第30話 颱風一過

筧地所の会長とその秘書を『渚亭』に

案内してから一旦、俺は店に戻った。

既に雨も強まっていて、午後はパッタリ

客足が途絶えていたが店を他の者達に

任せきりにする訳には行かない。

 奴は支店長としての責務だけでなく

此処に住む者達の 期待 をも一身に

背負っている。少なくとも今迄にこの

土地に転任して来た、どの支店長とも

藤崎は全く違っていた。


アイツは本当に鹿だと思う。


それでも俺は、陰に日向になって奴を

補佐して行く。それは単に自分の職責

 としての在り方だ。けれども

そんな単純な事でないのは自分でも

理解していた。




「したっけ、お先に失礼します。」

「お疲れ様でした。」守衛の高柳さんが

退勤するのを送り出して、店を閉める。

そして不穏な様相の空に目を遣る。

 雨雲が渦を巻いて流れて行く。次第に

強まる風が、既に台風の勢力圏内に

入った事を示唆していた。


新月には、朱い千本鳥居の間に篝火を

焚く。その手伝いは時間が許す限り

やっていた。勿論、天候によっては

焚かない場合もある。

 だが『濤祓え』の儀式は悪天候で

あろうとなかろうと必ず決行される。

故に、『猫魔大明神』の

駆り出されるのだ。自分は氏子では

なかったが、手伝いを申し出れば

皆から感謝され快く迎え入れられる。


【猫魔岬】は、そんな土地柄だ。


筧会長は、かなりの目利きと聞く。

しかもその道のプロであり、戦後の

日本の 都市開発 を牽引して来た

人物としても有名なのだ。

 こんな田舎町にまで外資系不動産

投資会社が来る事も珍しくはない中で、

彼が興味を持たない筈はないだろう。

もし【猫魔岬】が御眼鏡に叶うのなら。



「…ッ!」持った傘が裏返しになる。


同時に、雨に濡って霞む岬の方から

海鳥が一斉にこっちに向かって飛んで

来るのが見えた。強い風に煽られながら

必死に浜へと向かって飛んで来る。


 「…?」何か、違和感があった。嘗て

経験した事のない様な。


   不安 が。


何かの予兆なのだろうか、それとも。

ふと『神も仏もない』そんなフレーズが

頭に浮かんだ。神も仏もだろう、

けれどもそれは人のにあって

そうそう都合良く希望を叶えてくれる

ものではない。ならば何故、人は

神仏を祭祀するのか。


それは  を築く為だ。


人は無重力空間に独りで置かれると

狂うと聞いた事がある。宇宙飛行士は

約束された期限とミッションへの使命、

そして同じ無重力空間に置かれている

同僚の存在や、互いへの励まし合いに

よって心を強く保てるのだと。

 結局、信仰も科学も大元を辿れば

同じなのだ。な事実に対する

畏れ、或いは恐れ。それをへと

落とし込む事で幾らか緩和される。

だが、それ以上に…。


「迷っているのか。それとも戦慄おそれて

いるのか。」


「…?!」吹き荒れ始めた風雨の中に

昏い影が。黒いカッパを着込んで傘は

ささずに立っている。背格好から多分、

 と知れた。


「誰だ、お前!」半ば叫ぶ様に応える。

「この地を改めるのであればくわを振え。

お前の父が殉じた様に、お前なりの

やり方で。」男の顔はわからなかった。

 藤崎ならばまだしも、こんな得体の

知れない男に言われる筋合いはない。

「てめぇに言われる筋合いでねえべや!

大体、何処のどいつだ!」


風雨は、緩急を以て激しくうねる。岬の

神社の朱い鳥居は、遠く驟雨しゅううに霞んで

いた。いつも、浜へと出るのに使う

商店街からの横道。その先に立つ、

まるで 影 の様な男。

「…。」あの八百比丘尼におとみこの事が脳裏を

過ぎる。コイツも又、人外なのか?

大体この風雨の中、しかもこの距離で

通常会話が成り立つとは思えない。


そもそも、父親が消えたのは。大学側との

軋轢に疲れ果てたか、或いは自らの

研究に入れ込み過ぎたのが原因だろう。

 それも、蓋を開けてみれば 

 だったとは。

当時の技術ではそうそう簡単には解明

出来なかったかも知れないし、国立の

大学のいち教官が、何の援助も無しに

研究する事自体がナンセンスなのだ。

今回の百目木教授の調査にしたって、

があって漸く実現した

ものだろう。


風雨は更に勢いを増す。いい加減、

『渚亭』に合流しなければ。

目を一瞬、空に向けた。その刹那に

黒い雨合羽の男は姿を消していた。

 浜へと抜ける道にはもう誰の姿も

なく、只、荒れ狂う波濤が霞んで

見えるばかりだ。



「誰にも出来る事。だが、お前にしか

出来ない事だ。」


「…何…だって?」歩き始めて、また

声がした。だが、それだけだった。










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