第32話 黒の奇跡

 脳裏に直接叩き込まれたイメージ。


「ッ⁉」


 バッ! と顔を上げて、建物を見回す。誰かに見られていた。そしてそいつは笑っていた。何だ、一体誰だ?


 嫌な予感がする。


 ホムラがレオールに襲われていたあの時と同じような、言いようのない悪寒。


 倒れていたオーガたちの身体が、黒い光となって解けていく。それ自体は自然なことだ。


 ドクン、と世界が鼓動を打った。


「‥‥真堂君、どうかしたの?」


「来る」


「来るって、何が?」


「分からない、分からないけど、逃げなきゃ駄目だ」



 解けた光が、地面に沁み込んでいく。


 刹那、それが再び魔法陣が浮かび上がった。それは識さんたちよりも後ろ、一番初めに首を落とされたオーガを中心に広がり、収束した。


「――何だ?」


 識さんも異常に気付き、後ろを振り返る。


 それはあり得ない光景だった。既に死んだはずの怪物モンスターに、魔力マナが集まっている。


 さっきのものとは比較にならない圧力。待て、死んだ四体のオーガが光となり、魔法陣を作った。


 そして識さんはさっき、二十体は倒したと言っていた。


 もしも、もしもそれら全ての魔力マナがここに集まってきているとしたら、そこから生まれるのは、何だ?


 黒い光は落ちていた頭と胴体を巻き込み、新たな形を作る。


 そこから現れたのは、黒い鬼だった。


 しかしさっきまでの人形じみた肉体とは違う。より人に近いフォルムでありながら、頭から伸びた二本の角と、背中まで垂れる鋼糸こうしの髪、黒鉄くろがねの肌が明らかに人とは違うことを主張している。


 だが、何よりも目を引くのはそこではない。 


 首の傷跡から胸にかけて鈍く光る、青い光。


 それは確かに『2』と読めた。




「――――ランク、ツー




 佐々木さんが茫然と呟いた。


 それは進化だった。絶望をもたらす、黒い奇跡。


「‥‥」


 黒鬼ダークオーガは自分の身体を叩き、捻り、首を振って周囲を確認する。


 何を、しようとしているんだ。


 それはすぐに知れた。


 ドンッ‼ と音が響いたと思った瞬間、鬼の姿が目の前にあった。


 コマ落ちしたような速度で、俺たちへと腕を伸ばす。ぴたりと揃えられた五指が、何よりも鋭い槍となって迫る。


「ハァ――」


 鬼の面がギザギザに開き、吐息が聞こえるようだった。


 佐々木さんが俺たちを庇うように前に出るが、駄目だ。あのエナジーメイルじゃ、防げない。


「咲‼」


 ドッ! と鈍い音が響いた。


 赤黒い血飛沫が飛び散り、地面をまだら模様に染めた。


「‥‥‥‥宗、次郎‥‥」


 識さんが、俺たちの前で盾となっていた。


「‥‥咲、今すぐそこの三人連れて逃げろ。でかい干渉波が起きているはずだ。応援はすぐに来る」


「でも、宗次郎、あなた‥‥」


 俺も星宮も何も言うことができなかった。識さんは抱え込むように鬼の腕を止めているが、脇下がえぐられ、ひどく出血している。


 『エナジーメイル』を発動しているはずなのに、それを意にも介さない攻撃。


 この出血量じゃ、長くはもたない。


 とんでもない痛みとショックで身体はボロボロのはずだ。


 それでも識さんは叫んだ。


「早く‼」 


 その言葉に押し出されるように、俺たちは後ろへと走った。


「星宮‼」


 乱暴に男の身体を担ぎ上げ、棒立ちの星宮の手を引いて走る。とにかく距離を取らなければいけない。


 あれには勝てない。


 さっきのオーガ相手さえ、まともに戦いにならなかったのだ。そんなオーガを一蹴した識さんが、簡単にやられた。


 どう逆立ちしたって勝てるはずがない。


 俺たちが今できることは、これから来るであろう応援の邪魔にならないように、一刻も早くこの警戒区域から逃げることだ。



 

「――」




 ドンッ、と目の前に何かが降ってきた。


 それは黒鬼ダークオーガ。鋼糸の髪をシャラシャラと鳴らし、右手には識さんが使っていたはずの剣を握っていた。


 嘘だろ。


 識さんと別れてから何分経った?


「ぁ‥‥宗次郎‥‥」


 どさりと音がして、隣に視線を向けると佐々木さんが膝を着いていた。


 どうしようもない。ここに黒鬼がいて、その手に識さんの剣を握っている。それが意味するところが分からない程、俺たちは鈍感ではいられなかった。


 そしてそのショックが一番大きいのは、佐々木さんだ。これは守衛魔法師ガードとしての歴ではない。その経験をしているか否か。


 親父とホムラ。


 俺にとってこの状況は夢ではなく、どこまでも残酷な現実リアルだ。


 ギュッ、と星宮を掴んでいた手が、強く握られた。


『逃げなさい。それを救うのが守衛魔法師ガードの仕事です。力を付けるべき人間が、それよりも前に死んでしまったら、誰が未来の人々を救うのですか』 


 もしも鬼灯先生の言葉を守るのであれば、俺がすべきことは、自分の身を一番に逃げることだ。誰もそれを責めはしないだろう。


 それでも、彼女の顔がよぎった。


 もしもまた会えたとして、俺はその時、胸を張って再会を喜べるだろうか。


「‥‥すみません」


 呟く。


 俺の身を案じて掛けてくれた言葉を、約束を、破ります。


 俺は星宮の手を離した。


「真堂‥‥君‥‥?」


「星宮。男と佐々木さん、二人を連れて逃げろ。その時間は俺が稼ぐ」


 返答には間が空いた。


「そんな、無茶よ! 相手はランク2の怪物モンスターよ。プロの守衛魔法師ガードでさえ、一人じゃ戦わないわ!」


 星宮は激しく首を横に振る。


 言いたいことは分かる。俺じゃ大した時間稼ぎにもならないってことぐらいも分かってる。


 俺は星宮や他の守衛魔法師ガード志望の人とは違う。


 人々を助けたいとか、社会の為に働きたいとか、そういう崇高な気持ちで桜花魔法学園に入ったわけじゃない。


 自分の目的の為にここに来たのだ。


 それでも。


 それでもだ。


「退いちゃいけないって時くらい、分かる」


 『火焔アライブ』を再度発動し、火花を握りこむ。


「行けぇ星宮‼」


 俺は男を星宮に押し付けると、黒鬼に向かって地を蹴った。


 周囲の景色が一気に吹き飛び、赤い光が散乱する。


 倒す必要はない。徹底して攻撃し続け、相手の動きを止める。


 距離を詰め――、




「ァァア」




 視界が黒く染まり、後頭部から背中にかけて衝撃が爆発した。

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