第46話 海嘯

一瞬。コイツ何言ってんだ、と。


「ふざけんな藤崎ッ!俺が行くさ!」

かなり大きな揺れだった。大津波が

来るのは目に見えている。


「うるせぇよ、支店長の指示に従え

権堂課長!オマエの方が此処らの

地理に詳しいだろう。」「…ッ!」

「それよか、津波は大体どの位で浜に

到着する?」言いながら藤崎は自分の

腕時計に視線を落とした。



震源が外海ならば、ある程度の時間は

稼げる。だが 日本海 では。


「数分だ!十分も…あるかどうだか

分からねぇべや!」

【猫魔岬】に高台なんて、ない。岬の

陸繋島がここらで最も高所にあたる。


「菅原巡査ンとこ寄れ、五分あれば

何とかなるだろ。そっから町の人達を

集めて『呪いの網元屋敷』へ行け。

兎に角、オマエの避難ルートは駅前

派出所から『網元屋敷』な!」

「ちょっ…待ッ!」「じゃ、よろ!」

言うや藤崎は真っ暗な海がざわつく

岬の方へと走って行った。



一瞬、昏い海に足が竦む。



状況は絶望的だった。篝火の焔は

唐松や椴松の落葉に燃え移ると、忽ち

岬の参道から山肌を舐める様に燃え

広がって行く。津波の到来も考えると

一刻の猶予もない。


「…藤崎…ッ!」あの大馬鹿野郎が。



「権堂君、急ごう。柿崎君も皆を、

早く!」筧所長の一言で我に返った。



もう、腹を決めるしかない。



「皆さん、落ち着いて!これから

安全な所に誘導します。迅速に、

足元に気を付けながら来て下さい!」

半ば駆け足で駅前まで行くと、派出所

巡査の菅原さんが既に町の人達への

避難を促していた。

「誘導ご苦労様です!町の人達にも

『渚亭』に避難して貰ってますっけ!

権堂さん達も早く…!」


『呪いの網元屋敷』こと『渚亭』は

明治時代に当時の最先端の技術で

造られた  だ。

創業以来、幾度かの地震や津波も

経験しているとは言うが…。



 敷地内に在れば、私が護る。



「に…二尾さんッ!」いつの間にか

『渚亭』の屋敷神である八百比丘尼、

二尾富子の姿があった。

暖かそうな菊模様の黒の丹前を着て

切り揃えられた前髪の下から猫の様な

瞳が光っている。


「心配は無用。『渚亭』の敷地にさえ

入ってくれたら、故。

さあ、早く。」「…お、おう!」

俄には信じられないが、彼女の顔には

不安など微塵も見られない。逆に

畏ろしい程の神々しさがあった。






『渚亭』の敷地の中では大勢の人々が

不安そうに犇めき合っていた。それを

見た瞬間に、漸く俺は我に返った。

それまで、何だか茫んやりとした頭で

身体だけは遮二無二動いていた。

「…ッ!」一刻も早く岬に行かねば。


藤崎は無事に神社へ辿り着けたのか?


まだ石の参道には火の手が回って

いなかった筈だ。



「足手纏いになる故、ならぬ!」


二尾富子が、猫の様な瞳を更に輝かせ

走り出そうとした俺の前に立つ。

追従する様に、いつの間にか猫等も

足元に纏わりついている。

「…藤崎が!それに、宮司もッ!」

「承知している。藤崎支店長からは

事前に重々頼まれているのだ。」

「…何だって?」「万が一の時には

この『渚亭』に人々を匿う様にと。

私は  故、大それた事は

出来ないが、この地には既に太古の

昔よりとても強大な神が座す。」

「……。」「岬の神社に祀られて

いる『猫魔大明神』様が。」

「…あれは、只のクラゲだべや!」

海月くらげ傀儡かいらいだ。否、それも又、

神でもあるか。ついて来るが良い。」


二尾富子は俺と筧所長に柿崎秘書、

そして菅原巡査を『開かずの間』へと

いざなった。




二十畳の和室には、二尾の女将が

液晶テレビを食い入る様に見つめて

いる。以前『濤祓え』の実況中継した

現場の映像だ。

「女将さん。」「これ、見るべさ!」

女将が画面を指差す。

 何だ、あれは。空が…紅く光って。

「…まさか!」


画面には、焔に照らし出された

陸繋島の白い灯台が見えた。だが、

それと対比する様に。いや、灯台を

越す程の  が。


「…止まっている。」「波がまるで

壁の様に聳り立っている!あれ、

『猫魔ホラークラゲ』じゃないか?

津波を押し留めているのか…?!」

柿崎が驚きの声を上げる。


高層ビル程の津波が、いた。



  神  とは


森羅万象であり、まさに 自然 その

ものである。故に、そこに何某かの

意図などは決して存在しない。


  それでも 人 は、信じて祈る。



「島が…神社が燃えてしまう!」

菅原巡査の言葉に、俺は再び全身の

血が沸騰する様な焦燥に駆られた。


 せめて、この津波が。


だが、それでは間違いなく町は

壊滅する。けれども陸繋島は今も

赤々とした焔に蹂躙されている。




 だが、その時だった。



 新月の夜空が一瞬、白く光ったかと

思うと、天から一条の流星が閃いた。



「…ッ!」瞬間、が響いた。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る