第38話 大切な人 ―星宮―

     ◇   ◇   ◇




 戦いから帰ってきても、胸の高鳴りが止まらないままだ。


 星宮有朱ほしみやアリスは困惑していた。


 てっきり初めて怪物モンスターと戦った興奮が尾を引いているのだと思っていた。


 しかし時が経つにつれて、違うことに気が付いた。


 あれから、真堂護の顔が見られない。


 本当は会って感謝を伝えなければならないのに、廊下で彼の姿を見かけただけで慌てて角に隠れている。


 その時、胸の高鳴りは最高潮に達するのだ。


 星宮有朱は賢い人間だ。自分の状況を冷静に分析し、一つ一つの場面と感情の高鳴った場面を結び付け、客観的に一つの答えに辿り着いた。


 すなわち、星宮有朱は真堂護を男性として意識している、と。


「ええ、これ自体は別におかしなことではないわ。思春期の女性として、正常な感情の一つだもの」


 冷静に、客観的に、第三者目線でそう判断する。


 自分が動けない時に、助けてくれた。


 目の前で絶対に勝てない相手を打ち倒した。


 何よりも、障害を前にして決して折れない精神力。


 異性として意識しても仕方ないだけの要素があるのだから、これは自然なことである。


「そう、自然。一時的に感情が昂揚しているだけ。うん、うん」


 かれこれ小一時間。


 いつもより早くぱちりと目が覚めて、念入りに顔を洗い、肌のケアをして、髪形を整え、完璧な状態を作った状態で、有朱は洗面台を占領し続けていた。


 その間に父と母が洗面台に数度立ち寄り、諦めた様子で戻っていった。


 星宮有朱は、賢く、そして行動的な人間だ。


 思い立ったが吉日。


 状況が整理できれば、進む道は最短距離を一直線。


 何も恥ずかしいことではないのだから、今思っていることを伝えてしまえばいい。


 それで気持ちはすっきり、再び守衛魔法師ガードの修練に集中できるはずだ。


「よし!」


 そういうわけで、自分が恋愛に関してはポンコツそのものなことを自覚せぬまま、その日のうちに星宮有朱は真堂護を放課後の屋上へと呼び出すことと相成った。






 屋上はまだ燦燦さんさんと降り注ぐ光で蒸し暑かった。


 雨の間の晴れ間。こんな些細なことが、運命的に感じられてしまう。


 自分の感情の波は既に理解した。言うべき言葉も既に考えている。


 あの時のお礼を言って、今の自分の想いを理路整然と伝える。それだけでいい。それだけで、自分はいつも通りの星宮有朱に戻れる。


 そうこれは世間一般に言われる告白などではなく、宣言だ。


 準備は完璧。慌てふためく彼を後に、自分は颯爽さっそうとその場を後にすればよいのだ。


 そう、問題は何も――。


「ごめん星宮、待たせた」


「まままま、待ってないわ!」


 突然現れるものだから、思わず声が裏返ってしまったが、華麗に軌道修正する。


 動揺はない。


 あまり顔が見られないから、護がどんな表情をしているのか分からないが、彼は目の前に立った。


 それでも彼だ。間違いない。その事実に、心臓がどうしようもなく跳ねる。


「お礼が遅くなった。あの時はありがとうな。助けに来てくれて」


「‥‥そんなことはないわ。むしろごめんなさい。私のせいであんなことになってしまって」


「いや、星宮の指示は常に正しかったよ。イレギュラーな事態ばっかりだった」


「こちらこそありがとう。あなたのおかげで助かったわ。あなたがいなければ、私は命どころか、誇りさえ失っていた」


「大げさだよ。星宮のおかげで助かったよ」


 有朱はお礼を言いながらも、『星宮のおかげで助かったよ』という言葉が頭の中でリフレインしていた。


 意図せずしてにやけそうになる口角を表情筋を全力動員して保つ。


 できるだけ自然に、そう廊下で挨拶を交わすような流れで、会話をもっていく。


「と、ととところで真堂君は、異性との交遊に関してどう考えているかしら?」


「異性交遊? やぶからぼうだな」


「やぶからボン! ではないわ。ちょっと、そう、夏休み、夏休みが近くてそういう話題が多くてね」


「誰もそこまで物騒な言葉は言ってないけど‥‥。何、爆撃されたの? でもなるほどな、うちのクラスでも最近聞こえてくるよ」


 よしよしよし。


 とても自然な流れで話を変えることができた。


 ここまでは想定通り完璧だ。


「私も決して異性交遊が駄目というわけでもないと思うわ。けれど、学生としての本分を見失ってはならないと思うの」


「それはそうだな」


「ただ将来のことを考えると、学生の間に縁を繋いでおく、というのはとても重要なことよね」


「それも分かるぞ」


 ここまでシナリオ通りに進むと、自分でも恐ろしくなってくる。あとは自分が護を気になっていることを告げ、彼が動揺している間に去るのだ。


 もしかしたら、呼び止められるようなこともあるかもしれないが、そうなったらそれはそれでまた別のストーリーが始まるだけなので何も問題ないというかその未来はその未来でとっくに数十パターンも想定済みというかばっち来いである。


「意外だな、星宮もそういうのに興味あるんだな。もしかして、気になっている男がいたりするのか?」


 来た。


 それが敷かれたレールだとも気付かず、護は爆速でスタートを切ったのだ。


 飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのこと。この火中に飛び込もうというのだから、小さな火傷では済まされない。


「――ええ、実はね。私たちだけの秘密よ」


「マジか。良かったのか、俺で」


 動揺した様子で護が言う。


 ここだ。


 ここでその隙を逃さず決める。




「私は、その‥‥あなたを、すて、す、す素敵な男性だと」






「俺もいるよ」





「――――え?」




 呆けた顔で見上げた彼の顔は、どこか遠くを眺めていた。少年の頃の宝物を慈しむような優しい表情は、悲し気にさえ見えた。


 それを見た瞬間に、その相手が自分ではないということは、聞かずとも知れた。


「その人との約束のために、ここに来たんだ。――って、結構恥ずかしいな、これ」


 護の声が遠い。


 耳に入っているのに、言葉として処理されない。


「星宮も秘密にしておいてくれよ」


「‥‥え‥‥ええ、もちろんよ」


 最後にその言葉が出たのは、女としての意地だったのかもしれない。


 実際には、自分が何を言っているのかさえ有朱は把握していなかった。


 眉目秀麗びもくしゅうれい。完璧超人。誰からも好かれ、誰よりも輝く少女の初恋は、見付けられることさえないまま、花と散った。




    ◇   ◇   ◇



 

「――ふーん」


 その時二人は気付かなかった。


 屋上からドア一枚隔てた場所に、一人の女子生徒が立っているのを。


 彼女は静かに『糸』を切ると、何度も頷いた。


『その人との約束のために、ここに来たんだ』


 『糸』を通して聞いた護の言葉を思い出す。


「なんだ、覚えてたんだ」


 彼女はそう呟くと、ゆっくりと階段を下りていく。


 トン、トン、トン、と失った時を数えるような足取りは、不思議と弾んで聞こえた。

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