第8話 深海より
それは、今から三十年程前に遡る。
大学が所有する調査船が、研究生達の
航海研修を兼ねた海洋調査の為に
北の海を目指して出航した。
二週間の予定で組まれた航海は、
根室から出航し千島列島沿いに北上。
オホーツク海を主な調査海域として
帰りは間宮海峡を通って日本海へと
抜ける航路だった。
概ね天候にも恵まれたが、ある地点を
調査中、海底の地形を映すソナー探査の
映像に突如として不可解な影が
映し出される。
時速にして四十キロ前後で移動する
その影は、明らかに生物の様であり
停止していた調査船の真下を抜けて
日本海の方へと南下して行った。
地球上で 最大の生物 である
シロナガスクジラの約十数倍もの
大きさを持つその影は、確かに新種の
鯨類の様にも思われた。
直ぐにでも《後を追おう》という
意見と、よく分かりもしないモノに
《関わるのは危険だ》という意見が
対立するも、結局は慎重派がその場を
制して、スケジュール通りに航海を
終える事になったのだった。
「…しかしながら、どうしてもその
未確認生物の解明を諦めなかった
指導教官がいたのです。権堂龍彦先生、
権堂君のお父様です。」
「え、マジですか?!」俺は思わず
権堂を見る。だがヤツは何も言わない。
「私の恩師でもある先生は、その後も
粘り強く独自の調査を続け、遂にこの
【猫魔岬】に痕跡を見つけたのです。
遥か昔から密かに続いた人身御供の
因習と、新月の暗い海から聞こえる
赤児の様な鳴き声…。実は、調査船が
あの生物の声を拾っていた。
私も聴きましたが、あれはまるで猫の
鳴き声の様だった。」
俺がこっちに異動して来た飛行機で
偶然にも隣り合わせたオッさん、
もとい
大学教授はそう言うと、宮司が
持って来た麦茶に漸く口をつけた。
「それが『猫魔大明神』だべや。」
由良宮司が当然の様に言う。
「…ちょっと待って下さい。」余計に
状況こんがらがって来たんだけど。
「つまりは、空の上から見たデカい
生き物が『猫魔大明神』で、それは
今から三十年前に実際にその存在が
確認された。でも、明治より前にもう
既にソイツは、この神社に祀られて
生贄を食っていた、って事ですか?」
「そうだべ。古くから豊漁祈願の
神事が行われていた、って…ほれ、
これさ。この根古間神社の『縁起』に
書いてあるしょ。」
「……。」俺は権堂を見る。そして
畳の上では脛を蹴れない事に、今更
気が付く。
そんな俺の視線に気がついたのか、
百目木教授が ヤツ に言った。
「今回、空の上から目撃したのは実は
我々だけではないのです。飛行機の
遥か上空の衛星からも姿が捉えられて
いる。」「…?!」「つまり、国から
正式に調査の依頼があった訳です。」
「俺にはもう関わりのない事です。」
突然、というか漸くヤツが口を開いた。
「…。」オッさん、もとい百目木教授は
沈鬱な顔で押し黙る。
「俺の院生時代の研究テーマはご存知の
通り、海洋工学です。生物は畑違いだ。
ましてや今は銀行員としてやっている。
父が亡くなったのは単なる事故しょ?
それか…自殺か。」
「…!」「もう既に墓もある。それに
母親も再婚した。しかもウチの銀行、
あと半年も経たず【猫魔岬】からは
撤退するさ。本来、今日は宮司にその
話をしに来たんだべ。」
「何と…銀行さ無くなるべか?!」
宮司が驚きの声を上げる。
権堂…オマエな。それ、今更
言うのかよ、この
全く、此処に来てからというもの、
どうにもこうにも調子が狂う。
「…大変に、申し上げ辛いのですが。
当行では中長期政策として店舗の整理を
行っております。今回は…。」
「ちょっと待ってくれや!」初めて
動揺した顔で宮司が言った。
「銀行さんが無くなると、ここらの
人間は困るべ。大きな銀行があるから
【猫魔岬】漁協に働きに来るモンも
いるっけよ。そったら事、急に
言われたら、益々この町は寂れて
行くしかねぇべや。」
「御不便おかけするのは、心苦しい
ばかりです。」ここで俺に出来る
前向きな提案は何一つない。只々、
頭を下げて 説明 する以外には。
それは【櫻岾】でも痛烈に実感した
事だ。ましてや今回は、ATMすら
残さないと来ている。
金融機関の改革とキャッシュレスを
一気に進めようという国の思惑が
背景にあるのだろうが。
過去、鰊漁で沸いたこの町だけで
巨額の金が動いた。
『猫魔岬支店』は、その名残なのだ。
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