第33話 満月の夜には

 ある日の夜。私たちは一人森にいた。空には満天の星々を打ち消すほどの大きな丸いお月さまが明々と浮かんでいた。

 なにかをするわけじゃない。ただ日課である魔法の訓練をしているだけだった。使用するのは治癒魔法のみ、ほかの魔法は必要ない。

 ただし、これがまったく上手くいかなかった。もうずっとそうだった。

『これまでずっと、戦う力に特化して鍛えてきたからだろうか』

『そういうわけではないだろう。実際の話、自己治癒は機能しているわけだからな』

 自分の傷は癒せても、他者の傷が癒せなかった。自分の筋力は強化できても、他者の攻撃や守りの力を強化してやることが出来ない。

『単純に、絶望的なまでに魔法の才能がないのだろう。人間誰しも向き不向きがあるということだ』

 反面、彼が使用する闘気法の力は、これと同じ体を使って行使する私の闘気法を完全に凌駕していた。まったくの別物といっていいほどに。

『ひどい話だが、正直安堵している私がいるよ、ロレン』

 今日は満月の夜だった。世界でもっとも魔力が満ちる夜である。この日に限り、私とロレンはその身体の所有権を入れ換えることが出来た。そのことに気づいたのは、わりと最近のことだった。もっとも、それとて私の許可がなければ不可能だった。

 結局、どこまでいっても私のほうが優遇されるようなのだ。

「そうはいっても、エキドナは闘気法をかなりのレベルで使いこなしているのだから、僕も魔法を、せめて治癒の魔法だけでも使えるようになりたいと思うのは、おかしいか」

 ややムッとして、ロレンは完全にすねている。だが私の所為ではないのだから、ムキになられても困る。それこそお門違いというやつだ。

『おかしくはないさ。ただ如何せん、ロレンには魔法の才能がないようだ。仮に使えるようになるとしても相応の時間を必要とするだろう。一両日中というわけには行かないさ。まして訓練できるのが月に一日、いや一夜とあってはどうしようもない。それでも続けるというなら、これまで同様教えるが、あまり期待しないほうがよさそうだ』

 私の言葉に落胆しながら、ロレンは自分の手を開いては握る動作を繰り返す。少しの時間も無駄にしない、いつものロレンのままだった。

「魔力の流れというやつは、正直よく分からないけど、体のほうはそれなりに鍛えられているようだ。以前よりも格段に調子がいいのがわかる」

『ずいぶん苦労したからね。最初はこの男、まったく筋力がつかないのかと心配になったくらいだ。……だから問題は、魔力のほうが相変わらずということだ』

 この一年、どれだけ効率よく魔法の鍛練を続けても、ハルトの体にはまったく魔力の成長が見られなかった。一度なんて心配になって、城の有力そうな魔道士の魔力訓練を買って出たことがあったが、そいつは順当に力をつけた。今では城一番の魔道士に急成長した。

『……不公平だ』とは、私とロレンがまったく同じ見解だった。

『このままだと私は魔法の使い方を忘れてしまいそうだ。それほどまでに、闘気法の使い勝手はとても良好だ』

「魔法と闘気法。この両方を使いこなすエキドナから見て、この2つの違いとは一体なんだと思う」

『難しい質問だな。だが強いて言えば、魔法は世界との繋がりを重視し、闘気法は自分という存在を自覚することだ。魔法が神や精霊の力を借りて行使するのが前提なのに対し、闘気法は自分の中だけで完結している。……と、これは前にも話したか?』

「つまり、魔法は他力本願ということか」

『さすがに、そこまで酷くはない。単純にそういうものということだ。とくに魔法はね』

「でもたしか、魔族は自分の魔力だけで魔法が使えると言っていなかったか」

『使えるね。うらやましいことだが、それだけ魔力が充実しているということだ』

「魔族のほかには、自分の魔力だけで魔法を行使できる種族はいないのか?」

『もちろん、いるさ。竜族や妖精族、神獣族、ほかにも高位の魔獣やエルフ族なんかも自力で魔法が使えるはずだ』

「エルフというのは古の民だな。でも実在するのか?」

『するさ。なにを言っているんだキミは? 気はたしかか?』

「エキドナがいうなら事実なんだろうけど、だが僕は本の中でしかエルフを知らない」

『ふむ。最近はしなくなっていたが、やはり私とロレンがいた世界は、まったくの別物なのかもしれないな』

「う~ん、どうだろ? 現存するかどうかを別にすれば、エルフという種族の有無自体は一致しているのが気になるな」

『なるほど。言われてみれば妙な話だ。細部は違うが大筋では一致している』

 これを偶然と見るか必然と見るか、それだけで物事が劇的に変わってしまう。

『あと、さきほどの話に戻るが、魔法と闘気法の最大の違いは“内と外”だと私は思う。ロレンも見たはずだ。私が使った魔力の具現化である〈魔装〉の力が、まるで鎧のような姿をしていたことを』

 自分の中に、もう一人の存在を自覚したあの日、私が中級魔族を退けるために使った魔力の秘儀が〈魔装〉だった。

「そういえばあったな、そんなものが。あまりに魔法が使えなくて、すっかり忘れていた」

 魔装は魔力を具現化した半物質であり、装着者の意志で自由自在にその形状を変える。

『ヒドイいわれようだが、そういうことだ。つまり魔装が外骨格〈鎧〉なのに対し、闘気法はそのまま肉体内部、骨格や筋力の強化を行うということだ』

「なるほど。そういわれると少し判りやすいか。ということは、単純な出力なら闘気法のほうが上ということか」

『ああ、そうだ。単純な肉体強化という意味ならな。だが魔装の本質は、その変幻自在の性質にある。鎧であり盾であり、剣にも槍にも相手を捕縛するためのロープにもなる。これを力ずくで打ち破るのは、いくらロレンの闘気法が強力だといっても不可能だろうな』

 鋼の強度と鞭のしなやかさ、それこそゴム以上にどこまでも伸びる柔軟性を持ち合わせている。これを単純な力で打ち破るのは至難の業だった。

『……ん? どうかしたのか、ロレン?』

「少し、眠気が……」

 見ると、東の彼方がうっすらと明るみ始めていた。夜が明けようとしている。

『どうやら今夜は少し話し込んでしまったようだ。また来月の満月の夜まで魔法の訓練はお預けだな。そのときまでには、もう少し効率的な訓練方法を考えておくとしよう』

 そういって目を閉じると、また二人はいつものように入れ代わっている。

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