第46話 激闘

 限界を超えた力で踏み出すライナスは、アークデーモンが繰り出す炎の鞭を掻い潜り、その懐深くへと到達した。勢いのままに剣を一閃。デーモンの胸を切り裂いた。

「やったかっ」

 やや遠く聞こえた歓声は、いつの間にか接近した主人ルールカの声だった。

「くっ、硬いっ……」

 だが、その手に伝わる痺れた感触は、けっして望ましいものではなかった。これはライナスの経験不足であり、エキドナとロレンがともに伝え忘れた情報不足が原因だった。ライナスは魔族がまとった“闇の衣”であり“魔装”に剣を弾かれた。

 それでいて、闇の衣を切り裂き、ダメージを与えたのは大したものだ。が、その代償としてライナスは、今や完全に上級魔族アークデーモンを怒らせてしまった。

 まるで能面のように張りついていた魔族の顔が、今は怒りに醜く歪んでいた。

「ガアァーっ」

 吼えた上級魔族の手から、これまでとは比べ物にならない数と大きさの不可視の魔力弾が放たれた。ライナスはこれを躱し、あるいは剣で弾いて回避する。その足元に向かい、さらに炎の鞭が繰り出され、これを縄跳びの要領でジャンプして地面を転がって起き上がった。

(なんとか回避したけど、これはっ……)

 はっきり言って絶望的だった。躱すのがやっとで、とてもではないが攻撃に手が回らない。おまけに、たったいま与えた傷が、すでに綺麗さっぱり服まで回復していた。

『初撃に全身全霊の攻撃を持っていけ』

 ハルトの言葉が脳裏をよぎったが、これは想像以上だった。初撃以外は相手にならない。

(ほかにも何か言っていたような気がするけど……)

 それを思い出す余裕もない。今は呼吸を整えることと、相手の攻撃に集中するしか生き残る方法がなかった。


 ルールカとベルガンの二人も、この場には辿り着いていたが、あまりの両者のレベルの違いに割って入ることが躊躇われた。

 そうこうするうちに別の魔物や魔族がやって来て、さらにルールカたちを見つけた兵士が駆けつけて来て、そのまま乱戦に巻き込まれた。

「ルールカ様は、ほかの者たちと協力して魔物の相手をお願いします。私はできる限りデーモンの相手を致します」

 ベルガンは近くにいたレッサーデーモンに切りかかり、刃と爪で数度打ち合い、さらに一歩深く踏み込む一撃が、デーモンの腕を切り裂いた。耳障りな悲鳴を上げて退くデーモンを追撃し、背中から一刀両断、袈裟懸けに切り伏せた。

 だが、ついで姿を見せたグレーターデーモンからは距離を取り、ほかの兵士たちに矢を射掛けさせてから接敵し、やはり背後から斬りつけ、地面に落ちたところを止めを刺した。

 一方ルールカは、目の前の戦闘に集中できない。どうしても視線が、ライナスとアークデーモンの闘いを見てしまう。無理もなかった。この両者の闘いが、この場の戦闘の趨勢を決めるといっても過言ではないからだ。

(頼むぞ、ライナス。……どうか勝ってくれっ)

 祈る気持ちで見守るルールカも、けれど戦闘の素人ではなかった。徐々にだが、ライナスが押されつつあるのを見抜いていた。そうでなくとも圧倒的な魔力を持つ上級魔族と、常に限界以上の力を搾り出して戦っているライナスだ。その差は余りある。

 魔族もまた、ライナスが無理をしていることを察していた。命を削りながら戦っていることを理解していた。そうしてライナスが必死になればなるほど、アークデーモンの顔は邪悪に歪んだ。笑っているのだ。あまりにも可笑しくて、あまりにも楽しくて、滑稽で、愚かしくて、そしてなんとも甘美で、愛おしくて。

 魔族が人間に望むのは、そうやって頑張って頑張って、頑張り抜いて、けれどどうしようもなくダメだったと知ったときの、人間たちが絶望する顔を見ることだった。

 そしてその負の感情を喰らうのだ。

 人は死したとき、魂の解放とともに魔力を発する。このときの魂が絶望に屈していればいるほど、世界へと還る魔力は甘く感じられた。これが甘美にして甘露なのだ。

 ゆえに魔族は人をいたぶり、魂を弄ぶ術に長けている。同時に、人によって絶望する基準が違うことを理解していた。単純に苦痛に屈する者があれば、他者をいたぶられることに、より強い苦痛を感じる者があることを知っていた。

 そして今、目の前のなかなか壊れない人間が、自分の痛みに絶望を感じないタイプの人間であることを理解していた。

 だから探した。この屈強な人間が、一体どうすれば絶望してくれるかと。

「!」

 そして見つけた。この人間をもっとも心配し、もっとも熱い眼差しを向ける人間があることを。しかもそれが異性となれば、一番わかりやすい感情を引き出すことが可能だと。

 デーモンはいよいよ我慢できず、その口から涎を垂れ流して喜んだ。

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