第63話 変質

    ◇   ◇   ◇




 本当の適性試験が始まった三日目の夜、教員たちはビデオチャットを開き、状況を伝え合っていた。


『脱落は五チーム、欠損は六チームだ。脱落が半数に至らないとは、今年は頑張るな』


『何言ってんだ。欠損したチームを入れりゃあ、ほぼ半分は機能不全だろうよ』


 全二十二組のうち、フルメンバーで残っているのは半分のみ。たった一日で、それだけの被害が出た。


 適性試験の厳しさが、色濃く出た結果である。


刃狼ソードウルフ天狗烏ベインクロウはやり過ぎです。機動力と探知能力が高すぎる』


『地下に潜った子たちも『土杭蛇ディガースネイク』にやられちゃったし』


『選んでるのはエディさんだから、こればかりは運が悪かったとしか言いようがない』


 時刻は既に十時を回っている。多くの生徒たちが既に休み始め、映像に変化は少ない。


 しかし教員たちのテンションは下がるどころか、上がるばかりだった。


 ランク2たちの出現によって適性試験に大きな動きがあったというのもあるが、何より、目を離せない戦いが続いていたからだ。


『おおおぉぉ⁉』


『マジか⁉』


『‥‥嘘でしょう』


 長く続いた戦いが、ついに決着した。


 誰しもが信じられず、しかし心のどこかで期待していた結末に、教員たちは言葉を失った。


 薫もまたその一人だった。


 冷静沈着な彼女にしては珍しく、目を大きく見開き、唇は真横に結ばれる。


 それほどまでに、モニター越しの終幕はあり得ない光景だった。


 地割れのような縦の瞳孔は、どことも知らぬ場所を見つめ、火炎を吐き出す巨大な口からは、力なく舌が垂れている。


 火蜥蜴サラマンダーは、その身体を二つに分けられ、傷だらけの道に投げ出されていた。


 一太刀ひとたちだ。


 赤く光る滑らかな断面は、何よりも鋭き一閃にて斬り落とされたことが分かる。


 それを為した少年は、感動に打ちひしがれているようにも、次なる敵を待ち構えているようにも見えた。


 朝から始まった火蜥蜴サラマンダーと剣崎王人の戦いは、落陽と共に剣鬼が竜の首を落とし、決着とした。


 護が黒鬼ダークオーガを倒したのとはわけが違う。


 たった一人で、最上位に近いランク2を殺してみせたのだ。


 その実力は既に多くのプロを凌駕りょうがしている。


「剣崎家随一の天才。最強の剣鬼。チープなあだ名は嫌いですが、ここまで来ると納得する他ありませんね」


 護が今火蜥蜴サラマンダーと出会えば、間違いなく負ける。逃げ切ることは出来るかもしれないが、勝つことは不可能だ。


『‥‥』


 火蜥蜴サラマンダーから溢れる黒い光に包まれて、王人がこちらを見た。まるで、世界の外から監視する自分たちを見つめるように。


 王人の実力は頭一つ、いや二つ三つは抜けている。


 それが弟子のすぐ近くにいることが、果たして幸運か、不幸か。


 あまりにも巨大な翼の羽ばたきが起こす風は、周囲を巻き込み墜落させる。


 どうやら護たちも心折れることなくメモリオーブの探索に出かけるようだが、そんな回り道では、あの天才には届かない。


 いくら追い続けても触れることも出来ず、遠ざかっていく後ろ姿は、心を折る凶器だ。



「走り続けなさい護。転ぼうと、足が折れようと、前に進むのです」



 薫の言葉は、モニターの向こうで眠る護に届いたのか否か、彼は硬い床の上で寝返りを打った。




    ◇   ◇   ◇




「あ~、忙しい忙しいな~」


 ぷかぷかと大きな羊のぬいぐるみにしがみつき、そうぼやく存在がいた。


 綿菓子のような桃色の髪に、幼いながらも完成された美貌を持つ二・五次元の存在。妖精フェアリー、エディさんだ。


 彼女は校内でありながら、誰にも知られない場所で一人過ごしていた。


 適性試験の空間を維持し、更にランク2の怪物モンスターを複数体生産する。それは妖精フェアリーである彼女にとっても容易ならざることだった。


 だからこそ、誰一人として干渉することができない場所に籠っているのだ。


火蜥蜴サラマンダーが死んだか~。一体くらいはやられるかと思ってたけど~、予想より早かったな~」


 そこには教員たちのような驚きや感想はない。ただ淡々と、事実を口にする。


「どうするかな~。足そうかな~。でも、指示も来てないし――」


 暗い部屋に浮かぶ膨大な数のモニター。それらは物理的なものではなく、質感のないホログラムのようなものだった。


 エディさんはこの部屋で世界の全てを把握している。どこで何が起こっているのか、生徒がいるいないにかかわらず、世界の端から端まで、建物の内部から上空に至るまで、観測し続けている。


 その情報量は人間では想像することすら出来ない。


 故に、エディさんも全力だった。


 全力で己の創り上げた世界に意識を注いでいた。


 それで問題ないのだ。何故なら、この空間には誰一人として立ち入ることは出来ないのだから。


 そんな慢心まんしんが、妖精フェアリーとして当然の傲慢ごうまんが、油断を産む。


「ふんふんふ~ん」


 鼻歌を歌う彼女の背後に、人影が立った。


 モニターの青白い光に照らされるその面貌めんぼうを、誰も見ることはない。


 誰も、その凶行を止められない。


 振り上げられるのは、長方形の刃。おおよそ短剣ともナイフとも呼ぶには似つかわしくない銀のそれを、侵入者はエディさんのうなじに突き立てた。


 音はなかった。


 血が出ることもなかった。


 ただツプリと、長方形の刃は根元までエディさんの中に埋まった。




「――ぉ? おごぁあがAhぁなxxtぃGr⁉」




 小さな身体が、激しく痙攣けいれんする。背骨が折れんばかりに身体が反り、指先が羊のぬいぐるみを引っかいた。


 目が言葉通りぐるぐると回り、モニターが激しく明滅する。


 明らかな異常事態。しかしそれに反応する者はいない。ここはエディさんだけが入れる異空間。


 堅牢なはずの城は、今や他者の救援を阻む牢獄と化した。


 侵入者の影は既にない。


 モニターはもはや四角形を保てず、三角や丸、星型に変形を始めていた。


 絶叫が響き渡る中、変質はモニターだけにとどまらず、空間そのものに作用する。


 そしてそれはついに、適性試験の舞台までも、書き換え始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る