第48話 百腕五十頭の巨人
道を行くのを諦めたエキドナは浮遊の術で浮かび上がり、そのまま防壁の上をひた走っていた。まだ距離はあったが、その巨体は遠目にも、よく見えた。
〈百腕五十頭の巨人〉
実際に百の腕と五○の頭を持つかは判らなかったが、上半身が歪に膨らんでいることだけは理解できた。
伝承曰く、かつてその醜さゆえに、天上の神々から疎まれて、永遠の牢獄に幽閉された言われる古の巨神のことである。
その巨体が身を屈ませ、地面から巨大な岩を持ち上げた。続いた動作から、防壁に向かって大岩を投げつけようとしていることを理解する。
「さっきの轟音は、こいつの所為かっ」
実際、防壁の上部があちこち、ひどく破損していた。まるで割れた板のようになっている。一撃で崩壊しなかったのが不思議なくらいだ。
エキドナは瞬時の判断で魔石を取り出し、そこから大きな魔力を汲み出した。そうして自身の倍はあろうかという巨大な火炎球を生み出し、今にも投じられようとしていた大岩めがけて解き放った。狙い違わず、巨大火炎球は大岩にぶつかって、大爆発を引き起こした。
破壊された岩塊が飛び散り、下にいた魔物たちの頭上に降り注いだ。だがそれ以上に、バランスを崩した〈百腕五十頭の巨人〉が転倒し、そこにいた魔物たちを下敷きにした。
これを好機と見たエキドナは、さらに火炎球を数十発同時に生み出し、〈百腕五十頭の巨人〉に向かって打ち出した。レッサーデーモンが残した魔石を純化させた石は、たった一発あるいは数十発を放っただけで粉々に崩れてしまった。
『あれだけの攻撃を受けて少しよろけただけとは……つくづく化物だな、あの巨人』
はたから見ても馬鹿らしくなる大火力を以てしても、しかし巨神〈百腕五十頭の巨人〉には大したダメージを与えられなかった。
『だが所詮は偽物だ。もし本物であれば、あの程度の攻撃に怯むものか。あれはこの闘いで死んだ魔物たち、さしずめオークやトロル、オーガといった死体の寄せ集めだろう』
『そうだとしても、あれだけのパワーと耐久力があれば十二分に脅威だ』
結果は見ての通りだ。肉を多少削いだだけ。〈百腕五十頭の巨人〉は何事もなかったように、また大地に落ちた岩石を掴むと、これを防壁に向かって投げつけてきた。
「しつこいっ。そう何度もやらせるかっ」
あらたな魔石を取り出して巨大火炎球を放ち、これを迎撃する。両者はぶつかり合い、砕けた岩塊がまたしても魔物の頭上に降り注いだ。大きさこそ大小あるが熱した岩塊が降ってくるのだから、魔物たちには堪らなかったはずだった。右往左往して逃げまどう。
「さて。一体何発撃てば、こいつはもう一度死んでくれるかな」
魔石のストックは百個以上あったが、ここで使い果たすのは馬鹿らしかった。
「試してみたくはあるが、こいつ一匹にあまり時間はかけられないからな」
『で、どうする? アークデーモンの魔石を使うのか?』
「まさか。それは無いな。あれを純化して使うには時間がかかる。第一、もったいない」
一体いつのまに純化したのか、グレーターデーモンの魔石を三つ取り出した。
『それだけの石で、あいつを倒せるのか?』
正直、心許ない。はっきり無理だと想像する。
「まあ無理だろうな」
エキドナの予想も同様だった。
『なら、どうするつもりで、それを出したんだ?』
「それはね、こうするためだよ」
返答は、言葉ではなく、行動によって示された。
握った魔石が光り輝き、蓄積された魔力が解放される。だがもちろん、これを無駄に発散させるつもりは毛頭無い。余すことなく取り込み、我が身に蓄えていく。
そして私は、自分の意思で意識を手放し、私からロレンへと、その主導権を譲渡した。
「……これは?」
自分の掌を見つめ、彼はなにが起きたのかを理解する。
魔力が満ちた満月の夜に入れ代わることが可能なら、それと同じかそれ以上の魔力を蓄えてやれば、理論上交代は可能だと思っていたが、どうやら見事に成功したようだ。
『さあ、ロレン。後は任せた。キミの力で、あいつを倒して見せてくれっ』
一体なにが気に入らないのか、ロレンは大きく息を吐いた。
『あのな、エキドナ。そうならそうと先にいっておいてくれると助かるんだが』
口では文句を言いながら、その手は剣を引き抜いた。軽く振り、びゅっと鋭い音がした。
「?」
何かに気づいた様子で、眉をひそめた。
『どうした? なにか問題があったのか?』
『いや、むしろ逆だ。いつもより調子がいいくらいだ』
『ふむ。どうやら予想以上に魔力量が多くて、そのぶん身体に残ったみたいだな』
『なるほど、つまり』
『ああ、そうだ。最初から全力を出せるということだ』
ロレンは表情を変えなかったが、私は興奮していた。ロレンの全力が見られる。そう思うだけで心が躍った。だって当然だろう。もし私がほんとうに〈魔王エキドナの魂〉だったとしたら、これと同じ身体に宿った〈魔王殺しの勇者〉の役割なんて最初から決まっている。
――私を殺すことだ。
なら当然、そうするにふさわしい力かどうか、私は見極めなければいけなかった。
(ロレンよ。どうか私を殺すのに、ふさわしい人であってくれ……)
それがせめてもの、私の最後の我が儘だから――。
百本の腕に岩塊を担ぎ、〈百腕五十頭の巨人〉がこれを投擲した。
だがこの一投は、防壁から助走をつけて跳んだロレンの剣の一振りで両断された。
しかも斬った岩塊の断面を足場にし、さらに跳躍する。そのまま〈百腕五十頭の巨人〉に肉薄し、その右肩から脇腹までを縦に切り裂いた。
ロレンにとって〈百腕五十頭の巨人〉は……いや〈百腕五十頭の巨人〉の偽物は、ただデカいだけの一匹の魔物に過ぎなかったようだ。
痛覚が無いのか、分断されているのか〈百腕五十頭の巨人〉は斬られたことを気にせず、攻撃してきたロレンに掴みかかろうとした。だが、そんな動きは怠慢以外の何ものでもなく、剣の一振りで、やはり腕を十本あまりも切り飛ばされた。
(……一体なにが違う。いくら魔石の魔力を借りているとはいえ、この違いはなんだ?)
何度見せられても理解できなかった。ロレンの闘気法の一撃が、これを同じ身体を使っている私が使う闘気法の一撃を遥かに、圧倒的に凌駕している現実を。
〈百腕五十頭の巨人〉の腕を斬り、頭部を破壊しながら突き進んだロレンは、やがてそこにあった違和感、赤ん坊の頭ほどもある魔石に辿り着いた。
ロレンは剣を振りかぶり、
『うわーっ。バカっ、待てっ。破壊してどうするっ。そいつを回収するんだよっ』
「あ、そうか。つい、いつものクセで忘れてた。こいつを壊せば、ふつうは死ぬから」
『ああ、そうだ。それがこいつの核だから、壊しても死ぬが。取り出しても同じだ』
指摘されたロレンは苦笑を浮かべた。魔石を手に取り、これを力任せに引き抜く。
本来なら、もっと苦労しなければ取れないはずの魔石も、ロレンの腕力を持ってすれば、いとも簡単に取り出すことができてしまった。
核を失った魔物が、〈百腕五十頭の巨人〉の身体が崩れていく。
そして完全に、その巨体が消え失せたとき、周囲にいた魔物は、邪悪な波動によって正気をなくしているはずの魔物たちは……ロレンを見るなり逃げ出した。
(……くっ、あははははっ)
私は笑った。声に出さず、ロレンにも聞こえないように密かに笑った。
〈魔王殺し〉〈破壊神を破壊した男〉などと、正直バカげているとさえ思っていたが、こいつは本物だった。本物の勇者と呼ばれるにふさわしい男だと、本気でそう思う。
(もし、私が本当に魔王エキドナの魂だったときは、……そのときは、この男が私を殺してくれる)
そう思うだけで、私はなんとも安らいだ、心穏やかな気持ちになることができた。
が、そのとき。
にわかに空に雲がかかり、辺り一帯が薄暗くなった。
「なんだ、いきなり。さっきまで雲なんてなかったはずだぞ?」
『いや、これは……雲じゃないっ』
――障気だっ。
そう思った刹那。上空を覆った雲に、突如として顔のような模様が浮かび上がった。
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