第11話 千本鳥居
この週末アイツは出張で居なかった。
どうしようか迷ったのは言うまでもなく
散々考えて、結局は言わずに流した。
金曜が 新月 だぞ、と。そんな事を
アイツに言えば多分、相当に悔しがる。
何せ、全国拠点長会議は今回WEBでは
なく、東京本丸で行われるのだ。
『猫魔大明神』の朱い鳥居に篝火を
焚く光景を、あれだけ楽しみにしていた
事は、俺含めて皆が知っていた。
もう既に『猫魔大明神』では篝火の
準備がされているだろう。
業後はいつも由良宮司を手伝っていた。
取り分け暑い夏場や凍れる冬場は決して
緩くない作業だ。
「権堂課長、お先に失礼します。」
「ああ、お疲れ様でした。」私服姿の
高柳さんから声が掛かる。テラーの
下田さんと岡野さんは既に帰宅済みだ。
俺は店のセキュリティを確認して、鍵を
掛ける。今までずっとそうして来た。
思えばアイツが来てから、まだ半月も
経っていなかった。
店を出て『猫魔岬商店街』の途中から
折れると陸繋島の壱の鳥居が真正面に
見える。既に太陽は傾きかけて、もう
すぐそこに夕闇が迫っているのが
容易に知れた。
「龍弥君!」砂洲を歩いていたら
声を掛けられた。「…百目木教授?」
とっくに札幌に戻ったと思ったが。
彼は調査チームなのか、数人の男達を
連れていた。
「これから計測を始める予定です。
調査地点は島のこちら側と裏の岩礁、
それから突端側にある海淵付近を。」
「まさかと思うが、海に入ろうなんて
思ってねぇべな?」言った後に余計な
事だと気づいたが。
「昼間のうちに計器類は海中にセット
してあります。」「呉々も気ぃつけて
くれや。此処の海は、本州とは違う。
真夏でも海水の温度が氷点下になる
地点だってある。」
「君からそんな注意を受けるとはね。」
百目木教授は柔らかな笑みを浮かべる。
「…これから神社で篝火の手伝いが
あるっけ、失礼します。」俺は足早に
砂州を歩き出す。
何だか酷く居心地が悪かった。
これが 予感、ってヤツなのか。
いつもと違う妙に落ち着かない感覚に
俺は思わず身震いした。
アレ は確かに今でも生きている。
だが、誰もが想像する様な、如何にも
単純な水生生物じゃないだろう。多分
百目木教授辺りなら、その辺の理解は
ある筈だ。
もう誰も、この海で死んで欲しくない。
父親が死んだのは、事故か自殺か。
それは今でも確信している。事故だと
しても、きっと
なかっただろう。
三十年前の調査船での経緯から、相当
大学側との軋轢があったという。
今まで持っていた研究室も、在学生が
卒業するのを待って、なくなる事が
決まっていた。
大学で教鞭を執る、というのは決して
安穏とした職業じゃない。常に論文を
出して、出し続けて。世に認められて
初めて居場所が出来る。常に走り続けて
ナンボの世界だ。それは銀行の営業にも
言えるかも知れないが、
あるとないとで雲泥の差だ。
黙々と歩いて、俺はいつの間にか
『猫魔大明神』の入口まで来ていた。
クマゼミが喧しく鳴いている。神社の
境内を心地良い海風が通って行く。
「おう!いつも悪ぃな、龍弥さん。」
境内には既に薪が山に積まれている。
タンクトップに鉢巻姿の由良宮司が、
笑顔で迎えてくれた。
「いや、何もだ。」俺はそう言うと
鞄を社務所の玄関に放って軍手を着る。
朱い『千本鳥居』の間に設えられた
鉄の篝籠に乾いた薪と藁を据える。
『千本鳥居』と言っても、本当に千本
ある訳じゃない。それでも重労働には
変わりないだろう。
「なまら疲れたべ?」宮司が冷たい
飲み物を寄越して来た。「めんこい
支店長さん残念だったべや。出張なら
仕方ねぇけどさ。」「後で知ったら
悔しがるべ。言わねぇどくわ。」
「ははは。」由良宮司は如何にも
愉快そうに笑うと湾の沖を見つめた。
「何か知らねぇけど、大学の先生等が
色んな機械持って海ン中さ入ってたが
『猫魔大明神』の怒りに触れなきゃ
いいけれどもなぁ。」「…。」
「あれは無闇に触れちゃなんねぇさ。
何もかもワヤになる。」「宮司。」
「おん?」「何か、猫の声しねえか?」
神社の境内から薪をセットして浜に
降りて来ているから、猫がいても何ら
不思議はないが。
「岬の林ン中に住んでんだべ。よく
神社にも餌貰いに来るさ。それも
何匹もいてよ。なまらめんこいしょ。」
「猫な…宮司なまら猫好きだべや。」
俺らは上から順に篝火を点けるのに
再度、鳥居の階段を登り始めた。
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