第28話 開かずの間
筧会長と秘書、そして俺等を乗せた
タクシーが『呪いの網元屋敷』に着いた
時には、既に雨がパラつき始めていた。
駅からは歩いて行ける程の距離だが
タクシーを呼んでおいて良かったと、
改めて俺はそう思った。
『濤祓え』の儀式は本来は秘儀という。
嵐の中でやる事自体がもう何人をも
寄せ付けないのだ。由良宮司は参加を
許可してくれるとは言っていたが、
事前の潔斎期間が必須だから、実際
飛込では無理なのだ。
筧会長が、一人だけ連れて来た秘書は
柿崎という名の五十絡みの如何にも
真面目そうな寡黙な男だった。
彼は車の中もずっと株価のチェックに
REITや先物の指標なんかを手許の
iPadで追っていた。
「いらっしゃいませ。筧様。」既に
『網元屋敷』の入口には、女将以下、
従業員が総出で並ぶ。ざっと見でも
二十人以上。こんなに沢山の従業員が
いたとは。俺はてっきり二尾の女将と
裏方の旦那、後は二、三人の従業員で
回してるのかと思っていたが。
「暫くお世話になります。いや物凄い
歴史的建造物だ…写真では拝見した
事があるが、こうして実際に目にすると
感動も一入です。」
「……。」筧会長の第一声に、俺は
思わず権堂と視線を交わす。ヤツの
表情も、何をか言わんやだ。
「まぁ、流石は筧様!この『渚亭』は
赤煉瓦と武州瓦を使った世にも珍しい
建築様式だべさ。他所にはないしょ?」
「確かに。和洋折衷建築の中でも他に
類を見ない。北海道庁の様なアメリカを
手本にしたネオバロック様式でもなく、
ましてや開拓使御用掛の設計建築という
訳でもない民間の旅館に…これ程の!」
「会長。」今迄黙っていた秘書の柿崎が
声を掛ける。「…あ、すまない。つい
興奮して。部屋に案内を頼みます。」
「…。」俺は女将に目礼する。
「はい。落ち着かれましたら改めて
館内を御案内致します。先ずはお部屋で
ごゆるりと。支店長さんから頼まれて
いる事もあるっけ。」二尾の女将は
そう言うと、俺に視線を寄越す。
存外あっさり女将がOKしてくれたのは
幸いだった。建築オタクであると同時に
怪談好きな筧会長の為に、是非とも
『開かずの間』を見学させて欲しいと
無理を承知で請願したのだ。商売繁盛や
縁結びの 屋敷神 がいるなんて、先ず
間違いなく興味を惹くだろう。
「藤崎支店長、少々宜しいですか。」
先ずは寛いで貰う為にと筧会長らを
部屋に案内して、廊下を歩き出した所で
柿崎秘書から声が掛かった。
「はい?」権堂と二尾の女将も同様に
立ち止まる。尤も、向こうの用事が
俺だけだとわかるや、そのまま俺を
残して行ってしまったが。それを目で
追いつつ柿崎秘書が言う。
「会長は、ご存じの通りで建築や
都市設計には目がない上に、ご自分の
年齢を過小過信しておいでです。」
「…はあ。」何を今更、的な?
「本当は、新規事業などという事は
もう考えずに、そろそろ楽隠居して
欲しいのですよ。これは御子息の
現社長のご意向でもある訳です。」
ぶっちゃけ、それを俺に訴えた所で
仕方がないと思うんだけど。
「お話は理解しますが、それを私に
話される意図が分かりかねます。」
「分かりませんか?」柿崎秘書は
そう言うと、縋る様な顔で俺を見て
来る。こういうヤツ、俺マジで苦手。
黙ってて、周りが察してくれるのを
只、待っている。しかも善人ヅラで。
責任逃れも甚だしいだろ。
「わかりません。」俺は至極淡々と
応える。俺だったらそんな配慮は
願い下げだ。そもそもソレ、筧会長に
直接言えばいい事だろう。
「覚悟の無い者、辞するが善い。」
突然、二尾富子の声だけが響いた。
「…ッ?!」柿崎は慌てた様子で周りを
見回すが。「どうかされましたか?」
わざと聞こえなかった風を装ってみる。
「いえ…何でもない。失礼しました。」
柿崎秘書は薄ら青くなった顔で部屋へと
戻って行った。
三十分程して、俺らは再び筧会長の
部屋を訪れていた。『渚亭』の館内を
案内する為だ。
明らかにワクワクしてそうな筧会長、
そして緊張した面持ちの柿崎秘書。
どうやら、俺に話した様な事は一切
話題にも上ってなさそうだった。
「此処が私共の 屋敷神 をお祀り
している『開かずの間』だべさ。
他が満室でも此処だけは開けないんで
本来『空けずの間』が正しいしょ。」
女将が一通り説明する。
「でも今日は予めご了承も得てるっけ
今から御案内するべさ。」そして改めて
襖の前に居住いを糺して跪く。
「畏み、申し上げまする。富子様に
お目に掛かりたく罷り越しました。」
女将はそう言うやスパンと、派手に
襖を開けた。
「な…ッ?!」筧会長以下全員絶句。
広い和室の中には、例の
所狭しと寛いでいた。
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