第43話 卑怯者の一撃

「よう不適合者オールド。それとも今は『卑怯者ハイエナ』って呼んだ方が正しいか?」


「お前は‥‥」


 アリーナで俺を待っていた対戦相手は、ツンツンと尖った髪に、野生味のある顔立ちの男だった。


「佐藤か」


「ちげーよ。ふざけてんのか? ああ?」


「悪い、加藤だったな」


「てめえいい加減にしろよ? 連想ゲームみたいに思い出してんじゃねーぞ」


 ピクピクと男の額に青筋が浮かぶ。


 その顔を見て思い出した、そうだ武藤だよ武藤。


 鬼ごっこの時から何度も突っかかられているせいで、顔だけは覚えてしまった。


「ところで卑怯者ハイエナってのはなんの話だ?」


 不適合者オールドは聞き馴染みがありすぎて困ったものだが、そっちの名前は初めて聞いた。


 まあ聞いただけで中傷だと分かるあたり、はらんでいるものは似たようなもんだけどな。


 武藤はニヤリと顔を歪めた。


「なんだ、まだ聞いたことなかったか? 今学年じゃもっぱらの噂だぜ。あの星宮の後ろにひっついて、怪物モンスター討伐の場に居合わせた卑怯者ハイエナだって」


「‥‥」


 ああ、そういうことか。


 最近噂の話とか、視線とか、嫌な重さと粘度に変わっていくのは感じていた。


 ようやくその理由が分かった。


 怪物モンスター討伐の場に居合わせたボランティアの生徒は二人。


 中等部の頃から有名な星宮と、エナジーメイルすら使えない俺。


 最初から、俺が怪物モンスターを倒したなんて誰も思っちゃいない。


 お荷物を抱えてランク2の怪物モンスターを倒す魔法学園のエース。


 誰もが飛びつき、面白がる最高のストーリーだ。


 特にお荷物がいるってところが最高だ。明確に自分たちより下の人間がいることで、プライドが保たれる。


「ムカつくな」


「あん?」


「ムカつくって言ったんだよ」


 そう言うと、武藤は大袈裟な動きと声で笑った。


「ははは! 傑作だな! 不適合者オールドのくせに、事実を言われて傷ついたのかよ! お前があの場にいて、何が出来たって言うんだ? お得意の逃げ足で囮にでもなれたってかぁ!」


 アリーナに笑い声がこだまする。


 それに紛れるように、観客席からの声も聞こえてきた。


「あいつだろ、不適合者オールド


「星宮さんの邪魔しかしてないって」


「さっさと避難所に逃げたんじゃない?」


 武藤が正面切って俺を馬鹿にしたから、理性のタガが外れた。


 それぞれが思っていた疑念や不満が、ざわめきに変わる。


 別段、俺がどう言われようがそんなことは知ったこっちゃない。ホムラのくれた『火焔アライブ』がある限り、そんなものは蠅のようなものだ。


 しかし、このしょうもない噂を聞いた時、彼女はどう思うだろうか。


 命を賭け、必死の思いで俺を助けに来てくれた星宮。清廉潔白で真っ直ぐに前を向く彼女にとって、この欺瞞ぎまんと保身に満ちた言葉たちは、毒だ。


 俺も彼女も全力で戦い、生き残った。それだけが全てだ。




「どいつもこいつも、外野でピーピー騒いでんな」




 そんなに声を出したつもりはなかったが、俺の一言は想像以上に響き渡り、アリーナがしんとしずむ。


 それならそれでいい。


 鬼灯先生も言っていた。こういう噂に対する一番の武器は、実力だと。


「気になるなら試してみろよ」


「あん?」


 顎を上げる。


 見下すように、挑発するように。


 こういう連中は、下だと思っている奴に馬鹿にされるのが、心底気に食わないのだ。


 ナイフのように鋭くなる武藤の目を見ながら、言う。


「怖いのか?」


「──ぶっ殺す」


 試験官として立った担任から開始の合図がなされる。


 魔力マナがいななき、魔法マギが発動した。 






 光のアイコンが弾け、武藤の身体を幾何学模様が駆け抜けた。


 魔法師を魔法師たらしめる最強の鎧、『エナジーメイル』。 


 こいつ、武器はないのか。無手同士の戦いなら、間合いは取りやすい。


 強化された足を踏み鳴らし、武藤が拳を突き出してきた。


「ッラァ!」


 空気を裂く音と共に放たれる拳は、想像よりも遥かに鋭い。


 身体を横にずらして拳を避けると、斜め下から次が来た。 


「ッ──」


 後ろに跳んだ瞬間、目の前の空間を拳の鎌が薙いだ。フックのような技だ。エナジーメイルによって強化されたそれは、獣の剛腕に等しい。


「やっぱり避けるばっかじゃねえかよ‼︎」


 腰を捻転させ、遠心力を乗せて武藤は拳を振り回す。


 長い腕を生かし、視界の外から飛び込んでくる拳は、避けづらい。しかもこいつ、純粋にエナジーメイルの練度が高い。


 後ろに避け続け、コートの端に追い込まれる。


 武藤の回転は衰えるどころか、勢いに乗って更に上がる。


「終わりだ不適合者オールド‼︎」


 逃げ場のなくなった俺に、武藤が全力のフックを放ってくる。


 たしかに速いが、決めるなら一発目だったな。


「‥‥!」


 見極めるのは一ミリの空隙くうげき


 身体を回転させながら、フックの内側に転がるように滑り込む。


 間合いの内に入れば、その攻撃は使えない。


「バァァカ」


 武藤が引いていた逆の拳。次のフックへと打ち出されていた拳の軌道が、変わる。


 外側への大きな回転から、内側への捻転ねんてん


 自分のテリトリーに誘い込まれた兎を一撃で刈り取る、コークスクリューだ。


 初めからこれが狙いだったのだ。本当の間合いに入れるための、大振りなフックの連打。


 最短距離を一直線に走る拳を見ながら、俺は思った。




 ──来た。




 黒鬼ダークオーガと戦った時と同じだ。あいつは『負荷雷光ペインボルト』で内に入る俺を迎え撃った。


 武藤の技は見事だった。気性に似合わず、その拳は磨かれていた。


 だからこそ、ランク2との差が浮き彫りになる。


「なぁっ‥‥⁉︎」


 武藤の一撃は届かない。来ると分かった一撃なら、さばける。


 『火焔アライブ』によって強化された腕で、武藤の拳を受け流した。


 そして、その時になってようやく気付いたのだろう。武藤は歯を砕かんばかりに噛み締めた。


 俺は、魔法マギを発動していなかった。


 鬼ごっこの時と同じように、生身で向き合っていたのだ。


 その事実に気付いた武藤がこの瞬間何を思ったのか、俺には分からない。別に侮辱しようと思ったわけでも、舐めてかかったわけでもない。


 ただ、そちらの方が鍛錬になると思った。


 あの時と同じ緊張感が、意識と身体を冴え渡らせる。


 魔力マナが熱の奔流となって全身を駆け巡り、火の粉が燐光りんこうとなって舞った。



 振槍。



 身体強化によって撃ち出した拳は、爆発的な加速で武藤の顎をかち上げた。


 ゴッッ‼ と骨身に染みる音を響かせ、武藤の身体が浮いた。


 砕けたエナジーメイルの光が、ガラスのように落ちてくる。


 そのまま床に倒れた武藤が立ち上がってくることはなかった。


 静まり返ったアリーナの中に、試合の終了を知らせる笛の音が響いた。

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