第17話 授業開始

    ◇   ◇   ◇




 入学式は激動だった。まさか王人に声を掛けられるとは思っていなかった。しかし名前呼び、名前呼びかぁ。


 友達になりたいと言われたし、まさか入学早々友達を作ってしまうなんて、姉と妹が聞いたらカウンセリングを進められることだろう。それはそれで腹立つな。


 しかし本当に友達なのだろうか。王人の目的は再戦っぽいし、それが目当てだとしたら友達とは言えないのでは?


 そんなことを考えながら、俺はベッドの上でゴロゴロと転がった。


 俺が今住んでいるのは、桜花魔法学園が推奨している学生アパートである。正直一人暮らしは心細い。


 あんな姉と妹でも、いれば山の賑わいだったんだな。


 そういえば、王人と言えばもう一人、俺が知っている人がいるはずだった。


 動きを止め、見慣れない天井を眺める。


「‥‥合格したのかな」


 俺が戦闘に割って入った少女。


 恐らく内部生だと思うが、俺が落ちた時には王人に脚をやられていた。


 その前の戦績を見ていないからなんとも言えないけれど、内部生だし、受かってるとは思うんだよなあ。


 金髪で意志の強そうな美人さんだったけど、できれば会って謝りたい。


 結果はどうあれ、俺は彼女の意志を無視して王人に挑んだ。侮辱されたと怒っているだろう。


 うちのクラスにはいなかったし、いるとしたら隣のクラスだろうか。あれだけ派手な人だし、普通に生活していれば声を掛けるチャンスもあるだろう。


 そんなことを考えながら、俺は電気を消して眠りについた。


 俺はまだ知らなかったのだ。一般の常識では計れない魔法学園。友達だとか女の子だとか、そんなことで悩んでいられるほど、甘い場所ではなかったと気付くのに、そう時間はかからなかった。




    ◇   ◇   ◇ 




 桜花魔法学園のパンフレットを見た時、俺はてっきり一般強化にプラスして、魔法マギの専門的な授業が増えるのだと思っていた。中学校でも魔法マギについての授業はあったが、どちらかといえば安全に魔法マギと付き合おうっていう座学がメイン。それにしたって月に二回程度である。


 だから俺は授業が始まるのをひそかに楽しみにしていた。


 これまでは魔法マギの授業なんて居心地の悪さしか感じなかったが、今は俺も立派な魔法マギを持っている。


 一体どんな授業なのか、表には出さずわくわくしながら学校に登校した俺に、笑顔で初老の担任は告げた。


「それでは、まずはランニングを始めましょうか」


 何を言ってるんだ? そういえば入学式の日にそんなことを言われたような気がしないでもない。


 疑問符を浮かべているのは俺を含め外部生たちで、内部生たちはさっさと着替えを取り出していた。


 俺も慌てて訓練着が入っている袋を取り出し、人の波に乗って更衣室に向かった。


 その途中で、王人をつかまえる。


「なあ、ランニングって今からやるのか? 体育の授業とかじゃなくて?」


「ああ、他の中学校にはないんですよね。守衛科は一限目の前に基礎訓練があるんです。だから体育着ではなく、訓練着と呼んでいるでしょう」


「そうなのか」


 流石守衛科といったところか。確かに基礎的な肉体の訓練は大切だ。


 俺もこれまで親父と一緒に訓練してきたし、桜花魔法学園を受験すると決めてからはサボりがちだった基礎トレーニングも復活してやってきた。


 まあランニング程度ならなんとかなるだろう。


 そんな軽い気持ちで着替え、集合場所に向かったが、俺はそこで自分の見通しの甘さに気付かされた。


「コースは学園の外周を二周です。魔法マギの使用は禁止。およそ十キロメートル近くありますので、一限目に間に合うように頑張ってくださいね」


 は?


 集合場所で俺たちを待っていた担任が告げたのは、そんな意味不明な言葉だった。どうやら俺たち一年生だけではなく、先輩の生徒たちも集まってきている。


「え、今から走るのか十キロ? というかここの敷地そんな広いの?」


「はい、うちは訓練場がある影響で広いんです。一限目に間に合わないと、補習代わりに課題が出るので気を付けてくださいね」


 一限目の始まりまでは、あと四十五分。


 冗談だろ、そこまでに間に合わせろっていうのか。


「初めは辛いかもしれませんけど、毎朝走っていれば慣れますよ」


 毎、朝。


 王人の笑顔に何も言うことができず、衝撃に目を白黒させている間にも、内部生たちや先輩は走り始める。俺たち外部生も慌ててそれに追いつこうと走り始めたが、すぐに彼らと自分の明確な違いに気付かされた。


 全員速い。


 ペースがとんでもなく速い上に、落ちないのだ。距離はぐんぐん離されていき、俺の周りには同じ外部生ばかりが残る。


「はっ、はぁ‥‥」


 当然のごとく王人の姿はとっくに見えない。時計なんて見なくても分かる。


 課題確定だ。




 十キロを走り終わった後の授業は、はっきり言って地獄だった。ただでさえ制限時間に迫られながら走ったせいで、疲労は限界。


 目を開けて話を聞くので精一杯だ。


 こんなのが毎朝続くのかよ。忘れていた、俺はそもそも守衛科の生徒なのだ。怪物モンスターと戦う戦士を育てるのが目的なのだから、そりゃ基礎的な肉体トレーニングはあるだろう。


 それにしたってきついが。


 ただ一般強化は普通の高校と大差ないらしく、受験勉強の蓄えもあるので、ついていくのは比較的容易だ。


 たくわえがある内に体力を付けないと、本格的に大変なことになりそうだ。


 そう思いながらノートに文字ともミミズともつかない何かを書く。


 しかし桜花魔法学園はまだまだ俺の予想を簡単に裏切ってきた。


「次は体育ですね」


 にこにこと何が嬉しいのか王人が着替えながら言った。訓練着は更衣室のクリーニング室に入れておくと、専属の用務員さんが魔法マギを使って綺麗にしてくれる。汗臭い服をもう一度着なくていいのはありがたかった。


 ランニングも、早く終わった人はシャワーを浴びる時間もあるらしいが、俺にそんな時間はない。


「朝にランニング、体育も普通にあるっていきなりハード過ぎるだろ」


「そうですか? 運動部なんかも強豪校ならこの程度は普通ですよ」


「‥‥まあ、確かに」


 なんだか丸め込まれている気がしないでもない。


 そう思いながらアリーナに向かうと、担任がまたもにこやかな笑顔で俺たちを待っていた。


「それでは、今日からしばらくは基礎トレーニングを主にやっていきます。いずれはトレーニング時間を短く、内容を圧縮していく予定ですので、がんばって付いてきてくださいね」


「‥‥」


 マジでか。まだまだここからトレーニングが続くのかよ。


 魔法学園とは名ばかりの脳筋授業校生。もう桜花マッスル学園に改名しろよ。


 とまあ、そんな感じで俺の魔法学園での生活は予想とはだいぶ違う形で始まった。意外だったのは、魔法マギの実技授業が少ないことだ。どちらかというと怪物モンスター魔法マギの知識を得る座学がメインなのだ。


 王人いわく、「一人一人使う魔法マギも違いますし、一年生の初めですから、まずは基礎トレーニング優先なんでしょう」ということだった。


 どうでもいいけど、可愛い顔で華奢な体型なのに、王人は俺より体力も筋力もあった。現実世界のバグだろ、これ。


 ひたすらに辛いランニングと基礎トレーニング、そして課題の毎日。


 そろそろ受験の貯蓄も消えかけ、何とか一限目に滑り込めるようになった頃、魔法学園らしい授業が始まった。


 科目名は『魔法戦闘マギアーツ基礎』。


 読んで字のごとく、魔法 マギを用いた戦闘を指す言葉である。


 守衛魔法師ガードを志す以上、最も必要な技能。


 クラスの皆もそれを理解しているのか、顔つきは普段よりも緊張感に満ちていた。


 中には俺の横に立つ王人のような例外もいるが。


「ようやく魔法戦闘マギアーツが始まりますね。楽しみだなあ」


「そうだな」


 笑顔の王人に同意する。実際、俺もこの授業を楽しみにしていたのだ。強くなるために、最も必要な授業。


 俺たち一年生が訓練着に着替えて向かったのは、訓練場の一つだった。


 広さはアリーナよりも一回り小さい。バスケットコートが二面作れる程度だろうか。地面は柔らかな人工芝で、周囲は高い壁。その外側には観覧席が設けられていた。訓練場というより、闘技場のようだ。


 そこには担任ではない、科目担当の教員が待ち構えていた。


「どうもみなさん、はじめまして。話が聞こえる位置に来てくださいね」


 とても魔法戦闘マギアーツを担当する教員とは思えない、丁寧な言葉遣いの声が響いた。


 そこにいたのは、長い黒髪の女性だった。


 一見すると、表情は柔らかく色白な肌も相まって日本人形のようだが、ダボッとしたTシャツに肌に吸い付くレギンスが、アンバランスな雰囲気を作り出していた。


 先生は俺たちをにこやかな目で眺めると、口を開いた。



「私は鬼灯ほおづきかおると言います。あなたたちの魔法戦闘マギアーツの基礎訓練を担当することになりました。いずれ、それぞれの役割に合った教員を選ぶことにはなりますが、それまではよろしくお願いしますね」



 鬼灯先生はそう言って頭を下げた。


 周囲では男子たちが色めきだっている。


 クラスに女子がいるとはいえ、鬼灯先生は彼女たちと比べて大人の女性。しかも美人で、同級生ではあり得ない、なんともいえない妖艶な空気を纏っている。


 下着屋の前を通り過ぎただけで悶々もんもんとする男子高校生が、興奮しない方が無理という話だ。


 俺も嫌いではないけれど、個人的には無垢で純真そうな子の方が好みだ。芯が通っていて、少し天然だとなおよし。


「‥‥」


 そんなことを思っていたら、鬼灯先生と目が合った気がした。


 先生なのだから、目が合うことは何もおかしくないのだが、何とも言えない怖気が背筋を走った。


 なんだったんだ、今の。


 鬼灯先生はといえば、何事もなく話を続けていた。やっぱり気のせいだったらしい。




「まずみなさんには、『エナジーメイル』の使い方を覚えてもらいたいと思います。『エナジーメイル』は守衛魔法師ガードの生命線ですからね」




 ‥‥何だと?

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