不断の灼熱線
第41話 人の噂も七十五日って長くない?
随分と古い夢を見た。
それは約束の夢。ずっと昔に交わした、小さな指の大きな約束。
『約束だよ。私を守ってね』
誰と、どんな時にしたのか、靄がかかったように思い出せない。ただ少女の柔らかくて細い指の感触だけが、幻の中でも確かだった。
◇ ◇ ◇
「──っは」
カーテンから差し込む日差しの眩しさに、目が開いた。全身にぐっしょりと汗をかいていて、気持ち悪い。
なんだ、なんかとても大切な夢を見ていたような気がするんだが‥‥。
目を開けた瞬間に、高速で流れていくスクロールのように、その夢は記憶の中に埋没してしまった
うーん、まあ思い出せないってことはそんなに大事でもなかったのかね。というか暑くないか、この部屋。
よく見たら、エアコンが動いていなかった。タイマーの設定をミスしたらしい。
カレンダーはもう七月に入っている。この時期になると、もう夜もエアコンをしっかりつけておかないと、熱中症になってしまう。
正直電気代がかかるから勘弁して欲しいんだけど。
仕方なし、シャワー浴びてから行くか。どうせ朝のマラソンで汗だくになるのは目に見えているが、身だしなみは整えておかないと鬼灯先生に怒られるのだ。
曰く、
それを力説するのであれば、まずはあの汚部屋の呪いをなんとかしてもらいたいけど、そんなことは言えない。
弟子が言えるのは、はいかイエスか分かりましたのどれかだ。実質選択肢ひとつじゃんね。
そうして今日も今日とて真堂護の楽しいの楽しい桜花マッスル学園──もとい桜花魔法学園の一日が始まるのであった。
いつも通り朝のランニングを終えて、授業に参加する。入学して三ヶ月、もう一時間目に間に合わないなんてことはなくなった。
それはクラスメイトのほとんどがそうで、友達と喋る余裕さえ生まれてきたほどだ。
ただここ最近は、授業中の空気というか緊張感は少し違う、ピリピリした雰囲気が、常に漂っていた。
それもそのはず。七月の初旬となれば、学生にとっては無視できないイベントがあるのだ。
その名は期末試験。
進学校でもなければ高校一年生の期末試験なんて、大体の人間がそれとなくやり過ごすものだと思うが、このマッスル学園においてそんなことは許されない。
学無き者に力無し。一般教養以外にも、
そういうわけで、皆補習にはならじと勉強しているわけだ。
それは俺とて例外ではない。一般教養はさして難しくないので、問題は専門教科である。これは勉強するしかない。
少し前にあったボランティアでの
あんな大変なことがあった後でも、学生としてやらなければならないことは山積みだ。
まるで何事もなかったように、日常が続いていく。
そう思っていたのは、甘い算段だったらしい。
俺の知らないところで、小さな波紋は大きな波となり、確実に押し寄せてきていることに。
◇ ◇ ◇
視線におかしな色を感じるようになったのは、筆記試験が始まる頃のことだった。
皆自分のことで手一杯のはずなのに、妙に視線を感じる。
「おはよう」
「おはようございます護」
にっこにっこと、ここだけ春の訪れかと錯覚する柔らかな笑みを浮かべてくれるのは、
中性的な美少年顔の下で、灰色の髪が華奢な肩を撫でている。
いつ見ても性別がバグっている男だ。
「なんか‥‥皆ピリピリしてないか?」
「‥‥試験ですからね」
そりゃまあそうなんだろうけど、それ自体は最近ずっとそうだった。
ただなんか違う気がするんだけど、気のせいか。
ずっと昔から馴染みのある、生温かくて、粘ついた、嫌な視線。
まあここでも
俺は気持ちを切り替えて、試験に臨んだ。
ただ気持ちが変わったところで事実がなくなるわけではない。現実はむしろ日を追うごとに、悪くなっていった。
「一体何なんだかなぁ‥‥」
試験最終日。これで大変だった勉強漬けの毎日とはおさらばだし、手応えとしては悪くない。普通に平均点は超えるだろう。
そんな清々しいはずの一日だというのに、気持ちは梅雨に戻ったようだ。
クラスから集まる視線は、日に日に酷くなっていった。
『あいつ、
中学の新学期を思い出す。あの無責任な好奇心に
あれと同じ種類のものだ。
――ふむ。
「王人、やっぱり何か知ってるだろ」
帰りのホームルームが終わり、それぞれが動き始めている中で、俺は王人に声を掛けた。
彼は困ったように、笑い、諦めた様子で肩をすくめた。
「‥‥そうですね、ちょっと付いて来てください」
俺は王人と一緒に屋上に出た。この時期はもう外の気温が高いので、わざわざ屋上に出る生徒はいない。
たかが校舎の高さでも、太陽に近づいた分だけより暑く感じられた。
「あっついな」
「そうですね、おかげでここなら誰も来ません」
そう言うと王人は背負っていたリュックを下ろして、一冊の雑誌を取り出した。
「どうしようか悩んでいたんですけど、試験も終わりましたから、見せますね」
「何だそれ?」
都会の学生たちがお洒落な雑誌を買うってのは知ってたけど、まさか王人もそういうのを
「言っておきますけど、ファッション雑誌ではないですからね」
「違うのか」
雑誌ってお洒落ファッションか漫画雑誌以外にもあるのかよ。
王人が取り出した雑誌の表紙には、AIが作ったような、美しい少女が飾られていた。よく見かけるグラビアとは違う。
その違和感はすぐに正解に辿り着いた。
「これ、
「ええ。
「
いいのかよそれ。この雑誌の中身は作り話ですと取られてもおかしくない題名だ。胡散臭くない?
「実際、書かれている内容の九割は眉唾もののゴシップですからね。最適な名前です」
「へー、都会ではこういうのが流行っているのか」
「魔法学園ならではでしょうね。九割がガセネタであったとしても、一割に掘り出し物があったりしますから」
ふむふむ。
ところでその雑誌と俺の噂と何の関係があるんだ? ここ最近の記憶を掘り返してみても、雑誌の取材なんて受けた覚えはないぞ。
「問題はこの記事です」
王人がそう言ってページを開き、俺に見せてきた。
えー、何々。
『国分寺ランク2
「何だこりゃ⁉」
そこに書かれていたのは、俺たちが巻き込まれた事件の内容だった。具体的な名前とか、学校名とかは出ていない。
内容としてはランク1の
そしてそれと学生が戦ったこと。
いくら読んでも見出し以上の内容は書かれていない。それを取材形式のような形でそれっぽく仕上げているだけだ。
ただ俺は分かる。これは事実だ。
何せ当事者だからな。俺は星宮と共に国分寺のボランティア活動に参加し、そこで
「その顔、本当みたいですね」
「え? あ、いや、俺は知らないぞ」
俺は慌てて首を横に振った。これに関しては先生たちから口止めされているのだ。
ボランティアに参加した生徒が
下手をすれば
そういうわけで、今回の件は
その代わり、俺たちの勝手な交戦に関する罰則もなしという形だ。
「――分かりました。ではここからは独り言になります」
「お、おおう」
王人はそれ以上踏み込んでは来なかった。
何というか、全てを見透かされている気持ちになる。
「この記事は僕たち学生にとって、大きな意味を持ちます。学生時に
「そうなのか?」
「ランク2の
「‥‥」
「もちろん特別な学生はいます。しかし彼らは生い立ち、知名度からして、特別なんです」
「そう、だろうな」
王人の言う通り、
運が良かった。
「簡単に言えば、皆心中穏やかではいられないんですよ。こんな記事を読んでしまったら」
「でもさ、その記事と俺とは無関係だろ」
実名も出ていないし、ざっと見た限り個人が特定できそうな要素はない。
俺の言葉に、王人が頭痛を押さえるような仕草をした。え、そんなに変なことを言ったか俺?
「護が学校を休んだ日と、この日、同じですよね」
「同じだな」
「そして生徒たちはボンラティア情報をきちんと確認しています。日時と場所が分かっていれば、その日にボランティアに参加した生徒くらいは、簡単に特定できてしまうんですよ」
‥‥あー。
うん、なるほど。それはそうだ。
「確定ではなかろうと、否定されることのない噂は自然と事実になり替わってしまう。端的に言ってしまえば、護と星宮さんの二人が、この記事の学生だと噂が流れています」
「‥‥そうか、ありがとう」
状況は分かった。かといってどうしようもないな、これ。否定しようにもその場面がない。皆遠巻きに見るだけで話しかけては来ないしな。
「それにしてもこの記事、具体的過ぎますね。実名が出ていないだけで、恐らく出版社の方は相当詳しい情報を握っています。一体誰が流したんでしょう」
「――本当にな」
頭に浮かんだのは、あの配信者崩れの男だった。
あの野郎、今度会ったら絶対にぶん殴る。
とにかく状況は分かった。そしてどうすることも出来ないということも。
まあ人の噂も七十五日。放っておけばそのうち落ち着くだろう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
第二章
始まります。感想やレビューもお待ちしておりますので、本章もよろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます