第38話 タイタン
「連れてきたぞっ」
しばらくして。息を切らせて戻ってきたルールカは、しかし一人きりだった。
ドアの外を覗くと、体全体で息をする文官服の男が一人、今にも泣きそうな顔で必死に走ってくる様子が、遠く廊下の向こうに見えた。
「……無理ですっ」
場所を変え、地下の実験室に移動して。そこでエキドナが魔法陣を用いて呼び出したモノを一瞥した瞬間、その魔道士は顔を蒼白にして全力で首を左右に振り回した。
ノームは身長15㎝ほどの小人で、長い髭を生やした老人のような風貌、派手な色の服と三角帽子を身に付けていた。手先が器用で知性も高く、優れた細工品を作るとされる。
「なにが無理なのだ。ノームといえば大地の精霊の初級みたいなものだろ?」
エキドナによって呼び出され、本来の姿を人前にさらしたノームを物珍しそうに眺めていたルールカが、顔だけで振り返って尋ねた。
「ですからっ、それはノームなんて生易しい存在じゃありませんっ」
男は立場の違いも忘れて食ってかかった。
「なんだとっ。それは、どういう意味だっ?」
「おそらく精霊ではなく、神に分類される存在です。……タイタン、もしかするとガイアと呼ばれる存在かもしれません」
ガイアといえば、この世界、この地上そのものだ。さすがにあり得ないと思うが、それだけ神聖な存在と言いたいのだろう。
一同の視線が、当然のようにエキドナに向けられた。
一瞬の間の後、エキドナは知らぬ存ぜぬと、手と首と同時に振った。
「いや、見られても知らんよ。こいつは確かにノームだ。なー、おまえはノームだよな」
〈ノーム〉はしっかりと頷いた。だがその姿が、ルールカを前にしたときのライナスを連想させるのは何故だろう。妙にきびきびした動作が気にかかる。
だが当のエキドナは、「ほら見ろ」と満足顔で誇らしそうだ。
「こいつはガイアなんて神じゃない。ただのノームだ」
〈ノーム〉はまた、しっかりと頷いた。
「やっぱりそうだよな。大体タイタンといえば巨人の名前だ。それがこんなにちっこい小人のはずがないだろう」
〈ノーム〉は誇らしげに胸を張り、けれど今度は頷かなかった。
『……なあ、エキドナ?』
『うん? どうかしたのか?』
『やっぱりこいつ、タイタンかもしれないぞ』
『なぜそう思う?』
『いや、何故といわれても困るけど。強いていうなら、エキドナが呼び出すノームが、いつもコイツのような気がするのが、理由といえば理由かな?』
ほんとうになんとなく、そんな気配がするだけだった。そもそも僕には魔法の知識や召喚術のことなんて何も知らない。だから聞きかじった情報の中で、そうじゃないかと思ったことを口にしているにすぎない。
その知識の中で、主に召喚術といえば――。
『毎回呼び出される精霊が同じってことは、そいつは術者であるエキドナと何らかの契約関係にあるんじゃないかって、そう思っただけだよ』
『なるほど。私とこいつが、何らかの契約関係にあるか』
言われた言葉を繰り返し、エキドナは何事かを考えた。だがそれは一瞬で。
『言われてみれば、そうかもしれない。少なくともロレンが今いった言葉には真実味がある。気づかなかった私のほうが、どうかしていたようだ』
思い直すとエキドナは、今一度〈ノーム〉の前に立った。そして訊く。
「〈ノーム〉よ。おまえは俺と契約関係にあるか」
言葉に〈ノーム〉は頷いた。肯定だ。
「やはりそうか。では、重ねて訊くぞ。おまえは“タイタン”か」
〈ノーム〉は何もいわなかった。黙ったままでいる。だが、しばらくの間の後、「にぃ~っ」と歯を剥き出しにして笑った。
「なっ。これは一体どういうことだっ?」
口を挟んだルールカに、エキドナは首を回して顔だけを向けた。
「どうやらノームというのは種族名であって、こいつの個体名はタイタンで間違いないようだ。そして俺とは何らかの契約関係にあるらしい。だから安心しろ。こいつが、タイタンが俺たちに危害を加えることはない」
『そのはずだ』とは心の中で、僕にだけ聞こえるようにいった。でも、これは仕方ない。記憶がないとは、そういうことだ。自信を持って言われたほうが胡散臭い。
「ですが何故、タイタンは首肯ではなく、歯を剥き出しに笑ったのでしょうか?」
文官の魔道士の言葉に、エキドナは首を傾げた。
『なんとなくだけど、タイタンが喜んでいるように感じるんだけど』
エキドナはうんうん唸って考えた。今度は反対に首を傾げる。
「もしかしたら、だが……以前は俺も、精霊たちの言葉で会話ができたんじゃないだろうか。そしてその時に、なにかしらお願い事をしたのかもしれない」
『お願い事?』という言葉が引っかかった。急に出てきたにしては具体的だ。
「はあ? 以前は、ですか?」
「ああ。いってなかったが、ハルトは記憶喪失なのだ。だから昔の記憶はないぞ」
フォローして、ルールカが代わりに伝えてくれた。魔道士は驚愕して仰け反り、あらためてエキドナをまじまじと見た。
「それでいて、それだけの魔法や魔術に関する知識がおありとは……いやはや、やはりハルトさんは、ものすごいお人なんですねぇ……」
誉められて満更でもないかといえば、そうでもなかった。エキドナはむしろ大した力を振るえないハルトの体にうんざりしている。膨大な知識を秘めてはいるが、意外と行動的なのがエキドナという人物なのだ。
「まあ考えても仕方のないことは後にして、今日のところは目の前の問題を何とかしよう」
タイタンに向き直り、姿勢を正した。あらためて問う。
「タイタンよ。出来ればでかまわない。この男を助けてやって欲しいのだ。気に入らないこともあるだろうから、なんでも手伝えとはいわない。だが心から請われた時には、おまえの力を貸してやって欲しい。頼まれてくれるか」
タイタンはエキドナをじっと見つめた。顔を動かして魔道士を見る。また前を向いてエキドナを見た。だがその目が、今度はじっと奥の奥、僕を見ているような錯覚を覚えた。
『……こいつ、私を通してロレンを見ているのか?』
エキドナもまた、その視線の奇妙さに気づいている。
『いや、もしかしたら僕という不純物がいるから警戒しているのかもしれない』
鬼が出るか蛇が出るか。最悪怒り出すまで考えられたが、一体どういう結論に達したのか、タイタンはその場に跪き、エキドナに向かって深々と頭を垂れさせた。
「これは? 土下、座……」
「はい。了承してくれたと解釈して、宜しいかと……」
ルールカとライナスは訝しがりながらも、タイタンの行動を肯定的に受け入れた。
『まさかとは思うが、ロレンが恐ろしいと思ったんじゃないのか?』
『……目を見ただけで土下座されるのは、さすがに心外なんだが』
それもハルトの、エキドナの目を通して見られただけだった。
『だがハルトの体を抜きにして考えれば、ロレンの魂は魔王はおろか破壊神を葬った強者だ。一概に否定はできないと思うぞ』
『納得はいかないけど、今は好意的に解釈するよ』
釈然としない僕の言葉を耳にして、エキドナは心の中で、ふふっと鼻で笑った。
「では、あらためてタイタンよ。おまえにはこの男を助けてやって欲しい」
声が響くと、タイタンは顔を上げてエキドナを見た。ルールカとライナス、文官の魔道士もまたエキドナを見る。
「そうだな、主な仕事は魔道純銀の精製だ。人命を優先して、事故などは極力起こさないようにしてくれ。それから使用する魔力は、この男の魔力でかまわない。何から何まで、おまえがしてやる必要はないからな。……と、こんなところでいいか」
最後だけはルールカを見て、エキドナはいった。彼女も心得たもので、
「ああ、それでかまわない」と承諾した。
「あとは、そうだな。もし代替わりが必要と感じた時は、迷うことなくそいつを手伝ってやってくれ。その辺は、おまえの裁量でかまわない。細かいことは任せる」
そういった後、エキドナはキョロキョロと周囲を探し始めた。机の上の書物を持ち上げ、書類の束を脇に退ける。棚の列を順に見回し、机の引き出しを勝手に開けて中を漁った。
「いきなりどうした? なにを探しているのだ?」
「いや、その辺にクッキーか何かないかと思って……やはり無いか?」
「そんなものを探してどうするつもりだ。まさかおやつというわけでもあるまい?」
「いや、そのまさかだよ」
「そういえば、クッキーやミルクはノームに対する供物でしたか」
ルールカ、エキドナ、ライナスの順にいって、エキドナは至って真面目に頷いた。
「ああ。だから無いと困るというか、そもそも契約が結べないのだ」
「そういうことなら仕方がない。取って置きの物だが、ここは私の私物を提供しよう」
そういって得意気にポケットから取り出したのは、ハンカチに包まれた二枚重ねになっているクッキーが数枚だった。クッキーの間に、なにやら黒い物が挟まっている。
「おっ。この匂いはもしかして?」
「そうだ。チョコサンドクッキーだ。私でも滅多に食べられない貴重品だぞ」
彼女は得意そうにいっているが、『チョコなんてブランディル地方まで行けば、お手軽に手に入るだろうに?』そう思っていたところ。
「いくら海が近いとはいえ、チョコなんてブランディル地方まで買い付けに行かないと、なかなか手に入らないからな。それこそ昔は10艘商船を出せば9艘は沈むといわれたほどだ。今でこそ5艘は到着するが、それでも貴重品には違いあるまい」
何気ない彼女の一言に、思考が停止する。エキドナが搾り出すように声を出した。
「……ブランディル地方、ですか?」
「ん? ああ、そうだ。ハルトは知らないかもしれないが――『ブランディル地方は西の海を越えた先にある大陸の南端にあって』――だな。チョコというのは、そこにあるガナンシェという国で栽培されたカカオという実を煎じて作られた物だ」
ブランディル地方に関する僕とルールカの知識が、見事なまでの一致を見せた。
『……これは、どういうことだ?』
『僕に言われても困る。……いや、むしろ僕が聞きたいくらいだ』
「カカオは熱帯地方でしか育たないからな、とにかく貴重な趣向品なんだぞ。チョコはとても香ばしくて、とろけるように甘くて美味しいのだ」
よほど好きなのだろう。ルールカのチョコに関する知識が止まらなかった。
チョコサンドクッキーを与えると、ノーム改めタイタンは、すぐさまこれに食いついた。よほど気に入ったらしく、一口食べたあとは一息も入れず二枚を平らげてしまった。それでも足りなかったらしく、ルールカが残していた最後の一枚を、さらに両手を差し出して要求し、彼女は微笑ましく眺めながら、これを与えた。
クッキーを与え、これでタイタンとの契約は正式に成立となったわけだが、
「あはははっ、よく見るとなかなか可愛いじゃないか、コイツっ」
タイタンは意外と現金な奴だったらしく、エキドナの命を受けた魔道士ではなく、ルールカのほうに完全に懐いてしまったようだ。今は彼女の掌に乗って、しきりに友好と親しみやすさをアピールしている。
「まあ、いいか」召喚者本人は、まったく気にしていなかった。
「そんな適当な?」ライナスは心配そうに見ていたが、
「仲がいいのだから止める必要はないだろう」というのが、エキドナの基本方針らしい。
ただ一人、文官の魔道士だけは所在無さそうに立ち尽くしていた。
僕としては、このあと魔道純銀の精製を実際に試したほうがいいと思うのだが、今の和やかな場の空気を壊してまで提案する意味はないと思えた。
だが、しかし。
『っ!』
僕とエキドナが同時に気づき、エキドナはドアのほうを勢いよく振り返った。
これに気づいたのはライナスで、「どうかしたのですか、ハルト?」
「なにか、外が騒がしいようだが?」
「騒がしいとは、一体なにがだ?」
この期に及んではルールカも気づき、いつもの生真面目な顔に戻って問い返した。
「わからない。それをこれから確かめる」
大股開きでドアまで近づき、これを一思いに開けた。
「これはっ!」
とたん飛び込んできたのは濃密なまでに煮詰めたような邪悪の気配。
『この世界にきてからはすっかり忘れていたが、やはりあるのか〈邪悪な波動〉がっ』
魔性の者を意のままに操り、さらには凶暴にさせてしまう負の波動だった。
暗い廊下の向こうから、兵士が駆けつけてくるのが見えた。なにやら慌てている様子で、顔を覗かせたハルトを見つけるなり、走る速度を限界まで上げた。
「どうしたっ、これはいったい何事ですかっ」
後ろから顔を出したライナスが、大声張り上げて誰何する。
「まっ、魔物がっ、ものすごい数の魔物の大群が、街の周囲を囲んでいますっ」
返事と同時、エキドナとライナスは部屋を飛び出した。兵士の横を駆け抜ける。
後ろでルールカがなにかをいっていたが、今は一刻も早い正確な状況確認が先決だった。
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