第32話 初陣の顛末
しばらく森を歩くと、やがて僕にもゴブリンたちの気配が感じられた。
『この先300mほどのところに、かなりの数がいるな。22、3匹といったところか』
巣は、じきに群れと呼ばれる規模にまで膨れ上がろうとしていた。
『それが事実なら、やはりロレンの索敵能力は大したものだ。が、この場合に限っていえば、あまり聞きたくなかったな……』
ゴブリンは繁殖力が非常に高い。だから数が多いのは理解できる。だが、その上で哨戒を任された連中の装備が充実していた事実は好ましくない。単純に戦力が上がるからじゃない。装備が充実していた理由、そのものが問題なのだ。
「ヨハン。悪いが実戦訓練は一時中止だ。ここから先は、私一人で行かせてもらう」
「え? なんでだよ?」
訝しむヨハンをよそに、エキドナは一人で先を歩いた。ヨハンは一瞬迷ったが、言いつけを守ってついて来ない。日頃から、そういう約束は取り付けてあった。必要なときに命令を聞けないような奴は、どこにも連れて行けないと。
エキドナはまず、西に移動を始めた。そちらが風下だからだ。途中に小さな崖になっている場所があったが、かまわず飛び下りた。浮遊の魔法を使い、音もなく着地する。さらに回り込むように歩いていくと、やがて岩肌に切れ目のような穴を見つけた。
『ここからじゃ姿は見えないけど、すこし奥から気配を感じる』
『ああ。ここまで近づけば、さすがに私にも判る。数は……まあ二○匹ほどだ』
『穴の奥にかなり広い空間を感じる。正確には二○匹と……もっと奥に、四人ほどいる』
『……そうか。助けられるといいな』
『ああ、そうだな』
『少し急ごう』
いって走り出したエキドナは、穴の切れ目に向かって火炎球を叩き込んだ。着弾と同時に逆巻く炎と爆発音がこだまして、そこを駆け抜けるエキドナの剣が急襲した。
一撃のもとに首筋を斬ったゴブリンには目もくれず、さらに混乱に乗じて斬りつける。胸を刺し、首を斬り、腹を突く。的確に急所を攻撃されたゴブリンは、それで活動のすべてを停止した。騒ぎから立ち直る頃には、ほとんどの敵を屠っている。
あまりの手際のよさ、戦力の違いに、慌てて逃げ出そうとしたゴブリンもいたが、エキドナは後ろからだろうとお構いなしに攻撃魔法を叩き込んだ。
洞穴に踏み込んだ時点で気づいていた。脇に積まれた瓦礫の山に。馬車と思しき残骸に。乱雑に置かれた衣服は汚い手で掴まれ、うす汚れていた。酒瓶が無秩序に転がり、馬の亡骸が骨となって捨てられていた。
「ギャアッ! ギャギャア、ギャアアアァァァァ~~~ッ!」
一際大きなゴブリンが一匹、そいつが吼えた。だが、それだけだ。エキドナはほかの個体と同様、そいつを一撃で切り伏せた。
『左手の奥に、どこかに繋がる通路がある。奥にちょっとした空間を感じるけど、そこから先が存在しない。……たぶん、そこで行き止まりだ』
爆炎と煙に燻されて、ゴブリンたちが吐き出す血の匂いを纏ってさえ、なんとも形容しがたい饐えた匂いが漂ってきた。
正直、これ以上ないくらい億劫だった。かなり気分が悪い。吐き出してしまいたい。
「ふぅ、とんだ初陣になったものだ……」
やはりというか、なんというか。一方的にゴブリンたちを殲滅した罪悪感を吹き飛ばすほどの光景が、その先には広がっていた。
「おつかれさまです、ハルト。今日は大活躍だったそうですね」
その日の夕暮れ。エキドナが食堂で一人、部屋の隅で食事をつついていると、わざわざ一人でいるテーブルに食事を運んでくる物好きがいた。
「ライナスか。どうした、なにか用か」
食事なら盛り上がっているあっちで食べろとばかり、手にするフォークで示す。
盛り上がりの中心にいたのは、本日初陣を終えたばかりのヨハンだった。この日はそうすると伝えてあったので、気のいい兵士たちが祝福する一方、これを肴に盛り上がっていた。
「依頼をこなしたのに、逆に散財したそうですね」
「くだらないことを言いにきたなら、あっちに混ぜてもらったらどうだ……」
「いえいえ。これでも誉めているんですよ。私はね」
暗に、ルールカ辺りは呆れているといっているも同然だった。そして事実だろう。
「どうも私は、間が悪いらしい」
「昨日街に帰ってきての今日ですから、どうしようもなかったと思いますよ」
「そういう言い方をするなら、ルールカが絡むと、私はいつも間が悪くなる」
「これは手厳しい……」
本気の弱り顔を見せて、ライナスが苦笑した。
あの後、足を踏み入れた洞窟の奥に、ゴブリンに捕らえられた人間が四人……いや、五人いた。このうち三人は見るも無残な姿で、打ち捨てられたように転がされていた。
「若い娘さんもいたそうですから、魔物の子を宿していないと、いいのですが……」
「ああ、その心配はない。その場で処置をした。だから絶対にあり得ないと断言できる」
返事と同時。ライナスが目を見開いた。そのままの顔を硬直させる。
「……あなたは、そのようなことも出来るのですか? これではまた、ルールカ様があなたを手放したがらなくなりますよ」
「もともとは逆なのだ」
「……逆、とは?」
「どうしても戦場を離れられない者のために、赤子を腹に留め置くための術なのだ。今回はこの術式を反転させて、あえて流すように仕向けたわけだ。あとは簡単に記憶をいじり、今回の件をなかったこととして偽装した……」
だが五人目、彼女たちの父親の死だけは偽装のしようがなかった。
残念だが、死んだ者は生き返らない。それはもう、嫌というほど理解していた。
「記憶を、いじるのですか?」
「いじるといっても偽の記憶を植えつけるわけじゃない。あったことをなかったように思い込ませるだけだ。それに、この手の術に完全はない。なにかの拍子に思い出してしまうことが稀にある。だから彼女たちの母親だけは、今回の記憶操作を拒絶した」
救出する際、エキドナはまず母親だけを目覚めさせた。最初こそ取り乱した母親は、やがて事態を把握すると、自分の記憶だけを残すように懇願した。
意外なことに、記憶の残留を提案したのは、この母親のほうからだった。
“わかっているとは思うが、死ぬほど辛いぞ”
“わかっています。覚悟の上です”
顔は泣いていたが、心はとても気丈だった。
「末の娘が、基本無傷だったことがそうさせたのかもしれないな」
一番下の娘は、まだ7才だった。衣服は全部剥ぎ取られていたが、まだ女としての性質を備えていなかったためか、今のところは捨て置かれたようだった。
「そういうところは一部の人間より、まだ理知的といっていいのだろうか?」
「それは、ノーコメントでお願いします……」
なんとも複雑そうな顔をして、ライナスは食事をつつく手を何度も止めた。
話が一段落すると、エキドナはヨハンたちを遠く眺めた。彼らは言葉が尽きることを知らないらしく、何度もヨハンを褒めたたえている。
「あいつらも、よくやってくれる。話が暗くならないよう、ヨハンを持ち上げてくれている」
「べつに嘘をいっているわけではないのですから、それほど難しくはないでしょう」
「私はどうも、お約束というか社交辞令が苦手なようだ。ゴブリンを3匹倒した程度では、あれほど長くは誉めて上げられないみたいだ……」
しかもその後、自身は20匹のゴブリンを一瞬で倒しているのだから、そう思っても仕方なかった。それでも初陣の成果を誉めたのは、本心以外の何ものでもなかった。
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