第74話 かかってきなさい ー黒曜ー

     ◇   ◇   ◇




「護‼」


 空中に放り出された護を、紡は念動糸クリアチェインで捕まえ、引き寄せた。


「ま‥‥」


 そこで言葉を失った。


 その姿は、あまりに無惨だった。


 右腕は肘から先が消し飛び、右半身は外皮がはがれ、黒いポリゴンが露わになっていた。


 ここは現実世界ではない。だから傷を受けたとしても、その見た目は現実のそれとは違う。


 しかし無機質に崩れた肉体は、生々しさとはまた別種のグロテスクさをはらんでいた。


 普通の人間ならば、とうにドロップアウトしているはずの傷。


 それでも護がここにとどまっていられるのは、『火焔アライブ』による再生が彼の命を繋ぎ止めているからだ。


 その証拠に、黒く崩れた身体の周囲には炎がくすぶり続けている。


 それは慈悲にも、苦しみから逃さないかせにも見えた。


「護‥‥」


 触れようとして、手を引っ込める。触れてしまえば、そこから崩れて消えてしまいそうで、怖くなったのだ。



「シネ――」



 ゆらりと、化蜘蛛アラクネが炎の影から姿を現す。


 瀕死の護にとどめを刺すために、歩いてくる。


「させない」


 立ち上がり、紡は『念動糸クリアチェイン』を発動した。彼女を中心に展開される半透明の糸は、手を遥かに超える精密な動作性で、重機並みの力を発揮する。


 彼女がこの魔法マギに発現した時、できることと言えば、せいぜい少し遠くにある文房具を動かせる程度だった。


 それでも固有ユニーク


 魔法マギに憧れる少年少女にとって、その力はとても魅力的に映る。時には嫉妬にさえ変わるほどに。


 だから紡の両親は、このことを口外しないように紡に言い聞かせた。彼女は、その言いつけ通り、この魔法マギを誰にも見せなかったし、教えなかった。


 友達と一緒にいられる楽しい時間こそが、彼女の幸せだったからだ。


 しかし、公園で一人人形を動かして遊んでいるところを、一人の少年に見られてしまう。


『え、何だよ今の! マジか! すげえ!』


 その人物こそが、まだ純粋に守衛魔法師ガードに憧れる少年、真堂護だった。


 紡は焦って、適当な嘘をついた。これは糸でつながった人形で、それを動かしているだけだと。


 それを馬鹿正直に信じた護は、すげえすげえと連呼した。


 秘密にしなければと思いながらも、紡もまだ子供。心の奥底で、欲しかった言葉を一直線に投げかけてくれる護になつくのに、時間はかからなかった。


 ――そう、あなたにとっては大した思い出でもないのでしょう。


 心のどこかで分かっていた。きっと成長すれば忘れてしまう、その程度のもの。


 だからこれは私だけの宝物でいい。


 覚えていて欲しいと我が儘わがままを言ってしまうけれど、本当は、そんなことどうだっていい。



『――待っててくれ。俺も中学生になったらつむちゃんと同じ場所に行く。そうしたら、また一緒に遊ぼう』



 不器用ながら、いつだって紡が欲しい言葉をくれる。


 だからここで彼の前に立つ理由は、それだけでいいのだ。


「かかってきなさい、化蜘蛛アラクネ。私の糸は、重いわよ」


 返答は刃脚による連撃だった。


 アスファルトを発砲スチロールのように削り、刃がひるがえる。


 これまで何人もの生徒たちを、あるいは守衛魔法師ガードたちを切り裂いてきた刃脚。


 その隙間で、紡は踊っていた。


 長い手足を振るい、軽やかなステップを踏むように、全ての攻撃を避けてみせる。


「あくびが出るわね」


「――シネ」


 化蜘蛛アラクネの攻撃は苛烈さを増し、刃脚だけでなく、糸による攻撃も混ざり始める。


 それでも、当たらない。


 星宮有朱から一本を取ってみせるほどの『エナジーメイル』の操作精度。


 普段から指の本数を超える『念動糸クリアチェイン』を、視界の届かない場所でも巧みに操る彼女にとって、『エナジーメイル』で自分の身体を動かすのは、簡単なことだった。


 しかしこの回避は、『エナジーメイル』によるものだけではない。


 様々な方向から刃脚に巻き付く『念動糸クリアチェイン』が、攻撃の瞬間瞬間に、その方向をずらしているのだ。

 

 激しい戦闘の中、自分だけではなく相手すらもコントロールする。


 黒曜紡の才能の片鱗が、たしかに輝いていた。


「っ‥‥」


 それでも、完璧ではない。


 赤い光が幾度となく散り、その度に彼女に傷が増えていく。


 避けることは出来ても、攻撃出来ないのだから、この結末は必然であった。


 しかし、はなから紡の中に、化蜘蛛アラクネを倒そうという思いはなかった。自分一人の力でそんなことは出来ないと、理解していた。


 だから彼女が意識を注ぐのは、ただ一点。


「――」


 徐々に遠ざかっていく、護の身体。


 自分に化蜘蛛アラクネを引きつけながら、護を念動糸クリアチェインで逃がす。


 それが、紡の選んだ選択だった。


 そんなことをしても、何にもならないのかもしれない。ただの自己満足で終わるのかもしれない。


 そう、自己満足に命を懸けたのだ。


「――だって、それが女の子ってものでしょう?」


 その問いに、化蜘蛛アラクネは答えなかった。


 爆発によって視界の外から飛んできた瓦礫が、紡の身体にぶつかった。


 ゴロゴロと転がっていく少女の身体を、化蜘蛛アラクネは無感動に見下ろす。


 そして、刃脚が持ち上げられ。






 その刀身は、赫灼かくしゃくの一閃に、切断された。

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