第45話 陥落

 西門にいた魔族の群れは、ほとんど苦もなく一掃できた。

 それというのも南門で入手した魔石を、さっそく使用した成果だった。

『グレーターデーモンの魔石を3つ、か……』

 西門へと移動しながら、エキドナが馬上で浄化した魔石を使用した。それなりに魔力を消費したが、それを補ってあまりある魔力を獲得できた。

『アークデーモンの魔石を温存できたのは、かなり効率がよかったんじゃないか』

 鐙を足場にしての仁王立ち。魔石の魔力を頼りに、両手から繰り出された魔力弾の一斉放射は、さしもの魔族であっても脅威以外の何ものでもなかったはずだ。

 だが、思いのほか魔力消費が大きく、3つ目は浄化しないままの紫の魔石を使用した。

『それに、新しい魔石も手に入った。どうやらロレンの読みは正解だったようだな』

 なにより最小限の人的被害に抑えられたのは嬉しい限りだ。おそらくエキドナは魔石を全部使いつぶす気でいる。僕もそれでいいと思っていた。

『この調子で戦っていけば、ずいぶん楽に勝てそうだぞ』

 楽観的に考えてしまうのは、なんとも仕方のない、当然のことのように思えた。

 が、しかし。

「東門陥落っ! 魔物による侵攻を受けていますっ!」

 またしても頭上から告げられた信じがたい内容に、全軍揃って頭上を仰いだ。ついで東に顔を向ける。そのまま愕然とする表情を凍りつかせた。

「全軍っ、今度は東だっ。東に向かうぞっ。もう少しだけ頑張ってくれェーっ」

 声を限りに張り上げた瞬間、大地を揺るがす轟音が響いた。思わず、その場にしゃがみ込む者多数。自分の頭を抱える者、馬の首や近くにいた誰かにしがみつく者がいた。

 エキドナでさえ、わずかに首をすくめた。すぐさま頭上を仰ぐ。

「どうしたっ、一体なにがあったっ」

 もしかしたら東門が完全に崩落したんじゃないか、僕とエキドナはまったく同じことを考えたが、でもそうじゃなかった。

 頭上からの返答は、

「………………」

 無言の落旗。頭上から旗が落ちてきた。だが旗手が攻撃された事実はなく。

「どうしたっ、なにがあったっ、答えるんだっ、それがキミの仕事だろうがっ」

 再度の怒号に答えたのは、けれど近くにいた別の男の声だった。

「みっ、南の防壁っ、崩落ぅーっ! 魔物の流入を確ぃぃぃぃん~~~~っ!」

 刹那の思考停止。そんなこと誰も考えない。そもそも僕たちは、その南門から来たのだ。そこにいた魔族を倒したからこそ、こっちに援軍として来たのだ。

 それがなぜ、今になって崩落することがあるだろうか。

「ばっ、ばかなっ……、もっと正確に話せっ」

 エキドナはその場から動くこともできず、なおも頭上に向かって叫んだ。

「きょ、巨人が、上半身に無数の腕と頭を持った魔人が、大岩を投げつけてきて……」

 瞬間、またしても轟音が響いた。全員その場に伏せてしまい、まるでこの世の終わりのように怯えていた。なかには、なおも眼下の魔物に向かって矢を放ち続ける猛者もいたが、それはほんの一握りの者だった。

『上半身に、無数の腕と頭ってことは……』

『ああ、十中八九〈百腕五十頭の巨人〉だろうな』

 かつて、天上の神々さえ驚怖させた巨神の再来だった。


 東門を出撃した騎士たちはグレーターデーモンを三体、レッサーデーモンを九○体ほど討伐する健闘を見せたが、最後には矢が尽き、頭上から降った魔力弾の前に壊滅した。

 そのあとは空から近づいたデーモンたちを防壁上から弓兵がさらに数体倒し、なんとか持ち堪えていたが、上と下からの物量を前に、最後は地上の鉄門が持たなかった。

 正門から次々と入り込んでくる魔物を前に、応戦する者があれば逃げ出す者もあったが、一匹のレッサーデーモンが門の高さスレスレを飛んで入ってきたのを目撃するなり。

「も、もうダメだぁ~っ。こんなの最初から無理だったんだよぉ~っ」

 一瞬で恐慌状態に陥った。そうして逃げ出そうとした者の背中に向かい、無数の火球が雨となって降り注いだ。その無慈悲な攻撃は相手が転倒しても止むことがなく、いや、むしろ嬉々として行われた。

 誰もが、男たちの死を予想した。そして次に狙われるのが自分でないことを神に祈った。

 ただ一人、その場に飛び込んできた小さな影を除いては。

「はァっ!」

 裂帛の呼気とともに振るわれた一撃は、油断していた魔族の首を打ち落とした。どっと空から落ちた魔族の死体は、すぐさま魔石に変わり、近くにいた魔物をうろたえさせた。

「こんなザコが入ってきたぐらいで、いちいちビビってんじゃねぇよぉ~っ!」

 吼えたのは、しかしまだ年端も行かない少年だった。だが彼らは知っている。

「よ、ヨハンかっ」

 その子供が城で一番の戦士の直弟子であることを。

「強くて面倒な魔族は全部ハルトが倒してくれるんだからっ、ザコは俺たちで押し返すんだっ、手が空いてる人は魔物の死体で通路を埋めてくれっ」

 手近な魔物を斬りつけ、門へと向かって駆け出しながら、なおもヨハンは雄々しく吼えた。あるいは虚勢だったかもしれないが、兵士たちを鼓舞する威勢でもあった。

「あんな子供が戦ってるのに、俺たちが逃げ出してどうするんだっ」

 虚勢に虚勢で返し、兵士たちが息を吹き返した。どこか遠くで何かが破壊された音がして、大地が大きく揺らいでも、たとえ傷つき転倒しても、すぐに起き上がって戦い続けた。

 なかでもヨハンは一際強く戦った。闘気法を駆使しての極限状態の中で、子供ながらに無類の強さを見せた。それこそ普段の限界以上の力を発揮して。

「たぁーっ」

 剣の一振りで魔物一○体を吹き飛ばし、

「はぁーっ」

 返す剣で別の魔物一○体を切り伏せた。

 また門から続く防壁の狭い通路の頭上から飛来したレッサーデーモンに対しては、下から伸び上がるように跳び上がって、その手に溜めていた魔力ごと腕と翼を切り落とした。

 そうして地面に落ちたデーモンは、周囲から寄ってたかって駆けつけてきて、真っ先に袋叩きにして殺してしまった。

 一人突出するヨハンは、いつしか防壁の通路を抜けて、壊れた門の外へ出た。

「ッ!」

 そこを狙ってか偶然か、一匹のグレーターデーモンが上空から襲いかかってきて、その鋭い爪でヨハンの背中を強く叩いた。だが一撃は、衣服は引き裂いたが下に着込んだ魔道純銀製の鎖帷子に弾かれ、致命傷には至らなかった。

 反射的に返した一撃は、けれど上空に逃げられ、あと一歩のところで躱されてしまう。

 だが、さらにその頭上から、防壁上から放たれた矢が雨と降り、硬い皮膚はこれを弾き返したが、薄い皮膜の翼がこれを貫通、バランスを崩して下降する。

 そこへ目掛け、下から跳び上がったヨハンの一撃が、

「だあぁ~っ」

 翼の一枚を切り飛ばした。今度こそ墜落し、その巨体を地面に叩きつけた。それでもすぐに起き上がろうとしたところ。すでに駆けつけていたヨハンの剣が、その胸を深々と貫く。

 なおもデーモンは高く腕を持ち上げ、のしかかるヨハンを貫こうとして。

「ぐっ、がああああァァァァ~~~ッ!」

 さらに力を込めたヨハンが胸に刺さった剣を振り抜き、その剣先が肩へと抜けた。

 刹那。絶命するデーモンが魔石となって、ごろりと地面に転がった。

「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……」

 大きく肩で息するヨハンは、よろよろ歩き、これを拾い上げると、天高くこれを掲げた。

「「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~~っ!」」

 歓声が爆発したように沸き上がる。少年の勝利を称えていた。

 が、しかし。

「あっ、危ないっ」

 誰かが挙げた声に気づいたときには遅かった。最後に残ったグレーターデーモンが上空から飛来し、今にもヨハンを貫こうとしていた。まして頭部には鎖帷子は存在しない。

 いや正確には、ヨハンは反応していた。だが持ち上げようとした腕が、もう上がってくれなかった。踏み込もうとした足に力が入らず、そのまま沈んだ。

(……体中の筋肉が、もう限界なんだ……)

 ヨハンの小さな身体は筋肉といわず腱といわず、その骨に至るまでボロボロだった。限界を超えて闘気法を駆使し続けた結果だった。

 ヨハンが大人であれば、もっと耐えられたはずだった。

 ヨハンが戦闘に慣れていれば、自分の限界にも気づけたかもしれない。

 だが、今のヨハンには、これが全部で限界だった。

 そうして降り下ろされた一撃に、

「ッ!」

 濃い血の色が、ばっと周囲にまき散らされた。

 次々と繰り出される攻撃を前に、腕を、足を、首を落とされ絶命した……。

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