第39話 魔物包囲網
地上へと続く階段を数段飛ばしに駆け上がり、外へ出るなり、一気に吹き出す人々の声。そのどれもが恐怖にうろたえるだけで、まったく要領を得なかった。ただただ不安と恐怖を周囲に振りまいているだけだった。
城を飛び出し、街へ出ると、やはりそこも騒然としていた。聞こえる声はどれも、これまで見たことのない数の魔物が、街の防壁の外をぐるりと取り囲んでいるというものだった。
前方から馬がきて、ライナスは後ろを一瞥し、両手を広げて道を塞いだ。
「なにをしている馬鹿者がっ、貴様死にたいのかっ」
やって来たのは伝令役の兵士で、すぐさま文句が飛んできたが、ライナスの顔を見るなり口を噤んだ。今の城内で数々の実績を積み重ねたルールカ一派を知らない者はいなかった。
「悪いが急いでいる。馬を借りたい」
「え? いや、ですが、私は伝令で……」
「この距離なら走ってもそうは変わらない。この会話が一番のムダです」
いうが早いか、ライナスは馬上の兵士を引きずり降ろした。鐙を踏みつけ跳び上がり、自身が馬上の人となる。心得たもので、エキドナは合図される前から準備していた。ひらりと跳び上がり、ライナスの後ろに着席する。ライナスが告いだ「走れっ」と鞭する声は、はたして人にいった言葉か馬にいった言葉か。おそらく両方だっただろう。
馬は大通りを一直線に走り、防壁へと辿り着いた。馬を飛び下り、脇にある階段を駆け上がる。そうして防壁の上に立つなり、
「うおぉ~っ……。さすがに、これは……っ」
見渡す限りの大地を埋めつくし、大陸行路をはみ出して、この道をふさぐように集まった魔物たちの大群を目にして度肝を抜かれた。防壁の上には見張りの兵だけじゃなく、これを見に来た兵士が、すでに多数集まっていた。
「魔物は街を囲っているという話ですから、おそらくこの光景が、ずっと街の反対側まで続いているのでしょうね……」
魔物は街まで300mほど手前に陣を取り、さらに森の奥までずっと続いていた。
「ああ。森の奥には当然、いま見えている以上の魔物が潜んでいるはずだ」
これが街を取り囲み、ずっと端まで続いていると考えると、その数は一万や二万では到底足りないはずだった。
『十万……いや、下手をすると二十万でも足りないかもしれないぞ』
これが何故、今まで感知されることなく集められたのか、それがまったく判らなかった。
『まるでこの場に、いきなり現れたみたいだな』
というのが、僕とエキドナ二人の共通する見解だった。
「ハルトっ」
振り向くと、こちらに駆け寄ってくるヨハンが見えた。陽の光の中で見るヨハンは、なぜか妙にうす汚れていた。よく見ると血が滲んでいるように見える。
「よかった。ここに来てたのかよ。俺、城まで戻るかどうしようかって、本気で考えてたところだったんだぞ」
興奮しきりの様子で語ったヨハンを不思議に思い、訊いてみると。
「あ~、いや、俺、あいつらがいきなり出てきた時、街の外にいたんだけど。その時にちょっと襲われたっていうか……いや、もちろん返り討ちにしたんだぜっ。でもちょっとだけ、殴られちゃってさぁ……」
動きの不自然さから背中を隠していることを見抜き、強引に背中を向かせたところ、右脇の辺りから腰骨を越えたお尻の上のところまで、鋭利な刃物のようなもので服が斬られている。慌てて傷を確認しようとしたところ、衣服の下に光る金属の輝き目にした。
「これは、鎖帷子か。いつも着ているのか」
「え? いや、べつに危ないから着てるわけじゃなくて、せっかく作ってもらったのに着ないともったいないっていうか……」
怒られたわけでも恥ずかしいことでもなかったが、新しいおもちゃを与えられた子供が、お気に入りのおもちゃをいつも持ち歩いているみたいで恥ずかしかったのかもしれない。
「ああ、悪い。私の言い方が悪かった。街の外に出る時は、いつも着ていけ。それでいい。危険を危険と思わないやつは早死にするだけだ。危険と感じた時は、とにかく逃げろ。一番大事なのは、どんな時でも己の命とわきまえろ。そして自分の命に余裕が見込める時は、ほかの人の命も守ってやれ」
そういった後、ふとエキドナは、深く感じ入ったように自分の言葉と向かい合う。
『……私は一体、どうしてしまったんだろうな?』
『どうしたとは、どういう意味だ』
『私がハルトの中で目覚めた時、私はこんなことを誰かにいうような存在ではなかった』
『それはそうかもしれないが、それじゃあいけないのか?』
『いけなくはないさ。悪くない。だが私が私じゃない、ほかの誰かになってしまったみたいで落ち着かないだけだ。もしかすると私は、ハルトよりもよっぽどロレンの影響を強く受けすぎてしまったのかもしれないな』
『それはどうだろうな。僕の知る限りでは、エキドナが今みたいに穏やかになり始めたのは、やっぱりユイの死を目の当たりにしてからだったように思うよ』
『ユイか……。確かにそうかもしれない。私にとっても、あの出来事は不徳以外のなにものでもなかった』
たとえ、それがハルトに邪魔された結果だったとしても、だ。
それは僕とエキドナが、二人が共通する認識だったとしても、これを言葉にして伝えたことは一度もなかった。もしこれを口にしてしまえば、きっと僕たちはもう二度と、誰かのために剣や魔法、力を振るうことが出来なくなる。……そんな気がした。
「それはそうとヨハン、なんで森になんていたんだ? まさかギルドに登録したのをいいことに、一人で依頼を受けにいったんじゃないだろうな」
突然振られ、ヨハンは軽く仰け反った。
「えっ? いやっ、別にいいだろっ、そんなことっ。ハルトには関係ないことだよっ」
気まずさから怒ったようにまくし立て、顔を逸らした。
「ヨハンは、ククルを森に連れていってあげていたそうです」
訳知り顔でライナスが告げた。
「なんで知ってんだよっ!」
驚きとも怒りともつかない声でいい、ヨハンが顔を赤くする。
「ククル?」
「前に、ハルトがゴブリンの巣から助けた少女です」
「ああ、あのときの子か……」
たしか7才になる少女だった。あの日以来、僕たちはククルと会ってなかった。でもヨハンは会っていたのだ。彼は意外と面倒見がいいのかもしれない。
「悪いとは言わないが、あの日の記憶に繋がりそうな行動は、あまり宜しくないぞ」
万が一にも、思い出してしまう可能性がないともいえなかった。
「いや、だって、しょうがないだろ。……お父さんに、花を添えたいっていうからさ」
『なるほど。切実というわけか』
ヨハン自身、姉を亡くしてから、まだそんなに日が経っていなかった。それくらいの我が儘、聞いてあげたいと思っても仕方なかった。
だが、エキドナの感想は少し違うようだった。
「ほぉー、ヨハンは意外と隅に置けないな」
「なっ、なんだよそれぇ!」
「いやいや、別に恥ずかしがることじゃない。せっかく男に生まれたのだから、少しくらい女の子からモテたいと思うのは、私はふつうだと思うぞ」
ぼっと音がしそうな勢いで、ヨハンの顔が真っ赤に染まった。
「ばっ、バカじゃねえのか、おまえっ。別にそんなんじゃねえよ、バカっ」
ばかばか言い残し、ヨハンは逃げるように去っていった。いや、実際に逃げたのだ。
「怒られてしまったよ」
おどけた様子で肩をすくめた。
「あまりからかわないであげて下さい。あれでデリケートなお年頃なのですから」
「いやいや、悪い悪い。ついな、微笑ましく思ってしまったのだ」
こんな時に……いや、こんな時だからこそ、そういった余裕を持ちたいと思うのだ。
ライナスは呆れて息を吐いた。あらためて防壁を取り囲む魔物たちを見据える。
「なかなか襲ってきませんね」
数と状況を考えれば、それは不思議な光景だったように思えた。
「ヨハンの話が事実なら、まだ隊列が整っていないのだろう。いきなりこの場に現れたということは、そういうことだ。これだけの数を一度に転移させただけでも驚きなのに、これが整列されているとは考えにくい」
攻撃する側と籠城する側。その最大の差は、おそらく勢いだ。攻撃する側に求められるのは、一度にすべてを蹂躙するだけの力と勢いが必要だった。籠城する側は逆で、落ち着いて対処することを求められた。
「まあ、そうですが……。さすがにこの数は、なんとも怖いものがありますね」
「ああ、誰だって怖いさ。こんな光景を見せつけられたらな」
「一度城に戻るぞ」エキドナはそういって、踵を返そうとした。
その刹那だった。
『「っ!」』
ふと。強烈な視線を感じて振り向くと、正門を真っ直ぐいった先に、一際目を引く魔人がいた。じっとエキドナを見ている。視線が交差するが、当然知っている顔ではなかった。
緑色の法衣を着て、頭の左右に湾曲した角を持つ。どうやら魔族、もしかするとアークデーモンかもしれなかった。ほかにも数体、青い巨体の魔人グレーターデーモンと、数十体ほど土色をする有翼魔人レッサーデーモンが、その周囲には固まって控えていた。
すっと。魔人は視線を逸らすと、魔物たちの陰に隠れて姿を消した。
視線を合わせたのは数秒、だがそれ以上の圧力を感じずにはいられなかった。
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