第30話 魔王の中の魔王

 たいまつの炎が、ゆらゆらと踊る廊下を歩いていた。時間は深夜を回っていたが、エキドナはまったく気にしなかった。夜の廊下を一人で歩くことじゃない。こんな時間に女性の部屋を訪れようとしていることについてだ。

「ルールカ、少しいいか」

 ドアを三回ノックして、しばし待つ。声はすぐに返ってきた。

「入れ。今は手が放せない」

 扉を開けると執務室を兼ねた書斎があり、ルールカは席に着いていた。いつものことだ。机の上に小さな蝋燭の炎が立っている。彼女の仕事は意外に多い。ハルトを城に招いてから、その頻度は格段に多くなったそうだ。今は城を空けていた間の報告をまとめている。

「ルールカ、明日は休みをもらえるか。ヨハンを連れて街の冒険者ギルドを回ってみようと思う。ヨハンにはそろそろ実戦の経験が必要な時期だと思うのだ」

 ほかに人の気配がないことは、部屋を訪れる前から気づいていた。こういうとき、エキドナはルールカに対して敬語の類を使わなかった。むしろ小娘として扱っている。だからだろう、忠義者のベルガンとは未だに反りが合わなかった。

「実戦か。それはいいが、できればハルトには魔石の純化と、ミスリルの精製に従事してもらいたいのだが、な」

 魔道純銀『ミスリル』は、現在こそミスリルの名で呼ばれているが、実際には擬似ミスリルであり、かつて存在した本物のミスリル鉱の代替金属でしかなかった。本家には比重も魔力伝導率も遠く及ばないそうだ。今回、帰還が遅れた理由がコレだった。昨今みられる魔物や魔族たちの進撃に備え、少しでも戦力の強化を図りたいと考えるのは、どこも同じだ。そのため現在売り出し中の魔道純銀が飛ぶように売れていた。ふつうの金属となにが違うのか。いまいち理解できないが、エキドナがいうにはミスリルは魔力との親和性が高く、魔力の伝達と増幅の効率がいいそうだ。一小隊(十人)が剣と鎧を一式揃えるだけの量で、それなりの貴族が住む屋敷が建つほどの価値がある。魔石の純化と違い、こちらはいくつかの素材を必要とするが、それ以外はふつうの銀から作られ、エキドナの負担も軽いらしく、僕も許容していた。

「どうせ、そのうちいなくなるのだから、今さら取り繕っても仕方ないだろう」

「それはハルトが、雇用の延長を了承してくれないから悪いのだ」

 ルールカもまたエキドナあるいはロレンのことを、便宜上ハルトと呼んでいた。

 同じ人物を、その時々で違う名前で呼んでは怪しまれるからだ。

「約束は約束だ。こちらが約束を守ったのだから、そちらも騎士として応じるべきだ」

「わかっている。だが、この一年でハルトがもたらした功績が大きすぎるのだ。伯爵様からも何度も急かされている。魔石の純化に始まり、頼んでもいないのにミスリルの精製、さらには兵士たちの訓練まで付き合っている。これでは手放せというほうが酷だろう」

 魔道純銀に関しては、必要な材料を揃えさせ、実際に目の前で作って見せたこともあったが、伯爵に仕えるレベルの魔道士では再現できないのが現状だった。

「それは自分たちで何とかしてくれ。必要な情報はすべて提供した。本来なら破格どころか、まったくの異常者だぞ、私は」

 与えた情報をすべて使いこなせば、世界一の軍事国家が誕生する。が、これには裏がある。エキドナが見せた魔道純銀の精製方法は、じつは錬金術ではなく召喚術だ。魔法陣を介して大地の精霊ノームを呼び出し、彼らに頼んで銀を魔道純銀に変えてもらっていたのだ。

 同じ目を通して見た僕だけが、そのことに気づいた。正直、揃えさせた素材の中にミルクとクッキーがあることに大いに疑問を抱いていたが、その謎が解けた。

『そういう意味でも最大の功労は、やはり闘気法だろうな』

 とは、当然の帰結だった。

『人の心を読まないでくれ……』

 魔石の純化も魔道純銀の精製も、この世界の人たちは成し得ていない。

 だが闘気法の運用は、すでに実用レベルで実現していた。子供のヨハンが使いこなし始めたことが、大人たちの闘志に火を付けた。

『子供に使えるのだから、大人が使えないはずがないとは、なんとも単純で可愛らしいじゃないか』とは、エキドナの言葉だ。『もともと魔素を体内に取り込めば魔力は勝手に作られるわけだから、闘気法はこれを効率化したに過ぎない。ただの自然現象だ。人は呼吸をしないと生きていけない。それと同じだ。そもそも酸素からして毒だからな』

 酸化とは老化である。人の死因の第一位だ。これほど多く人を殺した毒ガスは、ほかに存在しなかった。

「ほんとうに、魔力だけなら、うちの魔道士連中のほうが優れているのか?」

 憮然として、ルールカは疑わしくぼやいた。これまでにも何度と交わした、すでに常套句と言っていい言葉である。エキドナは頷く。何食わぬ顔で。

「残念ながら事実だ。私もこの体には辟易している。未だに魔法の行使より、魔力の制御に苦労しているくらいだからな」

 魔病の症状は魔法を行使したときに出やすいが、闘気法のときにはでなかった。エキドナが魔法の適正が低い者のために、闘気法は生み出されたと評価した理由の一つに、これがある。

 一方。闘気法の訓練は、最初の一月ほどは、ただ意識して呼吸しているに過ぎない。多くの者が口にする、寝ているときにも夢のなかで呼吸法の訓練を始めた頃、その初期段階を会得となる。だいたい半年ほどが目安となる。呼吸は個人個人で違うため、これができれば絶対という形が存在しなかった。

「まあいい。休暇の件は承った。ヨハンには存分に命の重さを実感させてやれ」

「ああ、そうさせてもらう。相手はおそらくゴブリンかコボルト、あとはオークのいずれかだろうが、実力的には充分だ。ヨハンが後れを取ることはないだろう」

 羽ペンを置いて、ルールカが羊皮紙から顔を上げた。感慨深げに呟く。

「もうすぐ一年か、長いようで短いものだ」

「そうだな、あれから一年だ……」

「今もまだ、ハルトが旅に出る理由を教えてはもらえないのか?」

 エキドナは静かに首を振った。ゆっくりと、感慨を込めていう。

「……残念だが、私が私を知るための旅としか、いえないな」

「そうか、それはほんとうに残念だ。旅にはヨハンを連れて行くのか」

「正直、どうやって置いていこうかと悩んでいる」

「はははっ。それを聞けば、きっとあいつは怒るだろうな」

 だが僕もエキドナも、ヨハンを連れて行くつもりはなかった。足手まといだからじゃない。エキドナの正体が〈魔王エキドナ〉――その『魂』かもしれないからだ。

 この一年で集めた情報の中には、魔王エキドナはすべての魔族の親にして、すべての魔物を生み出した存在であり、あまつさえ魔王を生み出したという話もあった。

 現存する魔王は7人いて、実働は3人だけ。この7人にエキドナは含まれない。魔界の魔道王『デル=フィガロ』破壊竜『ミラード』そして冥獣王『ヴァレフォル』だ。

 このヴァレフォルこそ、エキドナを探している張本人だ。コイツは自称魔王を喧伝する魔族であり、おなじ魔王の聖獣王『アガレス』を一方的に敵視していた。エキドナを探しているのは自分を魔王と認めさせるのが目的だろう。たしかに『魔王の中の魔王』が認めれば誰も文句を言わない。だが裏を返せば、現在は誰も認めていないといっているのも同然だった。

 下らないと思う反面、その所為でユイが死んだと思うと、ふつふつと怒りが沸き起こる。

 たとえ村を襲ったオーガの群れが騒動とは無関係だとしても、あの日エキドナが村を離れた原因の一端は間違いなくコイツにある。

 たとえ、それがある種、八つ当たりだったとしても……。

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