第47話 たった一つの譲れない思い
炎の鞭を剣で払い、ライナスは一度、大きく後ろに飛び退いた。気のせいかもしれないが、一瞬デーモンの攻撃が緩くなったように感じられた。奇妙ではあるが、今は一瞬でも呼吸する時間が惜しかった。自らの身体に鞭打って、今一度その身に魔力を蓄える。
ライナスには今、アークデーモンを倒せるかもしれない方法が一つだけあった。
だがそうするには、どうしても足りないものがある。
それが本来、ハルトがいっていた初撃であることを理解していた。
(千載一遇のチャンスを、私は逃した……っ)
もしかしたら、あり得たかもしれない完全勝利した未来。これを逃した。その悔しさが拭えなかった。だが、まだ勝つことを諦めたわけじゃない。
「…………?」
しばしの沈黙。だがそれは言葉ではなく行動の制止だった。いくら待ってもアークデーモンからの攻撃がこない。ライナスは呼吸を整え、幾許かの余裕を得ていた。
視線が合う。戦意や敵意より、より強い観察する意図を感じた。
その視線が、つぃっと逸らされる。
(……一体なにを見ている?)
奇異に感じ、一瞬視線を動かした。その先にルールカがいた。彼女が来ていることには気づいていた。だが余裕がなくて放置していた。仮に向こうを攻撃すれば、その隙にこの魔族を切って捨てる覚悟を決めていた。ルールカもそれを望んでいるはずだ。
魔族もまた、それを理解しているはずだった。
(それがなぜ、今になってルールカさまを見ている?)
……なぜ、だ。
ぽんっ。そう思う間に、奇妙な音がして爆ぜた。
見ると、火球がルールカを直撃し、彼女が馬上から転落した。
心臓が一度、大きく反応したが、ライナスはそれ以上動くことができなかった。
「……なっ、なにをしているんだっ、おまえはっ」
攻撃の規模があまりにも小さすぎて、隙がなくて動けなかった。その証拠に、攻撃を受けたルールカは、もう動き始めていた。その場に立ち上がろうとして。
ぽんっ。またしても音がして、ルールカが弾かれて後ろに倒れた。
また立ち上がろうとして、やはり小規模な攻撃があって倒された。
これを何度も繰り返す。
魔族も楽しくなってきた様子で、顔をだらしなく緩ませて笑い始めた。
「やめろォーっ!」
叫び、踏み出そうとした刹那。
「ぐわぁーっ!」
本気の悲鳴が聞こえた。見ると、今度の傷はかなり深い。炎の熱線が、右太股を貫通していた。出血が少ないのは、貫いた側から灼いて止血されたからだ。
アークデーモンの右手、人指し指が赤く輝き、音もなく何かが走った。
ルールカが小さくうめき、軽く仰け反った。肩の辺りに当たったが、服の下に着込んだ鎖帷子のおかげで大したダメージを受けなかったようだ。
ほっと息を吐いたのも束の間、アークデーモンは新しいおもちゃを見つけた子供の残酷さで心底から楽しそうに笑った。炎の鞭を放棄してまで、その新しい遊びを享受する。
炎の熱線で胴 を穿ち、小火球で手足を撃った。そして気まぐれに熱線で腕や脚を貫き、小火球で頭部をはね上げさせた。額が割れたらしく、赤い花がパッと散った。
「やっ、やめろと言っているんだァ~っ!」
ライナスが前に駆け出そうとするなり、今度は連続してルールカの手足を貫いた。
憎き魔族を斬ろうとした剣は、気づくとアークデーモンが放った熱線を切り払っていた。
いつの間にか、ライナスはルールカとアークデーモンを結ぶ直線上に立っている。
アークデーモンが攻撃の速度を上げた。今後はライナスを狙って撃ち始めた。これを剣だけで叩き落とす。不可視である魔力の弾丸は、しかし避ければルールカに当たってしまう。
「なにをしているっ。おまえの役目は私を守ることじゃないだろっ。あいつを倒すことだっ」
いわれなくても判っていた。理解していた。でもダメだった。意志に反して身体がいうことを聞いてくれない。この場を退くことを、どうしても了承できない自分がいる。
「おまえは私を、足手まといにするつもりかっ」
いつもと変わらない、気高く誇り高い物言いだった。でも今の起き上がることさえできない状態でいわれても、なんの説得力もありはしなかった。
「……いいえ」
だからこそ、言葉ではなく行動でもって、これを証明しなくてはいけなかった。
「……私が、……ルールカ様を、……足手まといには、……させませんっ」
一歩。また一歩。足を前に進ませる。不可視の魔力弾を切り払い、その上で前進を続けた。
「ライナス、おまえ……」
だが、そんな決意を嘲笑う一撃が、アークデーモンから打ち放たれた。自身の背丈の倍はあろうかという巨大な火炎球が、二人に向かって突き進む。
「ライナスっ、もういいっ。おまえだけでも避けろっ。そして絶対にあいつを倒してくれェ」
そんな声が聞こえたが、でもそれだけは絶対に聞くことができなかった。ライナスは柄を握り直した。力の限りに地を蹴って、持てるすべてを一撃に込めて振り抜いた。
剣先が、巨大火炎球と接した刹那、大爆発を引き起こして吹き飛ばされた。爆風に乗ってボロ布のように地面を五転、六転して転がっていく。
「ライナァ~~~スっ」
全身大火傷を負っていたが、それでも手足は付いていた。どこも損なわれていない。
いまは浅く、ゆるやかに、静かに呼吸を繰り返している。
『ライナス。ケガは私が癒してやる。だから絶対に勝てっ』
そういったハルトの言葉が、今更のように、すぐ傍で聞こえたような気がした。
だが、ハルトはどこにもいなかった。それで一瞬、気を失っていたことを知る。
「…………っ」
かすむ視力で辺りを見回すと、手にしていた剣が離れたところに転がっていた。しかも魔道純銀の剣は完全に折れている。……これではもう、戦えなかった。
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