目だ。
鳥居まであと数歩。
その時、あの
「やってくれたな、クソガキ」
振り返るな。少しでも足を止めたら、追いつかれる。
全力で脚を前に進める中で、ホムラの叫びが聞こえた。
「来ます!」
その言葉が聞こえた瞬間、俺はホムラを押し倒すように横に跳んだ。直後、俺たちがいた場所を何かが凪いだ。
空気が切り裂かれ、石畳に何本もの亀裂が走る。
もし避けていなかったら、身体をバラバラにされていた。
「おうおう、雑魚のくせに避けるんじゃねえよ」
逃げなきゃいけないと分かっているのに、後ろを振り向いてしまう。
「っ‥‥!」
そこにいたのは金髪の男ではなかった。いや、金髪の男で間違いないのだろうが、それを認めるのに、しばらく時間がかかった。
金髪は
そしてだらりと下げられた両手。その指は鉤爪のような刃物へと変わっていた。
二足歩行の獣、あるいは獣人とでも呼ぶべき異様。
牙を剥き出しにしながら、男は言った。
「あぁ、むかつくなあ。手間かけさせんじゃねえよ」
「‥‥お前は」
「今更後悔しても遅いぜ、この結末を選んだのはお前だガキ」
最悪の予想が当たってしまった。
こいつは普通どころか、人間ですらない。
人類の敵、
『
さっきか俺に叩きつけられていた重圧の正体は、こいつから放たれる
だが、
おそらくこのまま待っていても、
シャツが破けたせいで見えるようになった男の脇腹。そこに刻まれた『
こいつ、ランク1だ。
ランク1でこれか。
こいつらは、
俺の閃斧も、どかすことはできたがダメージにはならなかったのだ。
どうやっても、勝ち目はない。
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