第31話 冒険者ギルド

 翌朝。さっそくヨハンを連れて街の冒険者ギルドを訪れた。まだ早い時間にもかかわらず、店内には二○人ほどの冒険者の姿があった。ほとんどの者が壁に張られた羊皮紙を眺めていたが、エキドナは迷うことなく直接、受付に足を運んだ。

「いらっしゃいませ、ハルトさん。今日はどのようなご用でしょうか」

 顔を出すなり、即座に相手が反応した。これまでにも何度か、それなりに厄介なクエストを受けていた。冒険者ギルドからじゃない、城の兵士にきた依頼として受けた。敵の強さより数が多いクエストだった。このうち一つを時間の関係で、一人で片づけた。

「今日は、この子に実戦を経験させたくてね。なにか手頃なクエストはないかな」

「実戦を経験ということは、初陣ですよね。少々お待ちください」

 そういって身を翻し、

「えっと、その前にたしか、冒険者カードを作らないといけないんじゃなかったっけ」

 指摘され、その場でくるりと一回転。

「ああっ、すみませんっ。そうでしたっ」

 謝罪しながら、その手にはすでに一枚の羊皮紙が掴まれている。なかなか優秀だ。

「依頼のほうはこちらになります。近くの森で見かけたゴブリン退治です。ご確認ください」

 依頼の用紙を受け取りながら、エキドナはヨハンに向かって横を指す。

「依頼内容は俺が確認するから、ヨハンはあっちで冒険者の登録を済ませてこい」

「こちらです。簡単な書類の記入と、本人確認のための血を一滴もらいます」

 気を利かせた受付嬢が、ヨハンを登録の受付へと案内する。勝手のわからないヨハンは言われるがままに、ついて行く。

『近くの森で複数体のゴブリンを見かけた。これを討伐してほしい、か』

 依頼内容は、受付嬢がいった通りの内容だった。

『初陣なら、こんなものだろう』

『ああ、これに決めてよさそうだ』

 ほとんど即決だった。思えば僕も、初めて倒した魔物はゴブリンだった。そのとき倒したゴブリンの青黒い血は、死んだ今でも覚えている。

「登録したけど、これでいいのかな」

 ヨハンが戻ってきた。手にするカードを、ぱたぱたと扇がせている。どこかしら嬉しそうなのはご愛嬌だ。色は青茶けた銅の色、いわゆるブロンズ級の冒険者の証である。

 冒険者の階級は世界共通で決まっているらしく、ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ、オリハルコン、ミスリル、アダマンタイトの順に7段階あって上がっていく。

 ブロンズとシルバーは、その名の通り青銅と銀を素材にプレートを作っているが、これ以降は便宜上の名称であり、色付けされた銀の合板でしかない。

 一緒に戻ってきた受付嬢に用紙を渡し、「これでお願いします」と返事をした。羊皮紙に判が捺され、これで依頼は成立となる。

「さっそく森に向かうけど、準備はいいな」

「あ、ああ、いつでも行けるぜっ」

 緊張した面持ちで返事をし、ヨハンはチェーンで繋がれたカードを首にかけた。


 城下クルムスリットから北へ歩いて2㎞ほど行った所に、ルーゲントと呼ばれる森がある。平時であれば果実や山菜が豊富に取れるため、街の人たちも重宝していたが、ここ最近、そんな森で妖魔ゴブリンの姿を頻繁に見かけるようになり、被害が出る前に何とかしてほしい、というのが今回の依頼だった。本来、エキドナが出るような仕事じゃないが、今回はヨハンの実戦経験を積ませるのが目的なので、これを引き受けた。

 魔物が出ると聞いたからだろう。さきほどからヨハンはしきりに周囲を警戒してキョロキョロと落ち着きがない。頭上に大きく広げた枝葉が巨大な影を落とし、日中でも薄暗い森を歩くのは、なんともいえず心細かった。

 そうして出くわしたのは、青黒い肌をした妖魔で、人間の腰ほどの身の丈と、灰色の髪と顎髭を持つゴブリンが3匹で、最初から飛ばしたヨハンは剣を数度振るっただけで、これをあっさり倒してしまった。エキドナは少し離れた場所で、じっと見ていただけだった。

「上出来だ、ヨハン。初陣としては申し分ない」

 成果を目にし、エキドナは満足そうに頷いた。だが成果とは、ゴブリンを倒したことじゃない。いとも簡単に敵を倒したはずのヨハンが、ひどく荒い呼吸を繰り返しているのを確認したからだ。彼はひどく興奮していた。

「どうだ、ヨハン。それが生き物を殺すということだ」

 初陣の目的は、むしろそこにある。初めて生物を手にかけた。その意味を知るのだ。

「……え? 生き物を、殺すって?」

 大きく口で息を繰り返し、ヨハンは初めて気づく顔をした。手が震えていた。闘気法が上手く練れない。もし今敵に襲われれば対処できないかもしれなかった。その意味を知る。

 死体を眺めていたエキドナが背筋を伸ばした。

「私はこれからゴブリンの巣に向かうが、ヨハンはどうする」

 ヨハンは一瞬、答えることができなかった。「依頼は終了じゃないのか?」そう考えている。ついてくるか帰るか、それを問われていることにも気づかなかった。

 はっと気づくと、ほとんど反射的に答えた。

「一緒に行くに決まってるだろっ」

「大きな声を出すな。ここはもう敵地の真っ只中といっていいのだぞ」

 いわれて顔を赤くする。素直というか単純というか、純粋というか。見ていて、うらやましくなる。もう無くしてしまって、ずいぶんと経つ自分がいた。

 エキドナが黙って歩き出すと、ヨハンも黙ってついてきた。

「付着した血糊は、すぐに拭ってしまわないと乾くと斬れなくなるぞ」

 いわれて、また気づいた。言葉のままの意味じゃない。抜き身の剣を手にしていたことを。慌てて布を取り出し、刃を拭って綺麗にした。血が付着した布は、その辺に捨てた。お行儀は悪いが、それでいい。血の匂いがする布なんて持っていれば、その匂いに魔物が集まってくる恐れがあった。もちろん、そうでなくとも気づく奴は気づいてしまうが。

「なんで、こっちって判るのさ」

「足跡を見れば判る。さっきの奴らはこっちからきた」

 ヨハンは目を凝らして地面を見たが、まったく判らないという顔を上げた。

 残念ながら、僕もまったく判らない……。近くに行けば気配でわかるはずだが。

『巣があると思ったのは、奴らの装備が充実していたからか』

 ゴブリンたちは新しい剣と革の鎧、おまけに小さな盾まで装備していた。

『そうだ。武器はどうでもいいが、防具のサイズが合っていた。多少なら自分たちで調整するだろうが、奴らの背丈だ、あそこまで誂えた物はそうはないはずだ』

 嫌な予感がする。そんな思いは、僕とエキドナの二人が同じだった。

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